第二章 救うためと救うため

勇者の願い


「そ……そんな…………っ!? この闇は一体…………つるぎさんの未来に、何が……っ!?」


 そこは、一切の足がかりのない虚無の闇だった。


 奏汰かなたの輝く可能性の光の先。これから奏汰を待ついくつかの分岐した未来の光景。


 これから奏汰を待ち受ける未来は確かに過酷なものだろう。神々が生み出した究極の闇と対峙し、その先にはその根厳たる始原の神々すら待ち構えているのだ。


 ミスラとて、奏汰の未来に明るい希望だけが広がっているなどと楽観視していたわけではない。


 無数の絶望と挫折――――滅びの闇が広がっていることも、充分に予想していた。



 しかしそこには。僅かな光すらもなかった。

 ミスラの虹色の瞳は、一切の輝きを映さなかった。



 無数に分岐するはずの奏汰の可能性は、横を見ても、上を見ても――――どこに視線を向けようと塗り潰された黒だけが拡がっていたのだ。


「信じられない……あれほどの強さと輝きを持つ彼が……彼の未来が……こんな……そんなこと…………っ!」


 ミスラはその虚無を闇と捉えた。しかし今ミスラの目の前に広がるは、彼女がよく知る闇の化身――――真皇闇黒黒しんおうやみのこくこくの闇とは明らかに


「何か……っ! 何かないのですか……!? 剣さんの救いとなるような可能性は…………っ!?」


 ミスラはその虚無と言う名の奏汰の闇に、明らかな動揺を見せていた。

 自らの当初の目的も忘れ、自身の力を振り絞ってその闇の中に光を探した。



 これほどの闇を――――否、これほどのを視たことはなかった。



 そう。これは真皇の持つ闇とは全く違う、


 ミスラは奏汰を救わねばと思った。救わねば――――自らも含むと、そう感じたのだ。



 なんということだろう。



 真皇を救うなどと、泡沫うたかたの世界を救うなどと――――に拘っている場合ではなかった。


 奏汰が抱えているこの無は、文字通り全てを無に帰すだ。

 神々の作った牢獄など、無数に存在する異世界など何一つ残さず全てを消し去る完全なる無。


 奏汰の進む未来には、決して取り返しのつかない虚空が拡がっているだけ。



「なんとかしなくては…………っ! このままでは何もかも……私がいた世界も、剣さんがいた世界も……何もかもが消えてしまう……っ」



 神々は未だ、全ての事象が自らの手の平の上であると考えているのだろう。


 だからこの閉ざされた牢獄の中になんの警戒もなく、超勇者である剣奏汰つるぎかなたならばと考えて送り込んできたのだ。


 四位冠も、大位であった当時の鬼たちも、神々と同様に剣奏汰をその程度の存在と見ていた。の勇者――――の勇者としか考えていなかった。



 しかし違う。彼は――――剣奏汰はそのような次元の存在ではなかった。



 何度も傷つき、心を砕かれ、全てを奪われて尚立ち上がり、支えられ、守られて、戦い続け、その果てに戦いすら超えた領域へと至りつつあるこの光。


 誰も気付いていなかった。あまりにも眩しすぎるその光の中にある、このたった一人の少年の心の中にある、。そのに――――。



「っ!? あった――――っ!」



 自らの持つ力を限界を超えて行使し、奏汰の未来のみならず、過去から今に至る全てを必死に視て回るミスラ。


 彼女はその果てしない無の世界の果てに、ようやく一つの光を見つける。



『ありがとう奏汰……』



 それは、小さな部屋だった。

 小さな部屋にある小さなテーブルに、母子が向かい合って座っていた。



『どうか、胸を張って生きて。たとえどこにいても、何をしていても――――お母さんは奏汰のこと、いつも応援してるからね』



 一目見れば分かる。そこにいる母と子が、どれほどの強い絆で結ばれているのか。

 その母と子が、どれほど二人でそうしていられる時間を大事にしていたのか。



『うん……わかってる』



 それはあまりにも儚いだった。


 しかし今の奏汰にとって、は生きる意味そのもの。


 ミスラはその目の前に拡がる光景に、一筋の涙を落とした――――。



 ――――――

 ――――

 ――



「あ――――……っ?」


「お、おいっ!? 大丈夫かっ!?」


「にょわー!? そこまで負担の大きな術じゃったのか!?」


 気付けば、ミスラの意識は可能性の世界から元の石垣の上へと戻っていた。


 しかしミスラはその双眸そうぼうから涙を零し、両膝を地面へと突いて力なく座り込むと、暫し呆然と荒れた地面を見つめ続けていた。そして――――。


「剣さん……っ。あなたは……………………っ!」


「ミスラ、さん……?」


 ミスラは、心配そうに自分を見つめる奏汰の手を取り、縋るように、懇願するように言葉を発しようと詰め寄り――――しかし、押し黙るようにして口をつぐむと、やがてぽろぽろと涙を零しながらゆっくりと立ち上がった。


 その尋常ならざるミスラの姿に、奏汰もその顔色を変え、何かを覚悟したかのような表情で口を開いた。


「その感じだと――――あんまり良くなかったんだな。俺の未来」


「……ッ。あなたのせいではありません……っ。あなたのせいでは……決して……っ!」


「何が……何が視えたというのじゃ……っ!? 奏汰の未来に、何が視えたのじゃ!?」


 察したようにミスラを見つめる奏汰の横。涙を止めどなく溢れさせたまま首を左右に振るミスラに、なぎもまた悲痛過ぎる表情で叫ぶように問いを投げる。しかし――――。


「剣さん…………どうかこれだけは覚えておいて下さい。これから先の私は、例えどのような事があろうとも、あなたの力になります。あなたがどのような行いをしようと、……」


「ミスラさん……?」


 ミスラの法衣が淡い虹の輝きに包まれる。周囲の草木が僅かになびき、彼女の力の発露を周囲へと伝播した。


「私は真皇の元であなた方が来訪するのをお待ちしています。あの未来を視たからには――――私はこの命をかけて。それが――――この世に住む全ての人々のためなのです」


「そんな……っ!? 俺に出来ることはないのか!? 俺にやれることがあるなら、今からだってすぐにやるからっ! 教えてくれミスラさんっ!」


 奏汰の叫びも虚しく、ミスラの姿は上空へとふわりと浮かび上がると、その姿を薄めていく。

 しかしその姿が完全に消える直前、ミスラはもう一度奏汰と――――そしてその隣に立つ少女――――凪に向かって言葉を残した。


「ならば告げましょう――――超勇者、そして異界の血を引く姫よ。どうか――――例えどのような悲劇がその身に降りかかろうと、互いに握るその手のぬくもりと想いを忘れぬよう――――あなた方二人といつまでも共にありたいという人々の想いは、すでにこの世界に満ちているのです――――」


「凪の、想いを忘れるな…………?」


「そのようなこと……! 言われずとも、奏汰が私のことを忘れたりするわけなかろうっ!? 私とて、奏汰への想いを忘れたことなどない……っ!」


 自らを見上げる少年と少女の眼差しを受けたミスラは悲しげにその瞳を閉じると、最後に一度だけ祈るように現世の街並みを見つめ――――そして、消えた――――。



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