第9話 最強の敵はAI!? 将棋勝負(前編)

 坂原香。通称カオリ。

 将棋の天才。

 現在、プロ養成機関である奨励会の頂点、三段リーグに所属している。

 初の女性プロ誕生か? などと言われているが、カオリの目指しているのはそんなところではない。

 トッププロだ。将棋の神に近づく道だ。


(だから、こんなところで鬼になんて負けてられない)


 鬼がどれだけ将棋を指せるかはしらないが、カオリの目指しているのは神の領域だ。地獄の世界なんかじゃない!

 閻魔王女が上空で実況する。


「ここまで二回戦を終わり、鬼VS人間の戦いは1対1の引き分け! 善戦する人間達ですが、さてさてどうなる!?」


 そこで、閻魔王女はパチンと指を鳴らした。

 ステージ上に将棋盤が現れる。

 カオリは将棋盤へと進み出た。

 正座し、相手を待つ。


 現れたのは黄鬼のアレン。他の鬼よりも痩せているように見える。あるいは、この鬼となら相撲勝負でフトシも勝てたかもしれない。

 なんと眼鏡をかけている。鬼にも近眼とかあるのだろうか。


「第三戦は将棋勝負――なのですが」


 閻魔王女はそこでカオリを見て笑う。


「残念ながら、鬼の世界に将棋はありません。黄鬼のアレンくんは半年前に将棋のルールを覚えたばかりです」


 カオリは閻魔王女を、そして次にアレンをにらむ。


「ふざけているの?」


 将棋はルールそのものを覚えることは難しくない。

 だが、奥の深さは世界中のどのゲームにも負けない。

 たとえ相手が鬼だろうと、ルールを覚えて半年の相手ではカオリに勝てるわけがない。

 だが、閻魔王女は余裕顔。


(どういうつもりなのかしら?)


 まさか、ハンデキャップでも要求するつもりだろうか。

 例えば駒落ち戦。最初からカオリの飛車や角を落とす――減らして戦う。

 あるいは時計にハンデをつける。将棋や囲碁、チェスなどのゲームでは、チェスクロックというタイマー時計を使って思考時間に制限をつける。

 少なくとも、奨励会やプロの世界ではそうする。そうでなければお互い永遠と次の一手を考え続けて、勝負がつくのに1週間かかってしまうかもしれない。


 その時計の設定時間を、例えばカオリは一手30秒以内、相手には一手5分などのように差をつける。当然、考える時間が短い方が不利になる。


(とはいえ……)


 将棋を覚えて半年の相手。しかも話を聞くに地獄には将棋を指せる鬼がいないらしい。ならば対戦経験もほとんどないはず。


(六枚落ちでも勝てるわ)


 飛車と角だけでなく、香車と桂馬を落としても勝つ自信がある。

 それにそもそも、ハンデキャップを受け入れる義理はない。

 この一戦にかかっているのはカオリを含む5人の命なのだから。

 だが、閻魔王女が次に言った言葉は意外なものだった。


「アレンくんは将棋の天才ではありません。ですが、彼は天才AIプログラマーなのです」


 カオリはハッと息をのむ。


(まさか、コイツ!)


 もし、この戦いがそれだとしたら……


「今回は、将棋の天才少女VS天才プログラマーの作ったAIによる将棋対決を行ってもらいます!」


 高々と叫ぶ閻魔少女。

 カオリの背中に嫌な汗が流れる。


(やっぱりか)


