第100話 オカンとエルフと悪役令嬢 ~15~
「結界か...まずいな」
焼け爛れた己の腕を見て、フードの人物は忌々しげに舌打ちをする。
目深く被ったフードの中にある瞳はギラギラと輝き、剣呑な眼差しで教会を見つめていた。
治癒を受けに入るか迷ったが、結界の反作用による傷だとバレる可能性もある。
路地に隠れて様子を窺っているが、未だに自警団らは自分を探しているようだ。
万事休すだな。この傷も自然に癒える事はないだろうし、引き上げ時か。
腕に有り合わせの布を巻き付けローブに隠すと、彼はフードを下ろした。
顔が隠れるほど伸びた残バラな髪に頑健な体躯。一見すると探索者風な男性である。
そのまま彼は外壁までゆくと、街を出るための検査を受けた。
荷物を確認した兵士が簡単な身体検査を行い、顔を確認するべく相手の前髪を払う。
思わず絶句。
彼の左目は完全に潰れ、右上から左耳にかけて抉られたかのような大きな傷が残っていた。
「以前、魔獣にね。....見苦しいから前髪で隠してるんだ」
「...申し訳ない。規則なので」
「構わないよ。入国時にも説明したしね」
苦笑しながら前髪をなおす男性に頭をさげ、兵士は荷物を渡すと、お気をつけてと彼を見送ってくれた。
それに軽く手を振りながら、男性は渡しのイカダに乗る。
イカダの椅子に腰掛けながら、彼は焼けていない方の手で軽く左目を押さえた。
思い出すだけでも腸が煮えくりかえる。
彼の名はジャック・トラスト。以前、千早と対峙した元ディアード教会の司教だった男だ。
あの事件の際に幼女の魔法で飛ばされた先は、大陸北の大海原上空。
二十メートルほど上から海に叩きつけられ、危うく死ぬところを風魔法で凌ぎ、何とか生き永らえる。
一面見渡す限りの海原でジャックは途方にくれたが、魔力が高く邪神の加護を受ける彼には邪神の存在する位置を感じ取る事が出来た。
それすなわち帝国の場所である。
彼は形だけとはいえ全属性を持つ司教だ。水と風を操り、波に乗って、未だ見えぬ陸地を目指して進み始めた。
しかしその進みはあまり早くなく、夜になっても陸地は見えず、不眠不休で進んだ先で何度も海獣に襲われる。
満身創痍になりながらも進むジャックを嘲笑うかのように、陸地が確認出来たあたりで、一際大きな魔獣に進路を塞がれた。
はるか高みから睨めつける魔獣。
死闘の末、魔獣を倒し、何とか陸地に辿り着いたジャックだが、その代償は大きく、彼は片目と片耳を失っていた。
無くした片目を押さえながら、彼はギリギリと歯軋りする。
許さんぞ。何時か必ずこの借りを返してくれるわ。
エルフらの来訪を聞きつけ、ジャックは何とかして騒動を起こし、エルフと幼女に軋轢を作ってやろうと画策したが、上手くいかなかった。
マステルスが暴挙に出た時、ジャックは傍におり、マステルスの魔法を器用に防御する子供の後ろから別の魔法を放つ。
人々はマステルスの派手な火炎魔法に気を取られ、ジャックの放った邪炎魔法に気付けなかった。
闇属性である邪炎魔法は光属性である結界を相殺する。
結果、子供は肩から背中にかけて大きな火傷を負ったのだ。
これで上手くすればエルフと幼女に修復しがたい亀裂が生まれるだろう。あのエルフは自分を貴族だと言っていた。きっと大事になるに違いない。
ほくそ笑むジャックだが、その思惑は大きく外れ、事態は大事になれど、エルフ王の機転で簡単に収束してしまった。
馬鹿なっ! 仮にも貴族が捕縛投獄されたというのに、奴等は何もしないのかっ?! 帝国であれば、逆に子供の方が斬首になるはずだ。エルフには王族や貴族の矜持がないのかっ?!
これだから未開の蛮族は....
