42

18-02 倫理観が欠如した人間ではなく、倫理のようなものを鋼鉄の珊瑚礁さんごしょうに突き当てて、そこへ乗っていた倫理的動物を動揺させようと試みるエンジンになりたいと思ったことがあります。つまり、わたしは倫理というものを信用していないけれど、倫理を転覆させる先にあるもの、露悪的に言うなら、珊瑚に隠れた小さな魚たちの餌となった、わたしたちの倫理的な細胞の行く末については興味があるのです。ひとはそれを、破壊慾求だとか厭世主義だとか言いますが、わたしはこれを、功利主義の末裔のように思うのです。


18-03 功利主義の末裔は、薄い鉛筆で習字をしているだろう。そして、わたしたちのしている(していた)習字を、倫理に通ずる根茎こんけいの一端として退けてしまうだろう。


22-01 わたしたちは、あらゆる人間が「他人」であることを知りながらも、わたしにとってかけがえのない存在をそこから選び取り、「他人」という集団に序列をつけて生きている。もし「他人」から序列を剥ぎ落すことができれば、嫉妬や依存は不要になるだろう。しかし、わたしが、わたし自身を「他人」として措定そていできない限り、自己嫌悪と己惚うぬぼれを持たなければならない。


22-02 謙遜は美徳ではない。わたし以外の「他人」がいることの証左にすぎない。


22-03 もし「他人」だけの国があるとしたら、わたしはエイリアンであろうか。それとも「わたし」という領野だけがあり、「他人」というのは無数のエイリアンの言い換えに過ぎないのだろうか。しかし、こうした二項対立的な思考を脱構築してしまえば、わたしたちは、エイリアンの星で、嫉妬、依存、自己嫌悪、己惚……そして謙遜と戯れることができのるかもしれない。


35-03 懶惰らんだ無聊ぶりょうを同時に表す語があるとしたら、おそらくPlatonic Loveだけである。


35-04 もしPlatonic Loveでない関係を持ってしまったとしたら、永遠に手にすることのできない純心を追い求めるしかない。しかしもし、その純心を手に入れてしまったとしたら、朽ちた老木になったということに甘んじなければならない。


42-04 わたしたちは、過去に実現したかもしれないを、未来において、壮大に実現させようと苦心するものだ。しかし未来のわたしたちは、その先の未来において、同じことに苦心するだろう。


   ――――――


 鹿島は、カレン・オーの箴言集を閉じると、由紀に電話をかけた。繋がらないと思っていたのに、繋がってしまった。もう、観念するしかない。芯の太い鉛筆で、雪舟の贋作の掛け軸に線を入れるような心持で、言った。

「一度、会って話さないか」――と。


   ――――――


42-05 わたしたちは、おそれと謙遜さえなければ、いくつかのことを成しうるのかもしれない。もちろん、その「いくつかのこと」というのは、ちっぽけなことばかりではあるのだが。そして、そのちっぽけなことは、いくらがんばっても、加算に反撥はんぱつするだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る