第二部

第一章 お江戸の少年剣士

勇者、初夏を迎える


 瑞々みずみずしい緑の葉が幾重いくえにも重なった木陰の下。

 静謐せいひつさと清浄さ、そして穏やかさをたたえる神代神社の境内けいだい


 奏汰かなたが江戸に降って来てから一ヶ月が経ち、季節は春の終わりから明確な初夏へと移り変わっていた。


 神社を囲む鬱蒼うっそうとした木々の外に出れば、まだ早朝だというのに鋭い初夏の日差しが降り注いでいる。

 それと同時に空気はどこか湿り気を帯び始め、乾燥と強風が江戸に住む人々を悩ませる時期はようやく一段落となる時期を迎えていた。

 

「にょにょ! どうじゃろう奏汰よ。な、町のあちこちに貼るのじゃ!」


「おお!? 読めないけどなんか凄いな!」


 そしてそんな穏やかな時分を迎えた神代神社の拝殿はいでん横。

 なぎと奏汰が暮らす平屋から今日も二人の元気な声が響く。


 大きな蚊帳かやを部屋の四隅から取り外して片付けを行う奏汰に、凪は起き抜け早々なにやら黒く汚れきった和紙を取り出すと、そこに水だけをつけた筆でちょいちょいと書をしたためていた。


「じゃろじゃろ? これはな、奏汰が始めると言っていたを宣伝するためのものじゃ。『鬼にお困りの皆々様。神代神社の勇者、剣奏汰つるぎかなたまでご相談下さい。すぐに退治いたします』と書いたのじゃ」


「おおおお……! 凄くいいなそれ!? でも、どんなところに貼るのがいいんだ?」


「そうじゃな……。今ならやはり麦湯屋むぎゆや飯屋めしやかの。特に麦湯むぎゆはそろそろ稼ぎ時じゃろうしの」


 凪はそう言うと、ぴょんと跳ねるようにしてまだ敷かれたままの布団から飛び起きると、並べられた奏汰と自分用の布団を手際よく畳み、ぽいぽいと縁側に並べた。

 二人の布団はいつもであれば部屋の隅に重ねるのだが、今日は天気も良いので日に当てておくつもりなのだろう。


翠の大位すいのおおくらいを倒して以来、鬼の動きは落ち着いておる。じゃが、あやかし達の話では今も市中にはちょろちょろと雑魚鬼がうろついているようじゃ。鬼にも色々種類がおるからの、どいつもこいつも派手に動くわけではないのが厄介極まりないところじゃの」


 布団の片付けを終えて広々とした板敷きの部屋に、凪は早々と折敷おりしきを並べ、昨夜のうちに作っておいた汁に乾燥した菜っ葉を入れたものと、釜の中に残る雑穀飯を椀についで並べていく。


「なるほど。やっぱり前触れもなくいきなりどっかから来るってのが厄介過ぎるな。 ――――あ、そういえばちょっと凪に聞きたかったんだけど」


「にょ? なんじゃ?」


 奏汰もそこに味噌漬けにされた魚の切り身を添えたりと手伝っていたが、突然ふと思い出したように凪に尋ねた。


「江戸で鬼を退治してるのは、凪やあやかしのみんなだけなのか? 江戸時代っていうなら、なんだっけ……たしか、お殿様? ってのがあるだろ? その人たちは鬼と戦ってくれないのか?」


「ほむ、そうじゃな。確かにお上も鬼は退治しておるぞ。ただし――――」


 凪は奏汰の問いにほむほむとうなずきながらも、ささっと二人分の箸を並べ、あっという間に朝食の支度を終えてしまう。

 そして自分と奏汰が座るための敷物を置くと、話の続きを待っていた奏汰にも座るようにうながした。


「お上にも討鬼衆とうきしゅうというのがおってな。その者達が率先そっせんして鬼狩おにがりを行っておる。おるのじゃが……」


?」


「江戸はとてつもなく広い。そしてその広い江戸の内、武家の者達が住んでいる場所が七割。あやかしや他の町民が住んでいる場所は残りの三割じゃ。ほとんどが武家の管理する領域になっておる」


 凪は目の前に並べた食事には手をつけず、実に洗練された正座姿勢で奏汰を見つめ、至極真剣しごくしんけんな口調で続ける。


「なのでな、お上は武家の領分を守るので手一杯なんじゃ。むしろ、今のお上はよくあやかしや神代かみしろの力を頼みにせずに武家町を守れると感心するくらいでの」


「そうなのか。じゃあ、その討鬼衆って人たちはかなり強いんだな!」


「まあの。流石にやりおるぞ。しかしの……一番強いのは将軍様自身じゃ」


「将軍様が一番強い……?」


 将軍自身が一番強い。

 凪の発したその信じがたい言葉に、奏汰は首をかしげて再度尋ねた。


「奏汰もきっと将軍様を見たら驚くこと間違い無しじゃ。お主も信じられん程強いが、将軍様も出鱈目でたらめな強さでな。案外気が合うかも知れんの」


「へええ……! 王様が自分で自分の国を守ってるなんていいな!」


 凪の話に、目を輝かせて興味津々きょうみしんしんとなる奏汰。奏汰が今まで異世界で見てきた王達にも立派な者は何人かいたものの、さすがに自ら大魔王と刃を交える者はいなかった。

 

「にゃはは。流石にずっとそうだったわけではないぞ? あくまで今の将軍様がおかしいのじゃ。 ――――ほれ、そろそろ食べぬか? 私もお腹が空いたのじゃ!」


「はは、わかった! 俺もいつか会ってみたいな!」


 奏汰はそう言って笑うと、凪と共に両手を合わせ、大きな声でいただきますの挨拶をするのであった――――。


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