第二話 マフラー

「はい、お待たせ」


 着替えを済ませ部屋の扉を開けるとそこには、優に部屋の外へと追い出された凛が口をぷくぅっと膨らませながら待っていた。


「――怒ってんの」

「そりゃ怒るよー! 一人寂しいかなって思ったからそばにいてあげたってのに」


 細くて小さな腕を組み、ぷんぷんしながら凛は言った。


「ごめんって」


 ノリであやまる。なぜなら――


「あ! でも、無理矢理掴まれて押された時はちょっと興奮した」


 凛もそこまでダメージを受けていないから。


「だまれ」


(このエロおやじが)


「腰のほうに手を回してくれたらもっと良かったんだけどっ」


 凛は自分の右手で左腕の肘を掴み、わざとらしくとろぉ〜んとした目で言った。


「いい加減にせいっ」

「いでっ」


 出発の準備を終わらせた優と凛は、アパートから少し歩いた所にある町の小さな神社へと向かった。その最中、二人の間では「早くしないと年変わっちゃう」の心配と「大丈夫だって」の余裕が何度も繰り返された。



 *



「人おおいね」


 神社にはすでに多くの人が集まっていた。


「ほんとだねぇ――それにしても寒すぎない? 寒いよね。寒い寒い。いや〜寒いし帰る? 私の部屋きてこたつでみかんしちゃうか。うんうんそれが良い、よし帰ろう」


 呪文のよう。凛が限界まで早口レベルを引き上げバラバラバラと喋る。

 気温は氷点下。口から舌をいってらっしゃいしたら、一瞬で凍りつき柔らかい状態ではただいましてこないくらい体感では寒く感じる。


「やだよ凛が一緒に行こって誘って来たんだろ」

「だって年越しだよ!? 新年だよ!? ハッピーなニューイヤーになるんだよ!?」


 凛がキラキラした眼差しで訴えてきた。


「なら寒いのくらい我慢しろよ」

「でも寒いもんは寒いの~!」


 今度は、いかにも『もー!』とした表情で訴えてきた。


「優も私の事好きなら、その首に巻いてるマフラーをこのか弱い乙女に巻いてあげるとかしてもいいんじゃないんですか~」

「お前なぁ、あたしも寒いんだよ。息だって真っ白だぞ」

「うそだ、はぁ~ってしてみなよ。絶対なんも出てこないよ」


 顔をすんっとさせた凛が言う。コロコロと変わる凛の表情は、見ていて楽しい。

 だが、あまりにも憎たらしい目つきで言ってきたので、優はゆっくりと口から息を吐いた。

 優の吐いた息は白く色付き、寒い冬の空気へと溶け込んだ。


「……。ほら、出てんじゃん」

「出てるわ。寒いよねわかる。めっちゃ寒い」

「当たり前だわ」


 手を服のポケットに入れていても、暖かく感じないほど気温は低い。だが、多くの町の人が年越しを祝うために町の神社に集まってくるのはこの町、いや日本の文化なのだろう。


「ううぅ~、今何分? 早く年越してくれないと凍え死ぬよ」


 体を縮こませた凛があまりにも寒そうにしていた。


(だから出る時ちゃんと暖かくしなって言ったのに)


 優は首に巻いているマフラーを取り、前を向いたまま片手で渡した。


「え! くれるの!?」

「馬鹿かあげねぇよ――――でも使いなよ」

「やさしいねっ」


 優しい笑顔で凛は言った。優しいのはどっちだか。優の差し出すマフラーをやったやったと迎えに行く凛の手が、スッと止まった。


「あ、あのさ――」


「ん」


「巻いてよ」


 時間が止まる――――気がした。

 想像もしていなかった言葉に思考が止まる。

 巻く? あたしが? 凛のために?

 いやいやいくらなんでも恥ずかしすぎる……けど凛が言うなら〜? 彼女ですし〜?


「――はぁ? 自分で巻けるだろ」


 ちがうちがう。こんな事を言いたいわけじゃない。


「ううん、巻けない」


 ピンク色を映し出すその頬の赤みは、寒さでなのか、恥ずかしさからなのか、それともその両方なのか、あたしには分からない。

 上目遣いであたしを見つめる凛の瞳は少しうるんでいるように見えた。

 空に浮かぶ雲のように変わりゆく凛の表情は見ていて楽しい。

 ――そして可愛い。


「んぁわかったよ。わかったから、その目やめろ」


 (――あたし、ちょろいのかな)


 優は茶色をベースとしたチェック柄のマフラーを広げ、片方の端を凛の首の後ろに回した。

 肩甲骨辺りまで伸びているつややかな黒い髪が神社の小さな蛍光灯が発する白銀の光により、スポットライトのように照らされている。


 二人の顔が近くなる。

 凛の息を感じる。


 (ああぁ、恥ずかしすぎておかしくなりそう――)


「ん」


 髪の毛がマフラーに軽く乗り、を描く。ストンと落ちている髪の毛が、ふわっとすることでいつもとは違った印象の凛が目の前に現れる。


「その――――ありが……と」


 日光をちゃんと浴びているのだろうか。そう疑いたくなるほど、白く透き通った凛の頬がカァっと赤くなった。


「そっちから頼んどいて恥ずかしがんな」


 ぎゅっと腕を伸ばし、コートのポケットに手を入れる凛がニコッと笑う。


「あはっ、まだ優の温かいの残ってる」


 いつもと同じだ。

 何かあっても最後に凛は笑ってる。

 凛の浮かべるその無邪気な笑顔にあたしは惚れた。

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