真実を抱いて


「じゃ、ちょっと行ってぱぱーっと片付けてくるから。私が留守の間、ここのことよろしくねっ!」


「はい――――この五玉ごぎょく、そして我ら位を冠する者一同――――エリスセナ様の無事のご帰還をお待ちしております――――」


 黒く輝く闇の渦の前。


 蒼い金属製の胸当てと肩当てで急所を固め、白い麻地のシャツとズボンに革ブーツ。そしてやや薄汚れた外套がいとうを身に纏った深緑色の短髪の少女が、明るい声と共に振り返った。


 身に纏う薄汚れた軽装とは違い、少女の笑みは太陽のような温かさと輝きに満ち、屈託のない天真爛漫てんしんらんまんな眼差しは、五玉をして直視することがはばかられるほどの神々しさを見る者に与えた。


 彼女の名はエリスセナ・カリス。


 かつて自らが救った世界でと呼ばれ、自身の剣と彼の地に住む人々全てからの想いを背に、神すら喰らう邪竜を調伏ちょうぶくせしめた真の聖女。


 彼女が救い、守った世界は今や人と魔、そして邪竜すらもが互いに手を取り合い、傷ついた大地を癒やすために日々を懸命に生きているのだという。


 しかし――――その世界に彼女はいない。


 余りにも人として、勇者として高位に至った彼女の力と人望を恐れた神々はエリスセナを廃棄処分とした。


 地獄へと送られたエリスセナは真皇しんおうに取り込まれる前にその強大な力をもって脱出。自身とこの世の真実を知り、こうしてに旅立とうとしていた――――。


「でも厄介だよね……強い力を持つ人は通れない結界なんてさ。この門を潜れば、私は一度レベル10くらいになっちゃうし、――――ちょっと不安だけど、まあなんとかなるかな? な、なるよねっ!? ねっ?」


に設定しております――――十年後、本来の力と記憶を取り戻されたエリスセナ様は現世にて――――速やかに残された四位冠の皆様を現世へと招き入れ、それをもってこの牢を破壊する手はず――――どうか、どうかそれまでは御身の安全を第一にしてくだされ――――……っ!」


 いざその時となって不安げにきょろきょろと辺りを見回すエリスセナ。


 どこか怯える小動物のような保護欲を喚起させる彼女の姿に、五玉は深々と頭を下げ、一切の嘘偽り無い彼女の無事を懇願こんがんする。


「うん……いつもありがとう、五玉さん。本当なら、もっと誰も苦しまない方法で皆を助けないといけないのに……。私たちの力が足りないから――――」


「ああ……エリスセナ様……っ。我らこそ、皆様の御力になれず……っ!」


 エリスセナは最後に五玉を振り向いて笑みを浮かべた。そしてその使い古されて汚れた外套を颯爽とひるがえし、目の前の闇の中へと決然けつぜんたる一歩を踏み出していった。


「大丈夫――――私が全部終わらせてくる。五玉さんのことも、真皇のことも、他の皆のことだって――――もう私は一度救えたんだもの。きっと上手くいくはず。また会おうね、五玉さん――――っ!」


 

 それが――――五玉が最後に聞いた彼女の声だった。

 エリスセナが最後に見せたその姿を、五玉は決して忘れたことはない。


 五玉にとって、彼女こそが勇者だった。どんな者に対しても分け隔てなく接し、優しさと気遣いを忘れず、自身が困っていれば遠慮せず周囲の者に助けを求めた。


 五玉はそんな彼女の力になりたかった。彼女が今も多くの苦難を背負い続けていることはわかっていた。エリスセナが背負う荷の重さを、僅かでも肩代わりしてやりたかった――――。



 しかし――――エリスセナが地獄へと戻ることはなかった。なぜならば――――。



「あの男――――ッッッッ! だ――――ッ! あの男がエリスセナ様を殺したのだッッ! あなた様の父、徳川家晴とくがわいえはるは自らの妻となったエリスセナ様の正体が鬼と知ってその手にかけ、無慈悲に血の海へと沈めたのですぞッッッッ!」


「あ……ああ……? なに……を……? 何を言ってるのか、わからない……っ。わからない、ですよ……。父上が……? 母様を……殺した?」


「ギギギギギギギ! なんとお労しい――――このようなおぞましき真実、話せようはずがないッ! 愛などと、絆などとのたまってエリスセナ様をたぶらかし、あの方の優しさにつけ込んでその命を奪ったあのような惰弱な男に、このような真実を話せようはずがないッッ!」


 今や全長百メートルを超える巨躯と化した五玉が、その瞳から血涙を止めどなく流して雄叫びを上げる。

 先ほどまで一分の隙も無く、ついに完成されたかに見えた新九郎しんくろうの剣が震え、その身に宿した


 五玉の阿修羅と化した肉体から邪気が漏れ出る。四つの面がその目を見開き、新九郎へと赤熱した破壊の光を放とうと収束を開始する。


「ご安心下さい姫様……。暫しの間、眠っていて頂ければ良いのです。この残酷な世界も、なにもかも――――すぐにこの五玉めが終わりにしてさしあげましょう。姫様は何も考えず、ただ目を閉ざし、耳を閉ざして頂ければ良いのです――――」


