雪の街

 街。雪が降っている。

 最初に彼女と出会ったのも、こんな雪だった。

 どうでもいい路地裏。自分の人生とは特に関係のない、一生通らなくてもいいような道。普通の人生が、どこか、いやになっていて。なんとなく、死に場所みたいなさびれたところを探していたのかもしれない。

 その路地裏に、彼女は倒れていた。全身が血だらけで。介抱しようと思って、それが返り血だと気づいた。彼女とは、それからの関係。仕事については、教えてくれなかった。訊いても、正義の味方だと言ってにこっと笑うだけ。返り血でどろどろになって路地裏に倒れる正義の味方というのが、なんかおかしくて、そして、それ以上訊けなさそうで。どこか、切ない顔をしていた。それも覚えている。

 なるべく、彼女の側にいようと思っていた。普通で、特に何の取り柄もない人間。特殊なものを、なにひとつ持ち合わせていない。どこまで行っても、自分の人生は普通だった。そんな中で、彼女だけは、自分にとっての特別になった。

 重かったかもしれない。彼女の、血みどろの人生に。自分は、寄り添えないのか。どれだけやさしくしても。どこまで側にいても。彼女の芯にある、索漠とした何かには、近づけないのかもしれない。

 普通の人間。普通の人生。周りだけが、どんどん個性をもち、人になっていくのに。自分だけが、取り残されたような感覚。自分だけが、人ではなく、機械みたいな。そんな状態でも、彼女の隣にいるときだけは、人でいられる気がした。彼女の、恋人として。血だらけになって帰ってきたり、数日間も目覚めなかったり、突然いなくなったり。そんな彼女と一緒にいて。彼女の隣が、自分の居場所だと思って。いや、そう勘違いして。

 普通の人間だったから。やさしくすることしか、できない。普通の人が持つ、個性的なアタッチメントが、できない。普通が、いちばん、普通ではない。普通の人が普通に持っている人としての何かを、自分は持ち合わせていなかった。やさしくするだけ。

 もともと、普通の人生を終わらせたくて。死に場所を探して。そして、彼女に出逢った。幸運だったけど、それが、彼女にとっての幸せになったのかは、分からないまま。

 やさしくすればするほど、彼女の索漠とした何かを、拡げてしまう気がする。それでも、自分には。やさしくすることしか、できない。

 雪。

 きっと彼女は、もう、帰ってこない。

 そして自分も、もう、帰らない。

 いい人生だったのかは、分からないけど。彼女の隣にいる間は、幸せだった気がする。もう、遠い記憶みたいに、色褪せて。ばからしい。ついさっき、部屋を出てきたばかりなのに。

 それでも。

 帰ることはないし、彼女も帰ってはこない。

 自分の人生は終わり、彼女はきっと、血だらけになりながら、生きていく。

 彼女の隣にいたかった。でも、彼女の心に。索漠とした何かに。やさしくするだけの自分は、寄り添えなかった。やさしさが、人を刺すこともある。分かっている。だから、もう。いない。彼女の隣に、自分は。

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