第99話 オカンとエルフと悪役令嬢 ~14~


「くそぅ....何故、こんな事にっ」


 留置所最奥で呪詛のごとく呟く青年は、情けない顔をくしゃくしゃにして俯いていた。


 彼の名はマステルス・グルバリィス。大樹の国の伯爵家子息である。


 幼女は覚えていなかったが、実はエルフらを出迎えた時、命知らずにも千早を恫喝した馬鹿野郎様だった。

 あの時の屈辱と恐怖を彼は忘れておらず、なんとか秋津国を貶めてやろうと頑張ったが、貶めるどころが称賛する部分しかなく、燻るイライラが頂点に達した時、平民の子供にぶつかられたのだ。しかも、ベタベタな汚れつきで。

 子供にとっては最悪のタイミングである。


 服を汚されカッとした所に魔法が使われた。洗浄魔法は生活魔法の一つであり珍しくもなかったが、湿った着衣が身体に張り付き、新たな怒りが沸き起こる。


 だが、次に使われた魔法にマステルスは瞠目した。


 風? いや、暖かい? これは?


 心地好い風が衣服を膨らませ、瞬く間に湿った布を乾燥させる。気付いた時には服が元通りの姿になっていた。


「は...? えっ?」


 驚くマステルスを見上げて、子供は申し訳なさげに謝罪する。

 が、子供の魔力の高さや巧みな魔法操作。しかもエルフが知らない未知の魔法に彼はえもいわれぬ恐怖を感じ、思わず子供を突き飛ばした。

 子供と幼女の面差しが重なり、マステルスは恐慌状態に陥る。


「わたくしは貴族だぞっ、貴様ら下民が触れて良い者ではないのだっ! 無礼者がっ!」


 転んだ子供を罵りながら、己の恐怖を誤魔化すかのごとく、戯れに放った火魔法を、なんと子供は結界で防御した。


 結界魔法だとっ?!


 結界や治癒を司る光属性は、魔法国家育ちのエルフらですら稀にしか持たない。


 水に風に火の属性を持ち、さらに光?? こんな平民が??

 そんな事ある訳ない、あってはならないっ!!


 目の前の事実を消し去りたいかのようにマステルスは立て続けに魔法を放ち、火だるまになった子供を見て、ようやく安堵する。

 だが次の瞬間、彼は自警団に捕縛され、慌てた人々が放つ水魔法によりマステルスの火魔法は相殺された。


 そして彼は瞠目する。


 自分が全力で放った魔法で火だるまになったはずの子供は生きていた。

 生きているどころが、少し火傷を負った程度で、かけつけた司祭らにすぐ癒された。


 目の前の現実が信じられないまま、彼は自警団本部に運ばれ尋問を受ける。


 何が起きているのか分からない。


 不敬な平民に罰を与えたから何だというのだ。


 丁寧な口調で色々尋ねてくる自警団に鼻をならし、マステルスは一切口をきかなかった。

 こんな下賤な輩と話す事は何もない。子供がどうしたというのだ。魔法が何だというのだ。ああ、煩わしい。

 一切何も話さないマステルスに肩を竦め、自警団は仕方無く彼を留置所に入れた。

 地下で薄暗くはあるが清潔な留置所。鉄格子はあれど、マステルスは最初ここが牢屋だとは思っていなかった。

 簡易的な部屋に案内され、扉を閉められ鍵がかかる。


 そこでようやく、ここが牢屋なのだと気付いた。


 何故、自分が牢屋に??


 振り返っても既に自警団の姿はなく、マステルスは途方に暮れた。


 そして皇太子から事情を説明され憤る。


 平民の子供を害したからといって何だというのか。貴族たる私が望むのであれば、その命を奪う事すら問題ないはずだ。

 なのに、不敬な子供に罰を与えただけで罪だと? 犯罪なのだと? 意味が分からない、有り得ないっ!!


 しかし格子越しにいる皇太子は悲壮な面持ちで首を振る。


 秋津国では罪なのだと。身分など関係ないのだと。


 そんな事ある訳ない。貴族たる高貴な身分を無視するなど有り得ない。平民が貴族を罪に問うなど有る筈がないっ!!


 そしてまたもや幼女にせせら嗤われる。実際には恫喝なのだが、マステルスは秋津国に到着した時のように、嘲笑われた気がした。


 身分がないとは平民なのではない? 国民全てが貴族であり王族であり等しく同じ権利を持つ?? なんだ、その無秩序はっ!!

