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 筆者はいくつもの資料に基づき、で物語を書きはじめた。しかし段々と、実験的な作風に変わっていった。作風――というと、少し違うかもしれない。正確に言うならば、彼の遺言を忠実に再現しようと焦るあまり、それまでの比較的に整然とした体裁を失してしまったのだ。


 だがこの度、鹿島の「余生」にまつわる新資料が発見されたことを受けて、筆者は当初のに回帰することにした。初心に返るべきだと思ったのだ。


 しかし「彼女」と「彼女の母」の氏名はおろか、庫裏くりの所在や、何年頃の出来事かということは、資料からは特定できなかった。そのため筆者は、いくつかを働かせざるをえなかった。


 その際、新資料の提供者であるO・Y氏により、いくつもの助言を受けた。創作的な文章を専らとする筆者に対して、在野の研究者でもあるO・Y氏は、実証性を重んじ、これらの資料を検討してくれた。そして、その真偽を確定できない箇所の多くを、想像で穴埋めすることにした。


 先日、O・Y氏より鹿島の「日記」の一部を受けとった。それは「日記」というより、感想文と言って差し支えなかった。いや、読書記録と言った方がいいかもしれない。


 つまり鹿島の「余生」は、読書とともにあったわけだが、O・Y氏によると、彼が生活した庫裏からそれほど離れていないところに、書店があったらしい。もうすでに店じまいをしてしまったとのことだが、その後、そこで働いていた女性に聞き取りをすることができた。すると彼の「余生」を、彼女の側からいくつか記述することが可能となった。


 実験的な作風がなりを潜めたことに対して、不審を抱いた方から、遺族の方々へ質問状が届いたということがあったと聞いた。そこで、本作における筆者の文章や構成の変奏について、特記しておきたいと思った。


 新たな資料を駆使して、「書店」にまつわるあれこれを記すより先に、とにかく、鹿島の「余生」について書かなければならない――とその前に、本作の関係者である遺族の方が、この前お目にかかった際に、こんなことを仰っていたことを、一応、ここに書き添えておきたい。


《鹿島さんは、あのひと(灯夏のこと)と出会わなければ、息子のことを忘れなかったでしょうに。××さん(筆者の名前)、鹿島さんのことは、あまり書かなくてもいいと思いますよ》


 というのは、「仔細しさいに」ということであろう。しかし彼の遺言に忠実に従うならば、要点をできるだけ正確に書くよう努めるべきであり、現にいままで、そうしてきたつもりだ。そのことが理解されていなかったことに、筆者は自らの実力の不足を痛切に感じている。


 無論、本作の文責はすべて、筆者が負っている。

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