41
性交という哲学的な思索の失敗、即ち、肉体的な対話の実践の萌芽は、一冊の書籍を書き下ろすに値する
しかし気まぐれに、泥濘に一輪の向日葵が咲くように、肉慾は鮮やかで凛々しい華としてベッドに屹立し、西洋美術史のおさらいをする。フェルメールの絵画が交易の象徴である地図を描いていたように、わたしたちはなんらかの象徴をふたり(時にはそれ以上のこともあるけれど)に見出す。
「守備職人の遊撃手は最短距離でボールにたどり着く。攻撃的なサイドバックはセンタリングの精度が高い」
「スポーツならなんでも好きなのね」
「スポーツというより、選手たちの一挙手一投足に惚れているんだよ」
バーの隅でひとり思索に耽っている鹿島は、若いカップルの会話に耳を傾けることもないではなかった。その思索というのも、考えたり考えなかったりと、一向にまとまる気配はなかった。
思索とは、大体、こういうものである。
莉緒の母と肉体的な交わりをもってしまったが、それをどこまで続けていくべきだろうか――根本的な問題である、と同時に、灯夏と交わした言葉にも、それは含まれていた。
どこまでこの関係を続けるべきか、という思索は、なにを目的にこの繋がりを維持しているのかと問うことに等しい。しかし鹿島には、その目的というものが分からない。だけれど、なし崩しにそうなったわけではないだろうとも思う。
いままで関係してきた女性の中で、唯一「付き合っている」ことに目的を有していたのは、由紀だけである。そして由紀との性交の上での問題のために、不倫へと走った。つまり、灯夏との関係においては、ある程度の理由が存在するのだ。
この後、莉緒の母との約束がひかえている。愛を空洞化した性交のためだけに、この夏真っ盛りに会う。スマホのメッセージの履歴を見ても、そうした目的のための物語が紡がれているだけで、特筆すべき逸脱はない。
夏を越えたら、灯夏を探してみよう。必ず、北にいる。雪国にいる。それは、間違いない。彼女はもう、北から離れることはできない。しかし、どうやって探せばいいのだろう。もう連絡先を失している。関係は解消されたと言っていい。
二度と、会うことはできないのだろうか。だとするならば、死んでしまってもいい気がする。鹿島は、そう思わざるをえなかった。
* * *
由紀――筆者は、この人物について、ある時から一切触れてこなかった。しかしもう少し辛抱してほしい(もし、この人物に関するあらゆる問題に関心がある方がいるとしたら)。由紀はすでに、
筆者は、まだ、鹿島のことについて書かなければならない。鷺の物語をもう一度紡ぐのは、もう少し先のことである。まだまだ、彼に関する資料は残っているのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます