29
ふたりはこの日、十二個の体位を試し、そのうち三個に底知れぬ愉悦を覚え、六個に激しい嫌悪感を抱いた。残り三個については、継続審議という形となった。
「二木くんは、もう仕事をしないって決めたの?」
その女性は――「
「ここは開けちゃダメなんだよ」
彼はベッドの端に座る自分の懐へと彼女を導くと、そっと眼鏡を取った。眼鏡をとられているとき、
「きみは、英語を読むことはできる?」
「英語? 読めなくはないけれど」
「
「雪国の田舎」
それを聞いた二木は、彼女の
(
そんな逆説的ヒロイズムチックなスタンスを持つ二木の繰り出す愛撫は、優しくあれども激しくもあり、その技巧から逃れようとの意気地を
文王、周公、孔子……の聖と徳を顧みず、紂王、妲己の如く酒池肉林に惑溺するような
「むかしさ、英語の勉強をしてたころがあったんだよ」
「んっ……なんのために?」
「官能小説を書こうと思ったんだ」
「英語で?」
「そう。んで、その官能小説を深宇宙の外延に吹き飛ばしたかった」
「…………」
「俺はド級の繊細な性格の持ち主だからな」
彼は、こんな告白をした自分を笑殺してしまいたいと思った。しかし彼女を冷笑しようとは思わなかった。悪罵しようとも断じて思わなかった。ただ、抱き過ぎたと後悔した。
清らかな陽がホテル街を斜めに走り、雨上がりの道は照り輝き、物体の影はいっそう濃くなっている。
「淫らな梅雨……」
倦怠感に優しく包まれた二木の口から、そんな呟きが思わず漏れた。
* * *
官能小説を書こうとしていたという二木の言葉は、本当だった。英語で書こうとしていたというのも事実だった。二木の願いは、自分の企てている「新しい形の官能小説」を鷺に読んでもらうことだった。
鷺は一年前、彼が師と仰ぐエッゲンシュタイナーと対談を行った。そこで交わされた話題のひとつが、『軍手の博覧会』の続篇ともいうべき『酩酊機関』が批評家に過小評価されているというものだった。そこに書かれている内容には同意だった。と同時に、二木は物足りなさを感じざるをえなかった。
《あいかわらず、運命的な出会いは、肉体的な共同体の再編を要求するものです。床の間の舞妓の人形を見てみるといいでしょう。彼女はいったい、なにを信仰しているのか。運命的なものと、奇跡と、どちらを信じているのか。自分たちの哲学は、舞妓の人形の
「ここまで言い切ってくれる作家は、Sagiしかいない」
あのころの二木は、涙が止まらなかった。
《少なくとも、わたしたちにとっての最大の関心事は、代弁を拒否しつつ代弁をすることなのだろうね》――と、エッゲンシュタイナーは言った。
それは違う。あのころの二木はかぶりを振った。
「Sagiは、代弁を拒否しているのではなく、代弁者になることを拒否しているのだ」
エッゲンシュタイナーは、鷺のしていることを、しようともがいていることを、十全に理解していないと、二木は痛切に感じていた。
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