第69話 オカンと竜と青嵐 ~5~
「ここが孤児院な。あんたらの食事を朝夕用意してくれるから。昼の弁当もな」
小さな教会が併設された建物。小綺麗な建物の周りには広々とした庭があり、作り付けの木のテーブルが左右に十本ずつ並んでいた。
各テーブルには椅子が両側に四脚ずつ並び、ざっと百五十人くらい座れるようになっている。
子供らがパタパタと走り回り、夕食の支度に忙しそうだ。
その内の一人が千早に気づいた。
「妹様、お知らせ通り百数人分の炊き出しをしております。今少し御時間を下さいませ」
困惑気に眉をひそめ、子供は申し訳無さそうに頭を下げる。
幼女はその頭を軽く撫でて微笑んだ。
「要所の案内してるだけやき。ゆっくり支度してな」
ほっと胸を撫で下ろし、子供は、はいっと元気な返事をして孤児院に戻っていく。
キャスパーは礼儀正しい子供を見送りながら、顔から驚きが隠せない。あれは孤児の言葉遣いではなかった。
今の子はどうみても七つにもならぬ幼子である。なのに帝国の大人より礼儀正しく、丁寧な言葉を使っていた。
そして幼女をチラリと見る。
それを言うなら、この幼女もだ。口調は雑なのだが、そこはかとない貫禄と高貴さを感じた。
どこぞの国の王族だろうか? ここは難民の国だ。有り得ない話ではない。
大の大人達を従えて堂々と歩く幼女に、ちらほらと見え隠れする謎。
キャスパーは案内されながら、注意深く幼女を観察していた。
そして次に案内された湯殿でキャスパーらは再び驚く。
なんとこの街では湯水を清拭に使っていた。溢れる湯で全身を洗い、湯船に身体を浸からせ日々の疲れを癒すという。
キャスパーは貴族であるため湯殿は持っていた。
しかし、それは身体を横たえる程度の広さで、こんな池のように大きな物ではない。
この広さを維持する湯水など見た事がなく、これを沸かす薪が如何程必要なのか想像して眩暈がする。
贅沢にも程があるだろう?
だが幼女の説明から、キャスパーが想像していた物とは全く違う作りなのだと判明する。
「火の山の地熱で温められた湧水ですか。なるほど」
聞けば合点がいく。
感心したかのように頷くキャスパーらを見上げ、幼女は戦の汚れを落としてから孤児院で食事を摂るようキャスパーらに言った。
それで難民ハウスから出る時に着替えを持たされたのか。
キャスパーは小脇に抱えた柔らかいベージュの上下と肌着をチラ見する。
「タオルはここに備えつけてあるから。小さいのが清拭用。大きいのが身体を拭く用。使い終わったら、あっちの籠に入れてな。ここのは湯殿専用だから、持ち出さないでね」
言われて手に取ったタオルとやらに、再びキャスパーは驚く。フワフワな厚手の布地。長方形なそれは、非常に柔らかく肌触りが良かった。
これで身体を洗うのか。さぞ気持ち良かろうな。
あまりの驚きの連続に、キャスパーはもはや言葉も出ない。
「一応案内役に探索者を何人か置いてくから、分からない事があれば彼等に聞いてね。ほなゆっくりしてな」
にかっと笑い、幼女はてちてちと街中へ消えていった。
それを呆然と見送り、探索者らに促されるまま、キャスパーらは湯殿の中に入っていく。
皆が衣服を脱ぎ、言われるまま大きな籠に入れると、その籠を探索者らが外へと運び、キャスパーらは大きな湯殿の洗い場へと案内された。
「こちらの液体が洗髪剤。髪の毛を洗う物だ。こっちの白い塊が石鹸。身体はこちらであらってくれ」
洗髪剤? 初めて聞く。帝国では頭も身体も石鹸で洗っていた。
「身体を洗う時は小さなタオルに石鹸を擦り付けて。こうな。で、何度か揉むと泡がたつから。それで、こうして全身を洗ってくれ」
探索者の説明に頷く仲間達。大半が平民だ。湯桶で身体を拭ったり、暖かい時期なら水浴びしたり。そんなくらいで、湯殿は初体験な者ばかりである。
「で洗い終わったらタオルを濯いで石鹸を落とし、湯に浸かる時は頭にのせてくれ。タオルは湯につけちゃダメだ。身体を洗って汚れてるからな」
なるほど。
私の屋敷の湯殿は、私しか使わない。何をしても良いが、ここは公共の場だ。皆で使うのだから綺麗に使用するという事か。
周囲に対する配慮が非常に高い。身分があるゆえ、そういった事に迂遠だったキャスパーだが、皆が気持ち良く使えるようにとの配慮である事は理解出来る。
道徳心が高い....いや。なんだろう? 技術力も生産力も眼を見張るほど高そうなのだが、それとは別な。
身分がある訳でもないのに、礼儀正しく穏やかな物腰で、ぴっと背筋の伸びた人々。
礼儀に伴う教養も有りそうだ。しかし、知識層に有りがちな高飛車な感じはしない。
捕虜相手にも親切で、何でも丁寧に教えてくれる。
キャスパーは帝国とは全く違うディアードの街に抱いた掴み所のない漠然とした違和感を理解出来ず、軽く首を振って思考を投げ捨てた。
彼の感じた違和感。それは人々の意識の高さ。
地球であれば、これを民度という。