ジャックは諦めず自警団本部に忍び込み、留置所に拘留されているマステルスに邪神の種を渡そうとする。
これは邪神の鱗を砕いた物で、邪な心を糧として成長し、人の身体を蝕むある種の麻薬みたいな物だ。
欲望を増幅し精神を支配し、破壊衝動を押さえられなくなる。
悪しき心が大きいほど種の精神支配をコントロール出来るが、子悪党程度なら逆に種に操られ、廃人となり、最悪魔獣と成り果てるのだ。
ただ、それだけの危険に見合う価値ももっている。
上手く種に支配されずコントロールが叶えば、爆発的な力を手にする事が可能だ。
簡単に言えばレベル倍化。現在のレベルを二倍にし、さらに二倍の早さでレベルを上げる事出来る。
さて、このエルフは今、秋津国に対して憎悪しかないだろう。
ジャックは舌嘗めずりし、どちらに転ぼうが秋津国に一泡吹かせてやれると、残忍にほくそ笑んだ。
しかしそれも失敗し、負った怪我を癒すために帰国せねばならない。
絶対に復讐してやる。首を洗って待っていろ。
失敗をモノともせず、復讐を誓うジャックの執着心。オカンもやっかいな男に関わったものである。
誰も気づかない攻防が過ぎた翌日。
帝国から数台の馬車と百人以上の兵士がやってきた。
居並ぶ荘厳な馬車と騎兵隊。その後ろから厳つい馬車とシンプルな騎馬兵達。
連絡を受けて外壁に来ていた千早は、明らかに毛色の違う二種の隊列を生暖かい眼差しで見つめていた。
「ん~~。どうやらマジみたいやなぁ」
取り敢えず代表らを外壁応接室に案内するよう兵士に指示を出し、幼女は背後の二人に声をかける。
「じゃ、まあ予定通りに。あんたは既に秋津国国民だ。秋津国が全力で守る」
千早の言葉に力強く頷いたのは薄赤い髪の娘。フローレ。
「あんたら見学したいみたいだけど、大人しくしててや」
軽く頷き、にんまりと口角を上げるのはエスガルヒュア王。
人族を良く知らないエルフらは、規格外な秋津国ではなく帝国の人間らを観察したいと面倒な事を言い出したのだ。
うんざりと空を仰ぎつつ、千早は二人を連れて応接室に向かった。
「これは....」
応接室では出されたお茶と茶菓子に瞠目する人々。
秋津国の食料事情に慣れているキャスパーも、久々の絶品御菓子に舌鼓を打つ。
出されたのはイチゴシロップを溶かしたフレーバーティー。スプーン一口呑んで、毒味を名乗り出た騎士が絶句した。
それを訝りつつも口にして、皇子も言葉を失う。
目の前の皇子や騎士らに苦笑し、キャスパーは懐かしいような不思議な感覚を覚えた。
同じく口にしたお茶に、彼の果実を思い出す。
ああ、これは....あの赤い実が使われているな。
鼻腔を擽る風味。口内に残る仄かな酸味と甘味。
懐かしい。そんなに時間はたってないのに、無性に懐かしく想う秋津国での日常。
当たり前に口にしていた美味、甘味。穏やかに流れる時間。帝国では望むべくなき物ゆえ、さらに懐かしい。
感慨に耽るキャスパーの耳に、今度はカチャカチャと忙しないカトラリーの音が聞こえる。
目の前の皇子が菓子を貪る音だった。
皇子は眼の色を変え、テーブル中央に置かれたホールケーキを次々と小皿に移し、かっ食らっている。
添えられた生クリームや蜂蜜をタップリとかけ、至福の極みのごとく、うっとり食べていた。
まあ、分からないではないが....もう少し体面を考えて欲しい。
以前、自分も同じように貪り食っていたキャスパーだが、流石に周囲の騎士らまでドン引きさせるのは如何なものかと、軽く眼をすがめる。
それに気付いた従者の一人が、ごほんっと大きく咳をして皇子の注意を引いた。
途端、我に返った皇子が現状を取り繕う。
「ま、まあ、辺境にしてはマトモなもてなしだな。うん」
あれだけ貪り食っていて何を.... 周囲の人々の感想は一致していたが、そこは貴族。上手に本音を隠して、にっこり微笑んだ。
そんな場の空気を読んだかのように、応接室の扉が開き、幼女とフローレを先頭に秋津国一団が入ってくる。
「秋津国元首チハヤ・スメラギです。遠路はるばる、ようこそお越しくださいました」
柔らかく微笑む幼女に、キャスパー以外の面々は驚愕を隠せない。話には聞いていたが、本当に幼児が代表なのか。
「お久し振りです、妹様。いきなりですが、本題に入っても宜しいでしょうか?」
「アタシらの仲や。こまい口上は要らんな。捕虜らは身支度を整えて既に外壁に揃うとる。支払いよろん♪」
「了解しました」
ニヤリと不敵に口角を上げ、キャスパーは後ろに控える側近に指示をする。
側近は紫のベルベット張りなトレイを、恭しくテーブルに置いた。そこには白く煌めく白銀色の硬貨が五枚。
「白金貨五枚です。大金貨五百枚。皇帝陛下よりの伝言です。至らぬ側近の不手際で迷惑をかけた。その詫びに受け取って欲しいと」
ひゅうっと口笛を鳴らし、幼女は上目遣いでキャスパーを睨めつけた。
「良く引っ張り出せたね」
「何の事やら? 長々と兵士らを養っていただき、ありがとうございました」
悪巧みをする悪友のような二人は質の悪い笑みを浮かべている。
それを茫然と見つめ、皇子ら一行は固唾を呑んだ。
なんだ? 何が起きている?
帝国と秋津国は敵対関係なはずだ。何故この二人はこんなに気安く笑いあっているんだ?
一ヶ月も暮らしていれば御互いの人となりは分かっている。
キャスパーは真面目で融通は利かないが、仕事から離れれば人の良いおっちゃんであった。軍隊での前線暮らしが長いせいもあるのだろう。貴賤を気にしないし、物分かりも良い。
千早は、部下思いで忠義に厚いキャスパーを結構気に入っていた。
そして書面を取り交わし、捕虜を解放する。
さて.....メインはこちらだ。
事が終わったキャスパーに、幼女は含みを持たせた視線を投げた。それに含まれる意味を察し、キャスパーは思わず姪を見つめる。
姪であるフローレは真摯な眼差しでキャスパーを見返した。
幼女から送られた視線には問答無用の殺気が込められている。
そういう事か。
残念そうに眼を伏せ、キャスパーはソファーに深く座り、ゆっくりとお茶を口にした。
了解の意なのだろう。
千早は左手に座る皇子を見据え、メインとなる本題を切り出す。
「さて.....では、皇子殿下。お話をお聞きしましょうか?」
辛辣な眼差しで皇子一行を見つめるオカンの瞳には獰猛な光がチラチラ見え隠れしていた。
初対面から喧嘩腰な相手の雰囲気に狼狽え、思わず後退りたくなる皇子一行である。
何故にここまで威嚇されているのか、皆目検討がつかない。
困惑を隠せない皇子一行に、気の毒そうな眼差しを向ける秋津国一団だった。
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