 惑い、ひび割れた新九郎の心に、五玉の穏やかで優しい声が染みこんでいく。


 ――――倒すべき敵だ。


 本来ならば、そのような者の発する言葉に心揺れ動かされる必要など無い。虚言きょげんを繰り出し、相対する者の心に迷いを生む。それは戦の極意でもあり初手の初手だからだ。


 しかし新九郎にはわかってしまった。


 五玉は決してそのような意図でこの事実を話してなどいない。新九郎と全く同じ、一人の女性をその心に思い描いている。優しく強く――――しかしどこか頼りない、最愛の女性の姿を。しかし――――!


「たとえそうだったとしても――――っ! それでも――――我らがやるべきことは一つじゃ、新九郎ッ!」


「っ! な、なぎさんっ!?」


 今まさに新九郎の心が折れる。そう思われたその時。一条の閃光が阿修羅像の頭部めがけて飛翔した。それは現世の神代の巫女――――神代凪姫命かみしろのなぎひめ


「迷うなとは言わぬっ! 迷うならば、なぜと思うのならば――――なんとしても生きるのじゃ新九郎っ! 生きて生きて、どこまでも生きて答えを探すのじゃ!」


「おお……なんとまばゆい……ッッ! これが、これが神代の姫の――――」


 超高速で飛翔する凪は、自身の周囲を囲む神符を縦横無尽に駆って阿修羅像からの攻撃を躱す。

 巨大阿修羅の頭部から無数の熱線が放たれれば破神弓はじんきゅうを連射して相殺し、合計二十四本もの腕から繰り出される巨大すぎる武具の連撃を、白銀の光翼を展開して置き去りにする。


 それは正に神域の攻防だった。


 決して折れることなきその心をそのまま光と化したような凪の輝きは、五玉を怯ませ、新九郎の心に熱い血潮を送り込む。


「動け――――っ! 動くのじゃ新九郎っ! お主はまだ生きておる! 迷いも疑念も、この場を切り抜けた後に将軍様に直接問えば良いのじゃ! お主はまだ、真実を知ることが出来るっ! お主を産み育ててくれた母のためにも――――――――動くのじゃ、新九郎――――っ!」


「――――はいっ!」


 その凪の言葉に、一度は霧散しかけた新九郎の虹が再びその輪郭を露わにする。


 もはや光速すら置き去りにする新九郎の蒼い虹は、一瞬にして凪の白銀の閃光と合流。まるで天へと昇る双頭の龍の如き威容となって阿修羅像の頭頂部も超えて上昇していく。


「なんと、なんという強さ――――! なんという心の強さか――――! 神代の巫女、あなた様は気付いているのですか!? あなたの――――それは――――!」


ッ!? もはや奪われ、消え去った皆の命は二度と帰らぬ! 私はここにおる新九郎と奏汰と――――皆と手を繋ぎ、共に今を生きる者――――神代凪姫命じゃ!」


 それは、かつて五玉が見たいかなる光よりも強烈な輝きだった。尋ヶ原じんがはらで見た奏汰の輝きよりも――――エリスセナが見せた虹よりも眩かった。


 凪の銀と新九郎の蒼。


 蒼穹に白銀の清浄を孕んだその絶世ぜつよの輝きに、五玉は目を奪われずにはいられなかった。


「凪式――――! 終之祓ついのはらえ・改――――降神影日向大御神こうしんかげひなたおおみかみっ!」


 白銀の輝きが収束する。


 凪の小さな体、その一点へと集められた神力がその有り様を変える。

 凪の美しい黒髪がながれるような、その瞳が蒼のみに染まる。


 小さな凪の体躯が光の中で一時的に形を変え、凜とした天神の姿を取る。


 最早完全に大魔王の血を我が物とした凪はその膨大な魔力を破神弓はじんきゅうへとつがえ、かつてラムダが見せた因果終滅砲ラムダヴァラーストラに匹敵するエネルギーの収束へと導く。そして――――!


「合わせます――――っ! 天道回神流てんどうかいしんりゅう――――蒼之終型あおのついけい!」


 その輝きが頂点に達した時。もはや五玉は抵抗することも出来ず、ただその光を呆然と見つめていた。


 それはあまりにも強く、尊い光だった。

 それはかつて、彼が愛した女性の内に見た光によく似ていると思った。


「いざ――――真・虚空輪壊之一矢こくうりんかいのいっし!」


「――――月虹一刃げっこういちじん!」


「ギ……ギギギギ……! ギギギギギギギギギギッッッッ!」


 放たれた蒼と白銀。二つの光は五玉を収めた巨大阿修羅像全てを余すことなく飲み込み、光の濁流と化して押し流していった――――。

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