第70話 オカンと竜と青嵐 ~6~


「じゃあ、まあ簡単な説明からしておこう」


 デザートの木苺ヨーグルト蜂蜜添えまで食べ終わった捕虜達に、千早は静かに話した。


 いわく、この国は民主主義であり、全ての民は法の元に平等で特権階級などは存在しない。これには犯罪者であろうと捕虜であろうとも当てはまる。

 無論、使役などはあるが、生活環境において差別は図らない。

 監視の眼は致し方無いが、それ以外の自由は保証する。


「ただし、あんたらは我が国の民ではない。なにがしか事が起きた時、我々は我が国の民を優先する。それは理解しておいて欲しい」


 軽く眼をすがめ、千早は捕虜達を威嚇した。


 鋭利な視線に含まれる極寒のブリザード。しばし前に秋津国へ敵対し、人々を害した事を忘れてはいないと言外に示している。

 もしキャスパー達が下手を打てば、この幼子は眉一つ動かさずに死を与えるのだろう。


 誰ともなく固唾を呑み、見据える幼女から視線を逸らせなかった。


「まあ、悪さしなきゃあ問題はない。数ヶ月後には帰国の途につけるだろう。頑張りな」


 にかっと笑う幼女。先ほどまでの鋭利な雰囲気は霧散し、捕虜達は恐怖に淀んだ肺の中の空気を一斉に吐き出した。


 これだけの強者な兵士らを一瞬で凍りつかせる幼子に、キャスパーは人知れず嘆息する。

 ここまでくれば理解せざるを得ないだろう。

 この幼女が、この国の重鎮であり、全ての決定権を持っているのだと。そしてそれを成し得る力もあるのだと。


 この場に不似合いなはずの幼女は、誰よりもこの場にいるべき存在だった。


 キャスパーは目の前にある小さな器を見つめる。木苺は珍しい物ではないが、それが混ざっていた白い物と蜂蜜。

 甘酸っぱく、この世の物とも思えない美味さだった。

 甘味とは非常に貴重な物である。果物の水菓子や干し菓子が中心で、蜂蜜などという高価な物は、貴族であるキャスパーですら滅多に口に出来ない。


 それをこのように捕虜達へ振る舞える経済力。


 それ一つからして、帝国は秋津国の足元にも及んでいなかった。


 ああ、我々は負けるべくして負けたのだな。


 大陸のほぼ全土を支配する帝国軍人としては、あるまじき考えなのだが、その思考は何故かキャスパーの胸にストンと納まった。




 そして翌日。


 捕虜らは朝早くから叩き起こされ、現在、秋津国北側を占める原生林に立っている。

 それぞれに武器防具を与え、幼女はふんすっと胸を張り、大きく叫んだ。


「今日は祭りだっ、あんたらには近辺の害獣駆除と肉の確保を兼ねて原生林の野獣や魔獣を狩ってもらいたい。狩りが不得手な者はいるか?」


 え? 祭り? 害獣駆除? 


 武器防具を身につけ、捕虜らは唖然としている。


 いやいや、おかしくはないか? 捕虜に手枷足枷もなく、武器防具を渡すって変だろう?

 警戒心はないのか? 百人からなる軍人だぞ? その気になれば、街の一つや二つ壊滅出来る戦力だぞ?


 呆けたまま周囲を見れば、原生林周辺は豊かな農地。その農地との境に数人の探索者らがたっていた。


 一応は見張りか。しかし、我々を制圧出来る人数ではない。


 辺りを見渡しながら、ふとキャスパーは幼女が切なげに農地を見ているのに気づいた。


「まだ開墾が終わったばかりの痩せた土地だ。これからだ」


 そうなのか?


