10
それでも、灯夏は、鹿島の好きな食べものを作ることはなかった。だが、それは、水のいれられたペットボトルの使い道が猫よけだった、というような意味でしかない。
「わたしたち、これでよかったのよね」
こうした、不安を体現した灯夏の言葉を、鹿島は何度も聞いた。しかし、鹿島の返答がいつも同じであることこそが、それを助長していると考えても差し支えないだろう。
「いい加減、覚悟を決めないか」
その決まり文句にたいして、灯夏は複雑な顔をするものの、少し時間をおいてから、「そうよね」と独白するのが常だった。
「今日も、抱いてほしい」
寂しい日より、不安な日の方が、灯夏は鹿島との肉体の遊戯を求めがちだった。しかしそれは、遊戯というより、傷のなめ合いのようなものに近くなっていた。
この雪国でアパートを借りてから、もうすぐ三週間が経とうとしていた。ふたりは、すべてを清算する前から、一緒にいることを選んだ。
もちろん、このことは、順序が逆だと思われても仕方ないかもしれない。だが、手続きを転倒させることでしか、保つことのできない悟性というものは、たしかにある。
暴君が臣下の首を
鹿島は由紀に別れを告げるために家を留守にした。
ひとりで過ごす灯夏は、慣れない雪国を一身で背負う運命の
そんな灯夏の耳の奥に絶えず流れる、ある音楽があった。それは、小学生のときに、ピアニカで演奏した曲だった。即ち、幼稚園からの初恋に飽きたころの記憶であった。
あのときに演奏した音色が、なぜ脳裏に反復し続けたかといえば、人生は、伏線しか売りのない小説のようなものだからだ。
では、ありふれた文章を書いて、今回は終わろう。
《鹿島は、五日経っても帰ってこなかった》
いや、もう一文、記しておこう。
《灯夏はその日、あの男と再会した》
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます