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 慶長八年、京極若狭守きょうごくわかさのかみの居城である小浜城で、丁髷ちょんまげに結い鴎尻かもめじりに太刀をいたかみしもを着た武士が、レヴィ=ストロースの『親族の基本構造』を読んでいる。そうした光景を思い浮かべてほしい。『親族の基本構造』の議論を理解するためには、ある程度の数学的な知識を持っていた方が心強い――そうでなければ、交叉イトコ婚と並行イトコ婚、及び、インセスト・タブーを抽象的にしか捉えられない――のはもちろんである。しかし、時代は慶長八年、舞台は若狭国わかさのくにの小浜城である。


 上記のことは、矛盾や錯綜を意味しない。むしろ、調和を表わしていると言ってもいい。しかし、この文章がハーモニーを奏でるためには、片方を形容的な用語として扱わなければならない。つまりこう置換される。まるでレヴィ=ストロースの『親族の基本構造』を読んでいるような、丁髷に結い鴎尻に太刀を佩いた裃を着た武士……こうした文章に直せば、その意味が通じないこともないし、調和を示しているといえなくもない。


 しかしここで問題となってくるのは、まるでレヴィ=ストロースの『親族の基本構造』を読んでいるような、とはどういうなのかということである。「インテリゲンチャ」や「スマート」となものなのだろうか。だとしたら、いままで示してきたようなを用いることに必然性が伴わないことになる。つまり、あるを選びとることは、偶然に近いのである。より簡潔に表わすならば、「まるで~のような雪」というときの「~」には、任意の表現を入れることができる。そして書き手により選びとられた「~」には、必然性が宿ることはまれである。


 と、こういう導入から――空想の接木で資料を繋げた――物語をはじめると、筆者を衒学的げんがくてきな書き手だと誤解される方がいることだろう。しかし、待ってほしい。上記のものは、彼女の日記からしたものである。


 彼女の名は、曾野藍子そのあいこ。小説家になりたいという夢を、自分の書く文章を分析することによって放棄した女性で、いまは商店街にある本屋――彼女の実家――でバイトをしている。年齢は二十歳。大学を卒業した後は、郷里で働くことに決めている。彼女は高校生のときに、好きでもない同級生と一夜をともにし、処女を捨てたと、日記の序文には書いてある。のみならず彼女の日記には、こんなことも記されている。


《わたしの死後、この日記を公開してください》


 つまり、藍子はもう死者の中に数えられているのだ。しかし彼女はこんなことを日記に書いていた。


《天国で何人もの男性と肌を重ねることで、地上のくだらなさを証明して見せます》


 これから我々は、藍子と、彼女の身勝手に振り回された男性たちのことを、彼女の視点から見ていこう。最初の男性の名は、櫛林小太郎くしばやしこたろう。当時、三十歳で、葬儀会社に勤めていた。いまも存命である。しかし筆者とは会いたくないと言っている。そのことも、小太郎を描く理由のひとつとなっている。無論、彼にはなんの非もない。この物語を記すことは――それも藍子の視点から――許可を得ていることもあらかじめ断っておく。


 しかし、一話だけ、筆者に猶予ゆうよを与えて頂けないだろうか。

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