12

 由紀と向かいあうのは久しぶりだったが、鹿島は、そのような感慨に浸るより、灯夏のもとへ帰りたい気持ちの方が、ずっと強かった。


「わたしから切りだしていいでしょ」

 もうすでに、由紀は要件を分かっているようだった。

「あなたを立てるつもりなんてないから」

 由紀は、鹿島の予想していた通りの態度を示した。


「もう、要件はわかってるし」

「じゃあ、お別れということでいいね」

「うん。それでいい」


 たった数カ月の仲ならまだしも、数年を一緒に過ごした鹿島にたいして、こうもすぐに別れを受けいれるというのは、別れたくないということの裏面を見せているに違いなかった。由紀が、結果的に、自分から別れを切り出すことができなかったのは、その証左だった。


「でも、ひとつ聞かせてくれる?」


 由紀は寂しさを隠すことができなかった。だから、言葉をぎ続けるの。そして、鹿島に建前をひっくり返してもらう契機をうかがっているのだ。


「あなたは、どれくらいの未来を想像していたの?」

「未来?」

「そう。結婚するつもりはあった?」

「ないということはないさ」


 二重否定が肯定より効果を持つのは、こういう場面ではないだろうが、二重否定を二乗すると、そうはいかない。


「わたしも、想像していなかったといったら、嘘になる」


 この言葉を聞いて、鹿島は、自分の肉体と精神が重なりはじめているのを感じていた。そして、由紀という円に、自分の円が通り抜けていくときの、一瞬の合同を思うと、鹿島のこころのなかに、悲しみのようなものが生じた。


「ねえ。最後にホテルへ行きましょう」


 由紀は窓の向こうの喧噪を、自分の鏡像に重ねていた。


「もう、別れるんだろう」


 由紀との初めての営みが、関係を解消してからというのは、鹿島には受け止めきれないことだった。そうした、刹那的な肉体の合一に、なんの意味があるというのか。


 ふたりの話し合いの間に、アイスコーヒーの氷が溶けきることはなかった。由紀は、鹿島の顔を見ることなく、しかし、右手ですでにをしながら、「これから……」と呟き、少し沈黙してから――


「これから付き合う男のひとは、あなたより巧いひとがいいから」


 と、なにかを予感させるような口ぶりで言った。


 いつしか鹿島は、由紀に取り込まれようとしていた。灯夏が、他の男に吸収されそうになっている、その裏面において。

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