13

 灯夏は抱かれていた。


「笑わないの?」

「笑えないの」


 灯夏は、肉体は預けたものの、「こころ」は渡していなかった。しかし、渡していないということは、灯夏の「こころ」というものは、鹿島も持っていないということだ。


 そもそも、灯夏の「こころ」とはなんであるのか。あえて言い換えるなら、愛情というものであろうか。


 だとするならば、愛情は回帰する。つまり、鹿島に向けられた愛情は、ブーメランのように灯夏に帰ってくるのだ。鹿島は、灯夏の愛情の残像を感じているに過ぎない。


 そう考えるならば、鹿島も灯夏も、都合のいいときに愛情をかすめあっているということだ。ならば、ふたりをひとつ屋根の下にとどめていた力学とはなんであったのだろう。


「笑わなくてもいいさ。おれをねのけないことが、きみの回答なんだから」

 灯夏は、思いきり目をつむった。

「そういうことにしておくわ」

 その声は、波紋を広げる水たまりのようだった。




 ふたりは結合を解いたあとも、背中をむけ合いながら、ひとつのベッドのなかにいた。


「どう。いまの彼氏とどっちが巧い?」

「あなた」


 灯夏は正直に答えた。


「なら、南へ行かないか。溺れようぜ。窒息するくらい」

「むかしと変わらないわね。あなたは」


 男は――二木は、かわききった笑いをこぼした。


「ひとは等しく死ぬんだから、不平等に生きるしかない。みんなスーツを着てるから、おれはぼろきれを引っかけて生きてんの」

「寒くないの」


「毎日、肉体をぶつけあってるから。いろんなとこで。だから、いつも汗だく」

「なら、あなたと南にいったら、不幸になるわね」


「灯夏も、だれかとヤりまくればいいじゃん」

「なにそれ。あなたといる意味なんて、なくなるじゃない」


 灯夏はどんどん、二木の提案をなぞりはじめていた。しかしそれは、二木の話術の成せる技ではない。


 この夜に、風が吹いているから。窓がガタガタ鳴っているから。それ以上に理由が必要だろうか。


 灯夏の心境の機微を説明するのに、論理だの方程式だのがいるのだとしたら、文学は息の根が止まる。ナラティヴは終焉を迎える。


「まだゴムはあるけど」


 その言葉に、灯夏は黙って身体を反転させた。

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