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 記憶は死ぬかもしれない。しかし過去はひとの認識の外部で独立して存在する。


 外と内という二項対立――認識の外部と内部というのは鹿島の場合、筆者と彼自身の対置として現れる。鹿島が物語から退場するということは、つまり筆者もまた物語から退場するということであり、さらには読者もこの物語から遠く離れてしまうということであるが、しかしそれでも、本作そのものが抹消されるわけではないかぎり、やはり鹿島の存在は消えることがない。鹿島が存在してしまった以上、その存在をなかったことにはできない。これは、鹿島にとどまらず、わたしたちの悲劇であり、抵抗の象徴である。


 莉緒は鹿島に抱かれたあとに、前戯における巧妙な演技を見抜かれたことを刻銘に痛感し、大いなる屈辱に苛まれた。もし時間を巻き戻せるとしたら、感じているフリをしている自分を叱咤したかった。あの瞬間、この男を手放してはならないという衝動を覚えた。依存したいという感情を看取されること以上の恥辱を、莉緒は知らなかった。これで鹿島は、永久に自分を代筆し編纂へんさんしプリントすることができる。自分は鹿島の創作物と化してしまう。そういう不安、及び不愉快が、彼女の心身を注連縄しめなわのようなもので縛り上げる。


「雪国に大切な人を残してきた」


 その独白もまた莉緒には屈辱だった。べつにきみを捨てることはできるのだという素振りに思えたのだ。依存するなら依存するがいい。しかし自分はきみに依存していない……と。そうした力関係の不均衡の不正利用は、莉緒にとって自らの美的感覚に背くものであった。なぜなら調和と均衡こそが美的なものであると、このときの莉緒は信じていたから *1。


「扉だらけの部屋のなかに、軽やかに翼をはためかせて……彼女は、とても自由だ」

「いま抱いた女を横にして、いままでに抱いた女のことを話すなんて、醜悪だと思わない?」

「莉緒とは相性が悪いみたいだ。だってムリに感じているフリをしただろう?」


 を正式に口にする鹿島を押し倒し、無理に唇を塞ぐと、莉緒はゴムの袋を開けた。夜明けは、遠いようだった。循環小数のような夏の深更は、文学的な比喩にドレスアップされた秋を、破綻した証明だと冷評し、歴史=物語histoireの二面性の持つ可能性を閉ざそうとする。


 もう一度ここで内部と外部の二項対立を導入するとしたならば、依存というものは、このふたつの「場」の境界の脆さや危うさの象徴であろう。あなたをわたしは愛している。ずっとあなたを認識している。しかしあなたは認識の外部へとわたしを追いやったり、改めて内部へ取り込んだりする。外部において、心細い寒色の形容詞をまとった固有名詞であるわたしは、そよ風にさえ分解されてしまうくらい弱いのに。


 鹿島は、莉緒を外部にも内部にも置換できる。しかし莉緒は、鹿島を内部にしか置くことができない。だが、そんな鹿島も、その内部にいつまでも灯夏を抱えている。


  ――――――


*1 しかし彼女は今後、ある人物との論争において持論をいくつか修正している。が、そのことを書くのはまだまだ先のことである。筆者はまず、鹿島のことを書かなければならない。

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