「なんともはや.....」
捕虜達は眼をトロンとさせて放心状態。
浸かる湯水は温かく、身体から四肢の隅々まで癒してくれる。染みるように頭の天辺から爪先まで満たす幸福感。
あ~とか、う~とか、捕虜達の口から思わず出る声が、そこかしこで上がっていた。
洗髪剤も石鹸も非常に良い香りで、未だに残り香が湯殿に漂っている。粘土のようで油のすえた臭いがする帝国の物とは大違いだ。
泡も柔らかくきめ細やかで、とてもサラリとし、絶品な使い心地。貴族であれば、こぞって欲しがる事だろう。
だが恐ろしいのは、ここが公共の湯殿だという事実。
我々百人が余裕で使える脱衣場や洗い場。湯船も十分な広さがあり、石鹸やタオルは備え付け。
床は色とりどりな石が規則性を持ったモザイク模様を描き、どういう理屈か知らないが石の冷たさはなく暖かい。
柱はブドウの蔓が巻き付く意匠が彫刻され、壁にも見事な風景が彫刻されていた。
そう。王公貴族でも恥じる事なく使えるこの湯殿は、平民のための施設なのだ。
聞けば、本来は施設維持のため金子を払って利用するらしい。大人は銅貨二枚。初添から立志までの子供は銅貨一枚。初添前の子供は無料だという。
街の至るところに見え隠れする異様な文明の高さ。それに伴う技術力や生産力。平民らすら教養高く知識があり、下手な貴族より貴族らしい所作や振舞い。
キャスパーは先ほどの孤児を思い出して身震いした。
これだけ文明の差を見せつけられて、何が言えようか。
まったりと湯を楽しむ仲間を一瞥し、敵地である事も忘れているんだろうなとキャスパーは苦笑した。
もう、驚く事に驚かない。
キャスパーらは入浴を終え、再び孤児院の庭に訪れていた。そしてまたもや唖然とする。今日何度目かになるか分からない。
左右のテーブルには処狭しと料理が並び、椅子の前には綺麗なカトラリーが揃えられていた。
肉に野菜に卵。手の込んだ料理の数々は孤児達が作った物だという。
皆席についたが、添えられたカトラリーに戸惑っている。
帝国の平民なれば切り分ける時に使うだけで、基本は手掴みだ。キャスパーも遠征の時には手掴みで食べている。
どうすれば良いのか分からず、平民な部下達はカトラリーを前にオロオロしていた。
キャスパーは目の前にあるスープ鍋からスープを皿に注ぎ、スプーンでゆっくり飲む。そして既に切り分けてある肉を自分の皿に移し、ナイフとフォークで一口大に切って見せた。
やり方が分かるようにゆっくりと。
すると、それをガン見していた部下らが一斉に動き出す。
争うように料理へ群がる部下らに眉をひそめながら、仕方無さげな溜め息をつき、キャスパーはあらためて料理を口にした。
.....またもや絶句。こちらに来てからと言うもの声を完全に失いつつある。
なんと美味な料理か。
冷たくトロリとして濃厚なスープ。具らしい物は無く、表面に微かな緑の粒が浮いていた。
白っぽいスープに映える緑。初めて食するスープである。
複数の刻んだ野菜に酢を混ぜたような風味のサラダ。しんなりしているのに、シャキシャキ感は失われていない。
贅沢な事に茹でた卵が添えられている。こちらも白っぽく、酢だけではないふくよかな味わいが感じられた。
そしてメインであろう肉料理。焼かれたような肉に同じく焼かれた野菜を添え、横に置いてあるソースをかける。
なんとも言えない刺激的な匂いに鼻孔を擽られ、キャスパーは少し大きめに切った肉を豪快に口へ運んだ。
何度か咀嚼し、キャスパーの眼が見開く。
言葉にならない壮絶な美味さ。かつてこれほど美味い物を食した事があろうか。
思わず身分も忘れ、ガツガツとかっ込みながら、キャスパーは同じように食べ漁る部下達をチラ見し、彼等の事を笑えない自分に苦笑した。
こんな美味い物は皇宮晩餐会でもお目にかかった事はない。
きっと、この国でもとっておきな料理を振る舞ってくれたのだろうが、たかが捕虜をここまで厚遇する理由が分からない。
難民ハウスといい、湯殿といい、目の前の料理といい、どれもが規格外の代物だ。
孤児達と談笑しながらニコニコ笑う幼女を見据え、キャスパーは説明のつかない意味不明な厚意に、言い知れぬ不気味な不安を感じていた。
未知との遭遇時、人は己の物差しで相手を測るものである。キャスパーの物差しは、オカンの真意を測るには小さすぎた。
何故ならオカンは何も考えていないから。汚れてるなら風呂を勧める。疲れてるなら布団で寝かせる。ひもじいなら食事を振る舞う。
どれもがオカンにとって当たり前な事。
他意のない人間から真意を探ろうとしても無駄な努力なのだが、今のキャスパーには分からない事であった。
後日、幼女の人となりを理解し、思わず脱力で崩折れるキャスパーが子供らに目撃されるが、それはまた別のお話ww
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます