遺されていた答え


「おや……」


 全ての閃光が収まり、広大な空間には虚無だけが広がっていた。

 あれほど渦巻いていた力の奔流も、大気の流れも全てはいだ。


 なぎ新九郎しんくろうも、最後に放った一撃はかつて奏汰かなたが見せた五玉ごぎょくの肉体に光と治癒だけを与える輝きの閃光だった。


 すでに五玉と争う理由は消えたと、二人はそう判断していた。しかし――――。


 宿という無理を通した五玉の肉体は、元より崩壊の定めだった。その身に余る力の反動から徐々に崩壊していく五玉はしかし、そんな静寂の世界で自身の耳に届く確かな鼓動の音を聞いた。


「五玉さん……」


「キキ……これは、これは……なぜ……そのような顔をされます……姫様……」


 静かに目を開いた五玉の目に映ったもの。それは、五玉の身を自身の膝の上に抱く新九郎だった。


 新九郎はその大きく美しい双眸そうぼうに涙を溜め、ただやり場のない思いを抱えて五玉を見つめていた。

 新九郎の深緑色の髪があざやかになびき、その向こうで何も言わずに立つ凪の姿がうっすらと確認することが出来た。


「僕にもわかりません……っ。でも、あなたが母様のことを……とても大事に思っていてくれたのは、わかります……っ。もっと知りたかった……もし戦わなくて済むのなら……母様のことを、もっと……聞かせて欲しかった……っ」


「ホ……なんと、お優しいことか……姿だけでなく、その心持ちまでお母上によく似ていらっしゃる……」


 新九郎に抱き留められた五玉はその目を細め、懐かしさと悲しみに満ちた笑みを浮かべた。


「私は……真皇しんおう様に大恩ある身……こうしてあなた方と刃を交えたこと……後悔はしておりませぬ……しかし……」


 五玉は言うと、自身の小さな手を自身の胸の上に添えられた新九郎の手に重ねる。


「あなた様の……それだけは謝罪いたします……。私にもわかっておりました……もしあなたのお父上が……エリスセナ様を自身の正義のみを頼りにその手に掛けるような男であれば……あなた様がこのように優しく、あの方の思いを宿したまま、こうも立派に育ちはしなかったでしょうからね……」


「五玉、さん……っ。あなたは……どうして……っ。本当に、こうするしかなかったんですか……? なにか、別の方法は……なかったんですか――――っ!」


 自らの言動を謝罪する五玉に、新九郎はついに抑えきれずに尋ねた。新九郎とて、もうわかっているのだ。


 彼ら鬼が、何かから逃れようともがいていることを。彼らにも自分達と同じ絆と想いがあることを。


 それがどうしてこのように刃を交えなければならないのか。

 あの月の日の夜、新九郎が奏汰の前で吐露した思い。


 皆で手を取り合い、異世界の神々から不当に与えられた運命に抗う――――本来ならそうする道こそ正道だったはず。にもかかわらず、なぜそうなっていないのかを新九郎は五玉に尋ねたのだ。


「――――そうですな。今の姫様ならば……そしてそちらに控える巫女様ならば……四位冠の皆様でも見いだせなかった答えに……到達できるやもしれません……」


「辿り着けなかった、答え……?」


 五玉はもはや消えゆく自らの肉体に最後の力を込め、添えていた新九郎の手を握った。新九郎をまっすぐに見つめる五玉の瞳には、ありありとこの世の無念が滲んでいた。


「これは……大位の中でも真皇様に大恩ある……。心して聞かれよ――――……。この牢獄の世界、――――あなた方が現世と呼ぶこの世界は……――――姫様も、そちらにおります巫女様も――――全ては真皇様の中に眠る無数の亡者の魂が生み出した、なのです――――」


「え……?」


 その五玉の瞳に嘘はなかった。


 ただ新九郎と凪。自身の前で神々しいばかりの希望の光を輝かせて見せた二人の姫の行く末を案じる心だけがあった。


「真皇様は、なのです……この牢から抜けだし、自らを待つ家族の元に帰りたいと願うだけのわらべ――――その帰郷の思いがこの世界を、あなた方を生み出したのです――――」


「真皇が――――童、じゃと――――……奏汰と……同じ……」


 五玉が最後の力を振り絞って話すその真実に、凪は愕然とその手に持った赤樫の棒を取り落とし、新九郎はその目を見開いて絶句する。


「しかし……牢を破るためには真皇様の闇を増大させることのみが道……故に、我らはあなた方創られた夢幻の世界の者をこれ幸いとばかりに苦しめ、脅かし、絶望させて闇を集めました――――四位冠の皆様もそれを心苦しいとは思いつつも、元よりあなた方の存在は幻のようなもの――――真皇様の大願叶えば、あなた方も、この世界も――――は、元よりなかったのでございます――――」


 そう話す五玉の姿がついに薄れ、支える新九郎の手が五玉の肉体の重さを感じなくなっていく。しかし間もなく自身の命が終わろうという時になって尚、五玉は最後まで言葉を発し、二人に自らの知る真実を伝え続けた。


「ですが――――ですが姫様――――っ! この五玉にもようやくわかったのでございます……っ! ……っ。あなただけはこの世にあって幻ではない――――っ! この現世でエリスセナ様が遺した最後の輝き――――私は今際の際になってようやく気付きました。エリスセナ様は答えを――――幻の世界も、地獄の世も共に救う方法をすでに示していた……! 吉乃よしの様……っ! あなたがこうして生きていることこそが……その答え……っ!」


「僕が……母様の遺した……答え……?」


 五玉の願いと祈りにも似た叫びは、その時確かに新九郎の心奥を射貫いた。


 そしてその言葉を最後に、五玉の姿はもはや視認できぬほどに薄れ、ただ声だけが響くのみとなる――――。


「どうか――――どうか前に――――前だけを見てお生きなされ――――望む答えは――――すでに、姫様の手の中に――――どうか――――生きて――――……」


 最後に聞こえたその音は、ただただ新九郎の身を案じる祈りに満ちていた。


 唐突に告げられた事実にその理解は追い付かず、死力を尽くした凪と新九郎の胸には、ただ形容しがたい膨大な思いだけが押し寄せていた――――。




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