 カオリは自分の計算違いを実感した。

 将棋勝負と聞いて、対人――いや対鬼戦と安易に考えてしまった。

 これまでの2つの勝負を考えれば、閻魔王女がこの程度のことを仕掛けてくるのは容易に予想できたのに。


 一方、観客の鬼達の反応は薄い。

 そもそも将棋とかAIとか、分かっていない様子だ。

 閻魔王女の言った言葉の意味を理解できたのは、カオリの他にはもう一人だけ。

 カオリの後ろで見守るケイミだ。ケイミは閻魔王女に叫ぶ。


「ふざけないでよ! AIとの勝負なんて聞いていない! こんなのずるよ!!」


 教室で自己紹介したときから思っていたが、ケイミは将棋や将棋界にもそれなりに知識がある様子だ。ならば知っているのだろう。

 カケルがケイミに問う。


「なあ、そんなにまずいのか? AIってコンピューターのことだろ? カオリだって強いんだろうし?」


 彼は観客の鬼と同じように将棋についても、AIについてもよく分かっていないのだろう。


「まずいのよ。10年前ならともかく、現在の将棋ソフトの実力はトッププロをも上回るの」


 そう。

 その通りだ。


 2013年と2014年に、プロ対AIの五番勝負が行われたことがある。

 2013年の結果は、プロの1勝3敗1引き分け、2014年の結果はプロの1勝4敗。

 AIと対峙したのは、全員がトッププロだった。

 それでも、結果はAIの勝ちだった。

 AIがトッププロより強くなった。


 この事実は将棋界に大きな衝撃を与えたのだ。

 以後、AIはプロにとっては対戦相手ではなく、研究道具として活用されるようになった。

 そういった説明をカケルにするケイミ。


 カケルがケイミに言う。


「でもさ、勝った棋士もいたんだろ?」

「だから、それは10年近く前のことなの。アンタだってゲームくらいやるでしょ。10年前と今とじゃ、コンピューターの処理能力が全然違う」


 そう。

 2013年のAIならば、まだ未熟な点もあった。

 だが、AIの進化は止まらない。人間が10進む間に、AIは100も1000も進む。

 ケイミが勝ち目がないと考えたのは、あながち間違ってはいない。


 少なくとも、客観的には。


「AIに人間が勝てるわけないじゃない! こんなの卑怯すぎる! 最初から勝ち負けが決まっているわ!」


 ケイミが閻魔王女に叫ぶ。


「はははっ、ケイミちゃんひどいな。カオリちゃんのことを信じていないの?」

「だって……」


 その後も言い争うケイミと閻魔王女。

 ケイミは「勝てるわけがない。卑怯すぎる」と騒ぎ続けている。

 確かに、客観的にはそうかもしれない。


 だが。


「うざったいな」


 カオリはケイミの言葉を遮って言った。


「え?」


 ケイミがぎょっとした顔になってカオリを見る。


「うざったいって言ったの。閻魔王女の言う通りよ。わたしを信じていないの? いいえ、言い換えるわ。将棋の棋士をなめているの?」


 ケイミが驚いた顔をする。


「そりゃね、わたしだってAIの強さは知っている。実家には高スペックのパソコンを導入して、最新のAIとなんども練習対局している。ハッキリ言って、勝てるのは1割程度よ」

「そうでしょう、だから……」

「あなたは何も分かっていない」

「どういう意味?」

「フラッシュ暗算は、正解が1つしかない。だから、もしもあなたの対戦相手がAIだったなら、絶対に勝てなかった」


 鬼数字とかそんな話じゃない。AIは足し算や引き算を間違えることは絶対にない。もしも二回戦で閻魔王女がAIと対局しろと言い出せば、必敗だった。


「でもね、将棋は違う。たった1つの答えを導く競技じゃないの」


 確かにAI将棋は強くなった。だが、それでも完全解析――100%勝てる手順を見つけるには至っていない。

 だから、AIが相手でも人間が相手でも、あるいは鬼が相手でも、盤上の戦いは本質的に変わらない。勝つか負けるか、やるかやられるか、ただそれだけだ。


「この戦いには命がかかっているのよ。普段の対局とは違うでしょう」


 ケイミがそう叫ぶ。


「命なら、私は対局のたびにかけているわ」


 奨励会に入ったときから、ずっと命がけの戦いをしている。一戦負ければそれだけプロへの道が遠くなる。まさに真剣勝負を繰り返してきた。


 カオリにはその自負がある。

 だから、カオリは閻魔王女に言った。


「かまわないわ。素人相手に戦いたいとも思わないから。AIとの将棋勝負、受けて立ってやるわよ」


 カオリが言うと、閻魔王女はにっこり笑った。


「さすが、カオリちゃん!」


 その様子を見て、ケイミは言う。


「勝手にしなさいよ!」


 ブスッとそう言って、ケイミはそれ以上は口を挟まなかった。

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