グロテスクな路線図に目を走らせている、鹿島のシャツのすそが引っぱられた。灯夏の服は、なつの喪の色をしていた。


 灯夏は鹿島の首に手を回し、口づけをした。鹿島は、緯度と経度の交差点から少し外れたところにいるような感覚がした。そして、落馬したときのような安心感をおぼえた。それは、樹液に集まる昆虫を一網打尽にする麦わら帽をかぶった子供が、大人になってからその経験を思いだすときのような。一致からズレへと転換する愉楽。


「退屈なときに路線図を見るような男は、きっと、地球儀を左に回し続けるわ。そうでしょう?」

 そう、灯夏は言って、黒色の日傘を広げた。

「逆らいの遊戯は、あわれだわ」


 そして、ふたりは喫茶店に入った。

「受精みたい」と、灯夏は言った。鹿島は、あの砂浜での灯夏の淫猥いんわいな比喩を思いだした。


「長い髪の女は好きかしら?」

 右手の甲にほほを乗せた灯夏の姿は、油絵のモチーフから一番遠いところにあるものだった。

「似合ってるよ」

 林檎の皮を剥くときのような調子で、鹿島は応じた。


「うそよ。だって、あなたは背中に口づけをしたいと思っているのだから」

「こんなところで、そういうことを言うものじゃない」

「あら、どうして? なんなら、いまここで始めてもいいのよ?」


 それはからかいに似た、からかいとはべつのものだった。灯夏は、右のヒールを脱いで、鹿島をかわいがってみせた。


「このあと、どうしましょうか」

「予定どおり、神社へ行こう」

「いいわよ」と言って、灯夏は右肩にかかった髪を後ろにはらった。そして、蔦を斧で切るときのように笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る