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ふたりは、Sを出発しXにたどりつく、欲望の横すべりの行為に夢中になろうとして、事実、そうなることができた。
あのスペル――それを発音するときに、どこにアクセントをおくか。そうした微妙な差異が、その営為のパターンを過小に分類するにすぎない。しかし、あの快楽に、繊細な味の差はいらず、自己肯定感を持続させるための技量さえあれば、閉じこめられた空間での一種の言語ゲームは、愉楽かつ依存的なものとなる。
由紀は鹿島に肉体を許さなかった。交合の愉楽に溺れれば、ふたりの精神的な繋がりが、肉体的な結合へと
そうした由紀に
灯夏は、鹿島に抱かれたあと、「ねえ、続けるところまで続けてみましょうよ。この関係を」と言った。しかし鹿島は、それにたいしてなにも言わずに、ただ唇を重ねるだけだった。
鹿島は由紀と離れることができなかった。たとえSからXへの横すべりを拒まれていたとしても、そのスペルを制限されたことによって、あらゆる言語表現が不可能になることにはならない。残りのアルファベットの豊潤な組み合わせは、その関係の持続を可能にするどころか、常に新しい単語を産出しようとする欲望を加速させていく。その創造的な作業の愉悦こそが、鹿島が由紀に過剰に接続する原因となっているのである。
あのとき、灯夏は、鹿島を誘ってからこんなことを言った。
「まだ、彼のことが忘れられないの。これから彼を火葬しても、どうせ骨が残るでしょう。そうするとね……」
灯夏もまた、精神的な繋がりまでをも鹿島に求めているわけではなかった。つまりふたりとも、肉体と精神が志向する対象が分裂していた。それがふたりを結びつきがたくしていたのだった。
「ねえ、続けるところまで続けてみましょうよ。この関係を」という灯夏の言葉。節分の日に、幼い子供が年の数だけ豆を食べるのが、束の間のことのように、ふたりの関係は、どこまでも延長することもなければ、まったく味が変化することもないだろう。少なくとも鹿島は、そう感じていた。
鹿島は、寝たくなかった。もし、灯夏が自分より先に起きたときに、なにをされるのか分からないという恐怖があった。まさか殺されるわけはないだろう。灯夏がそんな狂気を、心身の影に隠しているようには、鹿島には思えなかった。しかし逆説的に、殺されるという選択肢が消えているからこそ、鹿島は脅えてしまうのだ。灯夏は、朝陽に照らされながら寝ている自分を見て、なにを思い、どのようなしぐさをするのだろうか。
少しずつ、水平線の向こうから朝陽が昇ってきた。あたたかな陽光は、砂浜に打ち寄せる波の姿を明かしていった。夜は水底へと押しやられ、水面はまだらに
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