 キャスパーは広がる農地に植えられているのが野草だとは知らない。緑が芽吹く広大な畑に見えていた。

 しかし言われてみれば、周辺一帯は荒野である。開墾したばかりと言うのは確かなのだろう。

 と、キャスパーの視界に一つの影が駆け抜けた。


「あれ....ブラックウルフかっ」


 原生林から飛び出した影が、畑の道を歩く農夫らしき人間へ真一文字に駆けていく。

 キャスパーの声に周囲が振り返った瞬間、ウルフは農夫に飛び掛かった。


 誰もが無惨に農夫が咬み裂かれると思った時。


 キャスパーは幼女が薄く笑むのを見た。


 ウルフの牙が農夫に届く前に、左右から風の刃が飛び、ウルフを切り裂く。

 悲鳴を上げてのたうつウルフに止めをさしたのは、なんと襲われかけた農夫だった。

 スラッと剣を腰から引き抜き、慣れた太刀筋でウルフの首をはねる。

 そして軽く左右に手を振り、魔法で援護してくれた探索者らに頭を下げていた。


 呆然と事の成り行きを見ていた捕虜達は、探索者らの反応もさる事ながら、ただの農夫がウルフの首をはねた事に驚いている。


 首の骨を一刀両断にするなど、日々鍛練を積み剣に慣れ親しんでいなければ出来る技ではない。

 生き物の骨。しかも頸椎なれば非常に頑健で硬い。素人にどうこう出来る物ではないのだ。

 それを事も無げに落とした農夫に、キャスパーは瞠目する。


「うちの国は皆勤勉だから訓練は欠かしていない。それでも今みたいに不意討ち的に襲われたら危ない。だから少しでも原生林の獣らを間引いて欲しい」


 訓練? 農夫が? 剣の?


 それだけではない。よくよく見れば魔法を放った探索者らは武器防具を装備している。魔法職ではない。

 なのに当たり前のように魔法を使っていた。

 思い返せば昨日の戦いでも前線で魔法が使われていた。外壁上部から飛び交う支援魔法に度肝を抜かれ印象が薄れていたが、戦闘職らも魔法を使うのだ。


 キャスパーは全身がぶわっと粟立つ。


 この国は全てが規格外なのだ。既存の常識で計れば手痛い目に合う。我々に武器防具を与えるのも警戒心がないのではない。何があろうとも対処出来る。揺るがない自信の顕れ。


 散々格の違いを見せつけられていたのに、未だに秋津国を侮っていた己を、キャスパーは自嘲気味に嗤った。




「そろそろ休憩にしないか?」


 倒した獣らを解体し、素材や食材に分けていた捕虜達に周辺警備の探索者が声をかける。

 言われて空を仰げば太陽が真上にきていた。

 キャスパーは部下達に休憩の指示をだし、各々孤児院から渡された携帯食を食べるよう伝える。無論、半数は見張りをし、交代で取るように。

 てきぱきと動く捕虜らに、探索者は感心した呟きを漏らした。


「さすがだな。やっぱり本職の軍人は動きが違う」


 彼の名はミハエル。去年の冬前に難民達を警護し、共に秋津国へ移住してきた新参の探索者だった。


「お誉めに与り光栄」


 ニヤリと口角をあげ、キャスパーは昼食をとるべく部下と共に木陰へ腰掛ける。ミハエルも自分の昼食を手に、その輪に加わった。

 ミハエルをチラ見しつつ、携帯食の包みを開けた捕虜達は思わず眼を見張る。

 中には細かく編まれた大小二つの籠のような物があり、大きい籠の蓋を開けると色とりどりな料理がギッシリ詰まっていたのだ。

 ずんぐりむっくりした細長いパンに、これまた細長い棒のような物が挟まり、細かく切った玉葱と赤いトマトソースがかかっている。 

 その横には四角く切られた黄色い卵焼きと、肉らしい茶色い塊が数個。それらを包むように葉物が敷かれ、もう一つの小さい箱には色鮮やかな野菜と櫛切りににしたリンゴが入っていた。

 ゴクリと唾を呑む捕虜らの携帯食を見て、ミハエルは羨ましそうだ。


「お、孤児院の弁当か。良いね。あそこのは完全に予約制だから、中々食えないんだよな」


 弁当? 予約制? 孤児院が?


