第8話

「じゃ、行ってきます。」

「はい。体が冷えないうちに帰っていらっしゃい。」


夕食を食べ終えて、改めて厚着をして、玄関で靴を履く。

最初の頃は夕食の後はすぐに寝るのが当たり前になっていたけれど、気が付けば縁側でぼんやりと外を眺め、祖父と口数少なく話、祖母とは聞かれることに応える。

そんな時間を過ごすようになっていた。

そして、今日からは一人で外に出る。

これも成長かなと、僕はそんなことを考えながら、渡される懐炉とランタンを手に持ち、ギターケースを肩に担げば出かける準備の完了だ。


「足元に気を付けてな。脇道には入らないように。」

「分かった。」

「動物の類は見たことは無いが、妙な音が聞こえたら、帰って来なさい。」

「うん。じゃ、行ってくるね。」


普段は外に出ようとすれば、いや、こちらがついて来てほしいとそう言ったからだろうか。

よく覚えてはいないけれど、日中に出かけるときはついて来てくれたが、今回は何も言わず、残るようだ。

これまでは、なんだかんだと不安だとか、危険だとか、そういう事を思われていたのだろうか。


「えっと、気を付けて鳴らすけど、うるさかったら。」

「まぁ、夜だから響くかもしれないが、木もある、早々届かないだろう。

 それでも気になるなら、伝えよう。」

「うん、ありがとう。」


そういって、一人ランタンの明りで外に出る。

縁側から見ているだけでは気が付かなかったが、月と星の明りだけでもそれなりに道が見える。

玄関から出ただけだというのに、やけに寒く感じる。

そんな春も中盤、そんな夜道を一人で歩く。

吐く息が白くなったりするほどではないにせよ、それでもやはり寒い。

厚手のパーカー、そのポケットに放り込んだ懐炉がやけに暖かく感じられる。


そして、いつも歩いている小高い山、聞いてみたら200mはないほどらしい、その山に続く道を歩く。

周囲をそんな山に囲まれているからか、祖父母の家からは隣家の明りも見えないし、人の気配がとにかく感じられない。

陸の孤島、道はつながっているのだが、まさにそのような風情で。

生き物の気配だけは感じる、そんな山道を登る。

虫の鳴き声や、鳥の鳴き声。夜に鳥は鳴かないと思っていれば、その限りでもないようで、フクロウ以外にも時折鳴き声が聞こえてくる。

それから、風が吹くたびに木々がこすれて鳴らす音。

そんな音を聞きながら、のんびりと山道を歩く。

祖父に言われたように、どうにかそこに在る踏み固められた道以外、そこからそれた先は月明かりどころか、ランタンの明りもすぐに途切れ、暗闇が広がっている。

もしそこにくぼみの一つでもあれば、簡単に足を取られて捻挫でもするだろう。

改めて、これが危ないのだ、そんな事を考えながら山道を登る。

途中、いつも折り返すあたりを通り過ぎると、何となく楽しくなってくる。

ひとり、鼻歌を歌いながら、足を進める。

母親が子供の頃、よく来ていた場所、それに対する興味もあるけれど。


そうして、上り切った先で、意外なことに、こればかりは本当に予想していなかったが、先客を見つけた。

途中から、何か物音が聞こえると、そんなことを思っていたのだが、野生動物とも思えず、僕にしては珍しく祖父の忠告を無視して、上り切ってみれば、実際には、その途中から、先客がそこで何かをしているのが目に入っていた。

遠くから声をかけるのも、どうかと、それに初めて来る場所、誰も来ない、そんな場所に誰かが先にいる、そのことに対するいら立ちも少しあった。

こちらに気が付いたのは、結構近寄ってから。

ランタンの明りに、自分以外がここに向かっているとそう気が付いたのだろう。

ただ、だからと言って逃げるようなそぶりもないし、話しかけてくる風でもない。


そうして、そこに上り切ってみれば、祖父のは成した通り、少し開けた場所。

其処だけぽっかりと木が無くなっていて、いくつかの切り株が残されている。

そんな場所にいた先客は、シートを敷いて、望遠鏡を立て、ノートや図鑑をシートの上に乱雑に広げてと、そんな風に過ごしていた。


「えっと、どこから来たの。」


僕はそんなことをとりあえず聞いてみる。


「私は山の向こうから。あなたは。」

「こっちから。ここ、私有地って聞いてたけど。」

「そうなんだ。じゃ、出て行ったほうが良いかな。」


彼女、短く切りそろえた髪に、何処かで見たような学校の制服を着ている彼女が、名残惜し気に望遠鏡に視線を送りながらそんなことを聞いてくる。


「祖父の持ち物らしいから、後で聞いておくよ。」

「ああ、そうなの。ごめんなさい。」

「まぁ、黙ってれば気づかれないだろうし。いいんじゃないかな。

 明日も、来るの。」

「その、ごめんなさい。私これが趣味で。このあたりは明りが少なくて、よく見えるから。この休みで。」

「そう。分かった。そうだよね、向こう側もあるよね。」

「えっと、少し離れてるけど止まらせてくれる家があって。」

「そうなんだ。僕、此処に楽器の練習に来たけど。」

「あの、ランタン、明りを小さくしてもらっても。」

「ああ、邪魔になるのか、わかった。」


そうして、適当な切り株にランタンとギターケースを置いて、ランタンの明りを絞る。

開けたそこには月と星の明りがよく届き、目を凝らせば手元くらいは見える、それくらいの明るさはあった。

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