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 性交という哲学的な思索の失敗、即ち、肉体的な対話の実践の萌芽は、一冊の書籍を書き下ろすに値する現象フェノメノンだと思われるが、肉慾は哲学の外部に放擲ほうてきされ、不埒ふらちな営為という認識を払拭できず、清冽な湖に沈湎し泥濘ぬかるみに足を取られる。


 しかし気まぐれに、泥濘に一輪の向日葵が咲くように、肉慾は鮮やかで凛々しい華としてベッドに屹立し、西洋美術史のおさらいをする。フェルメールの絵画が交易の象徴である地図を描いていたように、わたしたちはなんらかの象徴をふたり(時にはそれ以上のこともあるけれど)に見出す。


「守備職人の遊撃手は最短距離でボールにたどり着く。攻撃的なサイドバックはセンタリングの精度が高い」

「スポーツならなんでも好きなのね」

「スポーツというより、選手たちの一挙手一投足に惚れているんだよ」


 バーの隅でひとり思索に耽っている鹿島は、若いカップルの会話に耳を傾けることもないではなかった。その思索というのも、考えたり考えなかったりと、一向にまとまる気配はなかった。


 思索とは、大体、こういうものである。


 莉緒の母と肉体的な交わりをもってしまったが、それをどこまで続けていくべきだろうか――根本的な問題である、と同時に、灯夏と交わした言葉にも、それは含まれていた。


 どこまでこの関係を続けるべきか、という思索は、なにを目的にこの繋がりを維持しているのかと問うことに等しい。しかし鹿島には、その目的というものが分からない。だけれど、なし崩しにそうなったわけではないだろうとも思う。


 いままで関係してきた女性の中で、唯一「付き合っている」ことにを有していたのは、由紀だけである。そして由紀との性交の上での問題のために、不倫へと走った。つまり、灯夏との関係においては、ある程度のが存在するのだ。


 この後、莉緒の母との約束がひかえている。愛を空洞化した性交のためだけに、この夏真っ盛りに会う。スマホのメッセージの履歴を見ても、そうしたのための物語が紡がれているだけで、特筆すべき逸脱はない。


 夏を越えたら、灯夏を探してみよう。必ず、北にいる。雪国にいる。それは、間違いない。彼女はもう、北から離れることはできない。しかし、どうやって探せばいいのだろう。もう連絡先を失している。関係は解消されたと言っていい。


 二度と、会うことはできないのだろうか。だとするならば、死んでしまってもいい気がする。鹿島は、そう思わざるをえなかった。


     *     *     *


 由紀――筆者は、この人物について、ある時から一切触れてこなかった。しかしもう少し辛抱してほしい(もし、この人物に関するあらゆる問題に関心がある方がいるとしたら)。由紀はすでに、さぎの物語に関わる人物のひとりとなっているからだ。


 筆者は、まだ、鹿島のことについて書かなければならない。鷺の物語をもう一度紡ぐのは、もう少し先のことである。まだまだ、に関する資料は残っているのだから。

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