 そんな曖昧な事をやっていたら、国が立ち行かぬではないかっ、厳格な階級があるからこそ、正しい秩序が守られるのだっ!! 秋津国は頭がおかしいのではないかっ?!


 ユフレから長く現代知識を学んだエルルーシェと違い、生粋の貴族であるマステルスには幼女の言葉が理解出来ない。

 しかし、最後の一言には反応した。


《王が全力で守るべき国民を、臣下が害する事こそ有り得ない》


 これには流石のマステルスも反論出来なかった。


 そこへ更にエスガルヒュア王が現れ、貴族の矜持を問う。それは高貴な貴族として正しい事なのかと。

 前述の幼女の言葉に揺れていたマステルスは、王の問いで完全に言葉を失った。


 何故だ。


 何故、こんな事になった。


 己の狭量さ。軽率さ。明らかに浅慮な言動や行動の数々が彼の窮地を招いた。

 それは理解すれど、やはり身分が邪魔をし、反省にまで至れないマステルスである。


 そこへ誰かがやって来た。


 微かな足音に顔を上げると、鉄格子の向こうには目深にフードを被った人影が立っている。

 訝るマステルスに、フードの人物は何かを差し出した。


「これを....」


 格子越しに手を差し入れようとした瞬間、バチっと大きな音がして、フードの人物の手から煙が上がる。


「な...っ」


 手にしていた物がカラカラと床に転がり、煙の上がる腕は酷く焼け爛れていた。

 そしてジリリリリっと低いベルのような音が鳴り響き、やにわ大勢の喧騒が地下留置所に伝わって来る。


「ちっ」


 フードの人物は踵を返し、さっと姿を消した。


 そのすぐ後に自警団が地下留置所へ飛び込んで来る。顔には焦燥を浮かべ、注意深く辺りを窺っていた。

 見るからにただ事ではない様子に、マステルスが自警団を見つめていると、その視線に気付いた自警団らが微かに苦笑した。


「闇属性の魔術具をお持ちですか?」


 自警団の問いにマステルスは左右に首を振る。


「今の音は何だ?」


 訝るマステルスに、自警団は少し思案してから答えた。


「警報です。この留置所の鉄格子には結界が張られており、闇属性の魔術具や邪神の加護を持つ者に反応し、警報とともに反撃の魔術が作動します」


 聞けば留置所全体に魔法を無効にする結界が張られているらしい。

 ゆえに結界を無効化出来る闇属性の魔術具にたいし、反撃の魔術が織り込まれているとか。闇属性を基本とする邪神の加護にも同じ反応をするらしい。

 それを聞いて、マステルスは先ほどの目深にフードを被った人物が何かを差し出してきた話をする。


「では、あの人物が渡そうとした物が闇属性の魔術具であったやもしれぬな」


「或いは、その人物が邪神の加護を受けていたかですね。ご協力ありがとうございます。すぐに捜査します」


 礼儀正しく頭を下げ、自警団は急ぎ階段を上がっていった。

 それを見送りながら、マステルスは複雑な顔をする。


 自分が下賤だと罵り続けた秋津国国民の意識の高さよ。


 常に礼儀正しく物腰も穏やかで、犯罪者である自分に対しても全く態度が変わらない。

 自国民を害されたとなれば、通常なら罵り罵倒し、酷い目に合わせるのが普通である。

 自分が貴族だから慮っているのかと思ったが、そうではない。

 彼らは、どの囚人に対しても同じだった。


 むしろ、感情に任せて子供を火だるまにした自分こそが野蛮で低俗な輩に思えてくる。


 これが、等しく平等という事か。犯罪者であれど例外ではないと。


 項垂れるマステルスは、反省には至れずとも、秋津国の人々に触れる事で、ある種の理解が芽生え始めていた。


 この国の国民は平民ではない。高い知識と教養を持ち、優れた技術と文明を持つ。エルフに劣らぬ魔力やエルフを凌駕する魔術。これを平民などと呼べるはずがない。


 だがしかし貴族でもない。この国に身分は存在せず、国家元首である幼女とて、要人ではあれど、それは地位であって身分ではない。誰もがその地位に立てるし、立つ可能性を持っている。


 元首とは王族と同じで、国の要所を纏め人々を導く者だと聞く。国民全体の意思により選ばれる元首は、秋津国国民ならば、誰でもその地位に立つ可能性がある。


 誰もが王族であり、貴族か。等しく平等....なるほど。


一貫して意識の高い人々を目の当たりにし、マステルスは民主制の片鱗を理解しはじめていた。


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