22
まずもって断っておきたいのは――先にも述べたように――先月本誌に掲載された作品は傑作揃いであるので、読むに値しないような佳作ともいいがたいものへの批評に、折角の紙幅を裂くわけにはいかぬということである。
よくもこんなものを載せる決意をしたくらいだ。この作が掲載された以上は、この作家の小説家としての人生に、癒えぬ傷を残したといえよう。もし、ひとつだけでも評価できるところがあるとすれば、こんな不出来なものを提出した勇気だけである。以上。
* * *
粘土をこねくり回している姉の子をときおり気にしながら、
「もう、恋なんてしたくなくなったの?」
仏間とは反対の襖が開いて、姉の佳純が顔を見せた。
「おれは、ほんとうの愛というものを知ったんだよ」
「なにそれ。使い古された言葉ね」
「使い古された言葉くらい、真実なものはないよ。おれたちが競い合って発明している比喩だのフレーズだのは、永遠に特許出願中になるのが関の山だから」
佳純は息子を抱き上げて、ひざの上に乗せると、「帰ってきましたよお」とおどけた調子で言ってみせた。
「で、医者はなんて言ってたの?」
「睡眠剤はもらえたけど……なにが原因なのかは、はっきりと分からないって」
「そう……錬次さんはまだ帰れないの?」
「あと一週間くらいはかかりそうだって」
ふと、秋曇りの日ほど美しいものはないと、鷺は思った。やましい気持ちでいてもいいと言われているような気がするから。紅葉が卑屈に縮こまっているのが、なにものにも代えがたいほど、美しい。
* * *
そして、その思考を押し進めていくうちに、この設問を考えたのは人間ではない、という可能性を捨てきることができないことに気づいた。
自分がほんとうに解かなければならないのは、この設問を考えたのはだれか、ということであって、イディオムだの時制だの特殊構文だのを、記憶を頼りに写すことではない。
莉緒は、その気づきによって「性交」というものを知ったと思った。彼女にとって問題集は、初めてのオトコだった。中学一年生の莉緒は、このことをだれにも言いふらさなかった。みながこの意味を理解してしまえば、学校が、ラブ・ホテルになってしまうと思ったのだ。
* * *
《もう筆を折っていいんだよと、あなたは言った。わたしは、折った筆をくわえながら、窓の向こうにある、花屋さんを見ています。毎日、夕方になると、少年が店のなかをうかがいます。二日に一度、花を買っていきます。花を持っていく少年を見送る少女がいます。その少女は、昨日の朝、ボーイフレンドと一緒に、どこかへ遊びにいっていました。わたしは、あの三人の作者になりたいと思いました。ですが、どうすればいいのでしょう。みんなが幸せになれる結末を、書くことなんてできるのでしょうか。くわえている折った筆を、灰皿におしつけました。そして思いました。わたしは、書かなければならないのだと。もしも、の世界を。せいいっぱい》
* * *
現在、もっとも優れた作家というものを答えるには、時間を要するかもしれない。劣っている作家も同じく。しかし、なんのためらいもなく言い切れるのは、この作家は、いてもいなくても、本誌はおろか別の媒体に対し、大きな影響を与えるわけがない、ということである。この作家の小説を読むたびに、私は、原稿用紙を製造する機械が、忙しなく動いているのがはっきりと見える。
* * *
「はじめまして。突然、手紙を送ってしまい、ごめんなさい。『銃と海』という作品を読んで、わたしは、雷に打たれた思いでした。(二十二行省略)今後も応援しております」
* * *
「それ、おもしろいの?」「わたしは好き」「ふうん……読んだら貸して」「いいよ」「あんた、小説なんて読まなかったのにね」「このひとの小説だけは、読もうかなって」
* * *
《おれは、今年の夏のことを、ずっと覚えていたい。六つ子の夏。来年、もうひとり産まれてくる「夏」――グッバイ・ウチュウ。おれは、夏を選ぶよ。もう、おれに惚れてくれるな、ウチュウ》
* * *
鷺はいま、幸福ではなかった。しかし、不幸でもなかった。
「原稿用紙を買ってくる」
雪曇りのなか、鷺は坂道を下りていく。雪ではなく、雨が降りそうだった。ガードレールから見下ろすと、そこには、ほこりを掃いた
もうあれから二年も経とうとしているというのに、人波のなかで、灯夏に似たひとを見つけてしまう――ふとした拍子に、見つけようとしてしまう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます