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 莉緒の母は――彼女は、パラソルを真深く下ろした。二人は恥じらうことなく衆目の前で、息継ぎさえ惜しいように、濡れた舌を絡め合い撫で合いした。それは衆目からは一輪の華のように見えただろうし、目ざとい人からは、茎と花弁のほかに、僅かな枝が見えたかもしれない。そして何人かは、その枝を二、三度撫でた彼女の手の動きを見て、幹を生やさんばかりの激情に駆られたかもしれない。しかし二人は、それを知ることはない。


「下、穿いてないの」


 彼女はパラソルの下で鹿島にもたれかかりながら、そう囁いて彼の耳朶じだをねっとりと舐めた。平生は淫奔いんぽんな性格ではない彼女だが、鹿島の前では慾求をベールの後ろへ隠そうとしなかった。露骨に――を口にしたし、赤裸々に――を告白したし、――に触れるのに躊躇ためらいがなかった。鹿島はいささかそれに食傷していたが、彼女に依存されているということに悪い気持ちは抱かなかった。むしろ、どれくらい依存させることができるのかをたのしんでもいた。


「もう少し人がいるところで、めくってくれると、たかぶるのだけれど」


 彼女は、心からの自分の注文が叶えられないことに苛立ちを覚えながらも、だからこそ、ひとりの人間を愛しているのだという気持ちになることができた。思い通りにコントロールすることが不可能な、自分と同じ人間であるという実感こそが、不倫の定義を満たし娯楽として成立させていた。だから、甘えてもつれなくされるという繰り返しの中に、彼女の淫猥な心地をうずかせるものがあるのだ。


「あなたは、どんな映画が好きなの?」


 映画館の前を通り過ぎたとき――そこはホテル街まであと少しのところだった――鹿島はふと口を開いた。夏の暑さに辟易へきえきとして黙り勝ちなときだっただけに、彼女はすぐに返答することができなかった。


「好きな女優さんがいてね、そのひとの出演している映画の中でも、ことさら冷淡なタイトルのものが好きなんだ」

「倒錯的ね」


 彼女の頭は熱を帯びていて、短い返答しか許さなかった。


「合理的だよ」


 今度はなにも言い返さなかった。いまの彼女には、映画のことなどどうでもよかったし、鹿島の勿体もったいぶった話しぶりに苛立ちを覚えていたから。それよりも、あの部分を慰める指が欲しいと思った。パラソルを傾けて、濃い陰を作ってみせた。


「冷淡なタイトルは、わざとらしいウソをつかないから」


 遠くでうっすらと蝉が泣く音が聞こえてくる。それは彼女の故郷にある山から響いてくるようだった。影をも焼こうとする夏の陽、失恋に泣いた遠い故郷の畦道あぜみち。……


     *     *     *


 鹿島は夕方まで、彼女を執拗に攻め続けた。夫からは得ることのできない愉悦が体内を駆け巡り、次から次へと慾望が噴出していった。ふたりは、こころというものを下着より遠くへ投擲とうてきしてしまって、がらんどうの身体をぶつけあった。


「いま買ってきても、もう遅いかしら」

「遅いよ。もう、帰ろう」


 鹿島の腕を枕にしてつたのように巻き付く彼女は、収まるところへ慾求を抑え込むことに耐えられなかった。三角形に内接する円のような外貌へ。……


     *     *     *


 夏の夜とはいえ彼女のスカートの中はひんやりとしていた。電飾のかまびすしい駅前の広場で、ふたりは、今日最後の口づけをした。紫色であるということが判別できない、不自然に開かれたパラソルに隠れて。


 車の行き交う音も、電車が発着する轟きも、人々の話し声も、独り言も、すべてが攪拌かくはんされて、遠いあの日の蝉の響きとなってしまった。……

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