 キャスパーの顔に、ありとあらゆる疑問を感じ取ったのだろう。以前の己を見ているようで親近感のわいたミハエルは、疑問に答えた。


「孤児院はね、妹様が拠点となさっていて、手塩にかけている育てている場所なんだ。だから、あらゆる点において他より抜きん出た技術をもっている。その最たる物が料理だ」


 キャスパー達は食事をとりつつ、ミハエルの話を聞いた。

 またもや、あまりの美味さに絶句し、聞きもらす事もあったが、だいたいの事情や事柄は聞ける。


 いわく、妹様と呼ばれる幼女は異世界からの来訪者。


 彼の国から色々な物を持ち込み、みるみる内にディアードという辺境の小さな街を、国と呼べるほどに大きくさせた。

 それに必要な産業を起こし、経済活動を行い、教育、福祉を充実させ、今の秋津国を作ったという。

 幼女のみは、こちらとあちらを転移出来て、同行してきた父親や青年は異世界を渡れないらしい。

 何故かと問えば、神域というスキルが無いからだという。

 耳慣れないスキルにキャスパーが首を傾げると、ミハエルは神々の所持するスキルなのだと事も無げに言った。


「神々のスキル....?」


 あの幼子が、それを所持しているという事は。....つまり?


 顔面蒼白なキャスパーの呟きに思わず吹き出し、ミハエルは自分を凝視する捕虜らの想像通りの答えを口にした。


「妹様は、創造神ネリューラ様の溺愛する妹君にあらせられる。元は異世界に生まれた創造神様の妹神の子孫で、今回の渡りにおいて神としての資質を発現し、人間の肉体を持ちながら神族として姉君である創造神様と秋津国に暮らしておられる。いずれは神になられるのだろうな。聞けば神々の序列では創造神様に次ぐ次位らしいから」


 当たり前の事のように淡々と説明を受け、キャスパーら一同は、改めて驚愕に眼を見張り、全員が顔を凍りつかせた。


 我々は神々に弓を引いたのかっ!!


 秋津国へ攻撃を仕掛けるという事は幼女に弓を引くと言う事。それ即ち、神々を相手に戦を挑んだも同然。


 基本、神々は人々の理に不干渉だ。


 しかし、神族であり高位の序列に座する幼女と敵対するのであれば話は別。身内に攻撃を受けた神々は、防衛、或いは神罰として人々に干渉する大義名分を得る。


 キャスパーは思い出す。何時からかまことしやかに流れ始めた噂。


 辺境に小さな楽園在り。そこは真っ当に生きようとする者なれば誰でも受け入れてくれる、神々の住まう街。


 難民や貧民が辺境を目指す理由。戦から逃げ惑う人々に何時からか方向性が示され、帝国辺境警備が厳しくなった。


 一心不乱に辺境を目指す人々を捕らえ、耳にした噂。


 戦火に疲弊し、疲れきった人々の生み出した妄想か何かだと思っていた。あんな荒れ果てた辺境に楽園など想像も出来なかったからだ。


 しかし実際に秋津国を眼にすれば言葉を失う。ここを表現するのに楽園以外の形容詞は浮かばない。


 キャスパーは手元の弁当なる物をジッと見つめる。


 こんな小さな籠の中にすら、その片鱗は見え隠れしていた。


 祖国にこの事実を伝えねば。秋津国に弓を引いてはならぬと進言せねば祖国は滅びる。


 後日、捕虜ら全員の働きを計算し、その金額全てを身代金としてキャスパーと数人の部下が解放された。

 新たに身代金を稼ぎなおさねばならなくなった部下達も、祖国の一大事と快く稼ぎを譲ってくれた。


 残る部下達に見送られ、キャスパーらは一路祖国を目指す。


 既に手遅れとも知らない彼らを、シメジな女神様が悲しげに見つめているとも知らずに。


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