第7話 ジャックに語りかける時

 午前七時。

 ライセンスは車の脇に立ち、静かに遠くを見つめていた。

 澄んだ冷気を思いきり吸い込むと、二メートルの巨体が打ち震えた。

 やがてブリウスがやって来た。クリシアを連れて。


「ミスター・ライセンス。よく眠れたかい?」

 笑顔で応える。

「ああ。何より空気がうまい。生きた心地がする」

「そして朝はこれ」と言ってブリウスは拝借してきた新聞を渡す。

「俺たちのこと、まだ載ってないぜ」



 ブリウスはキーを回し、アクセルを吹かした。

 三人を乗せた車はまた走り出した。

 しばらく経って後ろのライセンスが身を乗り出した。


「……ブリウスよ。北へ向かうのでは?」

 車は来た道をまた戻っている。

「ああ。大事なこと思い出してね。〝ジャック〟兄貴のとこへ寄らなきゃ。付き合ってくれるかい?」

 ルームミラーに映るブリウスの切ない眼差し。

 ライセンスは表情を変えずに小さく頷いた。

「……わかった」


 ****


 結局ヘヴンズフィールドへ舞い戻った。

 クリシアの道案内で山手の小高い丘を目指した。

 生い茂る緑の山道を抜けると光が射し込んだ。

 そこは海の見える小さな広場。

 その慎ましく豊潤な光景にライセンスは思わず声を発した。


「……ここは楽園か?」

「いや、墓地さ。ジャックのな」


 車から降りる三人。

 芝に覆われた敷地のほぼ中央、平らな二つの墓石が顔を出している。



 〝 ジャック・パインド ここに眠る 〟



 ブリウスとクリシアは膝をつき、祈った。

 ライセンスはじっと見届けた。

 潮風が濡れる頬を宥める。

 波が静かに泣いている。

 ブリウスは煙草に火を着けた。

 ジャックのための一本を。


「……やあ、ジャック。どうしてる?」

 白い墓石の向こう、耳を澄ませばあの熱い息吹が聞こえる……。



 ****



《……俺だよ、ジャック。どうしてる? ブリウスだ……久しぶりだな。あれからどうなった? 何処を彷徨ってる? ……それとも信じていたように生まれ変わったのかい? 俺は……ムショを抜け出してきた。衝動で誘いにのっちまった。あそこじゃ真面目にやってたさ。掃除も工場の作業も。狭いところだけどいろんな人間に出会った。それはそれで良かったと思ってる。

 ずっと俺は考えてた。何のために生まれてきたのか、生きてるのか、生きる意味があるのか。

 ムショで一緒に過ごした爺さんが言ってた。〝実は何もねえんだ。何か特別なことをするために生まれた奴なんざいねえ。自分の意志でこの世に出てきたわけじゃねえから。あるとしたら子孫繁栄。子作りぐれえのもんさ〟ってな。〝それは誰もがブチ当たる疑問だ。真っ当にやってて何もかもがマヤカシに思えてくる。そんな時は確かなものを見据えるんだ。全てのものは息絶える。明日はわからない。確かなものとは死だ。そこから生命が見えてくる。存在そのものが特別なんだ〟……〝一度自分から離れて、自分自身を見つめるこった。生きる意味や価値は自分で決めるんだ〟……〝初めっから何もねえ。無に帰れ。土地の一部になれ。お前さんは一人じゃねえ。みんな繋がってんだ〟

 爺さんは笑ってた。死ぬ時も悔いはねえってな。

 そう、俺たちは土地の一部。この星の一粒にすぎない。人間自ら作ったルールの中で苦しむ。差をつけようと。神様にはそれが真実か嘘か、だけなのに。けど、どんなに落ち込んでも俺にはやっぱりクリシアがいる。彼女はいつまでも俺を信じて待っていてくれる。互いに必要としてる。彼女の笑顔が何よりの救いなんだ。こうやってまた心配かけちまったけど……大切にするよ。

 ジャック、俺たちはいつまでも一緒だ。寂しくなんかないだろう? ジャック、また来るよ。いつか逢える日を信じてる。永遠の友よ……》



 悠々と流れる雲の切れ間から光が囁いた。

 また逢えるさ――ブリウスにはそう聞こえた。

 暮石の上、白い円筒形の灰が風に吹かれる。

 クリシアはそっとブリウスの手を握り、微笑んだ。


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