32
ラスクを割りますと、ラスク的なものになると、あなたは言うけれど、
わたしを、わたし的なものにするには、ドッペルゲンゲルを希釈するしかありません
ドッペルゲンゲルは、わたしの似写しですが、
似写しは、わたしを似写しというでしょうし、
けど、わたしたちには、わたし的なものが必要なのです
* * *
二木がこの詩に出会ったとき、この詩を書いた詩人は死人のうちに数えられていた。
* * *
インフェルノは音楽の都、阿鼻叫喚を心得ている者のための。
枯れ葉に用意されているのは、炎熱地獄と孤独地獄だけである。
ブーツを履いた女性は、二木に怨みを持っていたがゆえに、愛さざるをえなかった。いや、愛するがゆえに、怨恨を募らせていたのかもしれない。が、その怨恨は、性的な慾求と家族的類似である。
「お待たせ。どれくらい待った?」
「きみが来なかったらいいのにと思いながら、待ってた。だから、待ってないに等しい」
「なにそれ」
逆説を用いて会話をする不倫相手は愚昧だ、くらい言ってくれてもいいのに。そう言ってくれれば、大手を振ってロマンティシズムを打ち破れるのに。
一夜を過ごすだけの相手でないのならば、必要なのは、惰性へと向かい破滅へと帰結するかもしれない、その宿命を受け入れることのできるようなイズムだ。
「信じられないと思わない? こんなに魅力的な妻を放っておいて、ビリヤードに耽っているのよ。だから、許されてもいい……許されるべきでしょう。夫とは違う別のオトコと遊ぶのと、私よりビリヤードを優先するのとの間に、どれくらいの差があるっていうの?」
「高低の差はないかもしれない。でも、幅は大きいと思う」
「道徳とか倫理とか、そういうものを捨ててしまって、思いっきり遊びたい。それだけ」
と、宮子は、
二木は、適当に遊んでからホテルに行こうという計画を――というより習慣を、今日も繰り返すつもりだったが、気が変わってしまった。
「今日はさ、昼と夜を逆転させてみようか」
「昼にするってこと?」
「そう。そして本当に、きみの友達の家で夜遅くまで遊んでみるんだ。これなら、部分的な嘘しかついていない分、良心的だと思う」
「イヤ。夜じゃないと昂ぶらない」
「夜じゃなくても、昂ぶらせることはできるけれど」
「想像できないわ。したあとに友達と遊ぶなんて」
宮子は二木を置いてぐんぐんと進んでいく。個室を予約してあるからと言って、いつもの高級店へ行こうとする。そんな宮子の手を、二木は握りしめて抱き寄せた。
「分かってるんだよ、俺は。お店でするよりホテルに行った方が、道徳的で倫理的じゃない?」
「なんでそんなに、道徳と倫理にこだわるの?」
「俺、小学生のときの通信簿で、一番悪かったのが道徳なんだよ」
「もうその頃から不良だったの?」
「マジメな子だった。でも、哲学の本なんて読んじゃってたから、そのせいだと思う。道徳って、クオテーションをしなくてもいいから尊いんだよ、きっと」
「クオテーション?」
「引用のこと。道徳って、押しつけがましいし、根拠がうすいし、嘘っぽく思えるからこそ、尊いんだよ」
二木は裸になりかけた公園の
秋から冬に移り変わる前の季節にありがちな、雪曇りのように煙った日だった。
* * *
ドッペルゲンゲルの作る詩は美しい
わたしのために著作権を放棄してくれるから
愛しのもうひとりのわたし
わたしはかわりにインフェルノに堕ちてあげる
あなたはパラダイスで天使の喇叭に顔を顰めて
わたしの伝記を書いて頂戴
著作権はデイモンを通して渡してくれれば
安心してダンスパーティに沈湎できるわ
わたしは幸福な結婚を地獄で実現し
地獄をより地獄的にすることに愉悦を覚えて気付いたの
エターナルを累進的に跋渉することが
万福のハピネスだということを
バベルの塔は完成しなかったから尊いのよ
完成してしまったら眠るしかなくなってしまうから
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます