第59話 オカンに関わる人々 ~side・アルス爺~


 ある日の深夜に彼等はやってきた。


 一目で親子と分かる身なりの良い二人に、従者とおぼしき若者。

 一見して、この難民の吹き溜まりな街に似つかわしくない一行は、思いがけずも古き作法の挨拶で、みすぼらしい孤児院に一夜の宿を求めてきた。


 幾久しく見なかった故国の作法。


 懐かしさに潤む眦を拭いつつ、アルス爺は喜んで彼等を迎え入れる。見るも無残なあばら家にも関わらず、彼等から嫌悪などは感じない。

 むしろ好奇心に満ちた心地好い眼差しで周囲を眺めていた。


 どんな事情があるにせよ夜も深い。


 アルス爺は彼等を寝台に案内し毛布を渡した。硬い板の上に藁をしいて、布を被せただけの質素な寝台。


「孤児院ですので寝台の数はございます。寝心地は良くないかもしれませをんが、手足は伸ばせますので、ごゆっくり」


 空いてる部屋へ三人を案内し、扉を閉めながらアルス爺は少しだけ眉をひそめた。

 孤児院は貧しく、何のおもてなしも出来ない。明日の朝食も薄いスープと硬いパンの欠片だけだ。

 茶葉もないので白湯を出すしかなく、ドラゴン様のご友人に申し訳無い気持ちで一杯だった。


 しかし翌日。アルス爺から事情を聞いた彼等は、どんっと食糧を差し出してくれる。


 丸々と太ったウサギ五羽に、山盛りな野菜二籠。今の孤児院ならば十日は食いつなげる量である。

 眼を丸くするアルス爺に、件の三人は事も無げな顔で柔らかく微笑んだ。

 今はこのくらいしか出せないが、稼ぐと言う幼女。

 しばらく観察していて分かったが、どうやら三人の中で主導権を持つのは、最年少の幼女であるらしい。


 明らかに幼女主導で事が運んでいる。


 雑貨屋の主人はアルス爺の息子で、幼女らが至高の間の産物を売りに来たと話し、さらに久々にドラゴン様にも逢えたと言う。

 幼女が何処からともなくドラゴン様の分身を連れてきて、失われた故国の話をしたそうだ。


 そしてドラゴン様は、彼等の好きにさせよと言い残したらしい。


 よほどの信頼関係にあるのだろう。


 教会から寄進を分けて貰った帰りに寄っただけだが、息子であるドルアデはまるで夢見心地な顔をしてドラゴン様と邂逅した奇跡をとつとつと話した。


 半信半疑なままアルス爺は帰路につく。しかし息子の話が頭から離れない。

 それでも教会からの僅かな寄進と雑貨屋の売上を手に、子供達の食糧を得るため市場へと向かった。


 だが、翌日からアルス爺は驚愕の毎日に直面する。


 彼等は、あっという間に畑や家畜小屋を作り、高価な鶏々を五羽も買ってきたのだ。


 冬羽がフカフカで立派な鶏々。


 歓声を上げる子供らを余所に、アルス爺は驚きよりも疑心が首をもたげ、訝しげに彼等を見つめる。


 こんな貧しい孤児院に施しをして、彼等に一体何の得があるのか。

 そしてその疑惑は口から零れ落ちた。


 しかし彼等は逆に不思議そうな顔で此方を見つめてくる。


 誰かを助けるのに理由が必要なのか?


 アルス爺は後頭部を落石に見舞われたかのような衝撃を受けた。遥か彼方の思い出にある小さな記憶が揺さぶり起こされる。

 優しく美しい故国で、ドラゴン様を傍らに我々こそが実践していた、たった一つの教え。


『人を救うのに理由はいらない。助け、助けられ、人々は支え合い世界を紡ぐのだ。全ての人々が手を取り合えば、越えられぬ困難は無い』


 それを心にとめ、故国は強く優しい国であった。まさか、それが仇になるなどと誰も考えていなかった。


 ああ、そうだ。何故忘れていたのだろう。


 アルス爺は、鶏々とはしゃぎ戯れる子供らを眺めながら、彼の国の日々を思い出す。

 何時もこのように、優しい人々は子供らを眺めていたものだ。

 何の不安もなく子供らを見守り、穏やかな日々が続くと疑いもしなかったあの頃。


 全ての歯車が歪み軋んだのは何故だったのか。


 今思い返しても何が原因なのか分からない。


 我々が戦争難民を信じたのが間違いだったのか? あるいは、我々に何か至らぬ事でもあったのだろうか? 

 原因不明の病の蔓延? ポーションも治癒魔法も効かず、どうしようもなかった。アレの怨みだろうか。


 考えてもせんなきこと。起きてしまった事は変えられない。


 炎に包まれた祖国から逃げるように飛び出し、当てもなくさまよい、帝国の手からのがれ、辺境に辿り着くまでに、我々は人の醜い部分を見すぎたのかも知れない。


 行く先々で騙され、幾度となく寝込みを襲われ、身体も精神も窶れ果てて、さらには奴隷狩りに子供拐い。

 平和な国で安穏と暮らしていた我々は良いカモだったのだろう。


 ほうほうの体で逃げ惑い、一人二人と脱落していく仲間達。子供らを守るために犠牲となった大人達。


 叫ぶようにそれらを振り切り、アルス爺は命からがらディアードの街に辿り着いたのだ。


 仲間らが犠牲となり、暴漢や奴隷狩りの襲撃を足止めしてくれた。彼等は一体どうなってしまったのか。


 辺境で落ち合おうと誓った仲間らは、誰一人としてディアードに現れなかった。


 だが子供らは守れた。子供らは誰一人欠ける事なくディアードで大きくなり、今やいっぱしの大人で、職人や探索者として孤児院を支えてくれている。


 そして今である。


 鶏々と全力で遊ぶ子供らを眺めつつ、アルス爺はドラゴンの教えを新たに胸に刻みつけていた。


 その日に幼女らが来訪者と分かり、彼等は故郷の家畜を多数運び込んだ。

 それを神薬で蘇生させ、生ませ育て、わずか数ヶ月で牧場は軌道に乗り、新たに燻製小屋や発酵小屋も作られる。

 彼等の故郷の鳥は小さいが繁殖力が凄まじく、毎日のように卵を産み、ヒヨコが生まれ、数ヶ月で立派な若鳥になった。

 牛や豚は逆に大きく、牛からは大量の乳が搾れ、豚は鶏と同じく数ヶ月で親と同じくらい大きくなる。


 呆気に取られるアルス爺を余所に、彼等は搾った乳を加工品に。チーズやヨーグルトといった見た事も聞いた事もない物へと変貌させる。

 家畜の肉も燻製とやらで、長期保存のきく加工品に変えていく。


 そのままでも十分美味しいが、加工された物の美味さときたら、言葉を失う絶品さ。


 眼をしぱたたかせる間に、今度は畑が作られていく。


 家畜らから集めた糞尿を、藁や落ち葉や土などと混ぜ合わせてしばらく置き、それを今度は畑に鋤き込んでいた。

 そこからまたしばらく土を休ませ、予め育ててあった苗を植えていく。


 今はもう秋も深い。こんな季節から育つ物などあるのだろうか?


 不安気なアルス爺の予測を裏切り、植えられた苗はすくすくと育ち、青々とした葉物や根菜が収穫出来た。

 温室なる物も作られる。何でも地面に配管を通しお湯を流して温度を上げているのだという。

 鉄製の格子で出来た全面ガラス張りな小屋の中はとても温かく、季節を問わぬ野菜が育ち収穫出来る。


「地下に源泉があって良かったなり。あん人に突っ込まれた時は慌てたけど、これで誤魔化せる」


 幼女は植えたばかりの胡瓜の苗を撫でながら苦笑していた。


 温室を暖めた湯はそのまま湯殿と呼ばれる場所へ流れ、適温に満たされた広い湯船で、誰でも身体を洗う事が出来る。


 これも彼等が作った物だ。


 御風呂はあるかと聞かれ、御風呂とは何かと聞き返した時の絶望に満ちた幼女の顔を、アルス爺は絶対に忘れないだろう。

 聞けば御風呂とは身体を清潔に保つため、湯で洗浄する施設らしい。

 悲壮感漂う顔でしくしくと泣く幼女に、父親が湯殿を作ろうと励ますように声をかけた。


 しかし火を維持するのも薪がいる。


 暖房のための薪すらままならない孤児院では身体を洗うために湯を沸かすなど贅沢極まりない事だった。

 汗や汚れなど絞った手拭いで拭けば良い。

 やはり来訪者達の世界は、高度な文明で豊かな国なのだろう。基本的な生活習慣からして全く違うのだ。

 困ったようなアルス爺の目の前で、幼女はすくっと立ち上がり、ふんすっと胸を張る。


「無ければ作るなも」


 そう言うとパンっと両手を合わせ、大地に手を着き、思案げに眼を伏せた。


 十分ほどたっただろうか。


 伏せられていた眼が見開き、一直線に東の荒野を見据える。


「あった。海底火山だ。そこからマグマ溜まりの支流がこちらに伸びてる。源泉もある。ちょい遠いが引けるなも」


 アルス爺には、幼女が何を言っているのかわからない。

 しかし来訪者らには理解出来たのだろう。にんまりと笑い、各々がアイテムボックスから道具や資材を取り出していた。


 最近流行り始めたアイテムボックス。空間魔法が中以上で魔力の高い者なら使えるというそれを、来訪者らは三人とも所持している。

 しかも常人なら小さな倉庫分くらいが最大限なのに、彼等のアイテムボックス容量は計り知れない。

 当たり前のように巨大な石や枝葉のついた大木がゴロゴロ出てきた。


 眼を点にするアルス爺を余所に作業は進む。


 かくして通称湯殿と呼ばれる異世界初の大衆浴場が誕生したのである。


 源泉引くなら温室も作ってしまえと、この温室も建てられた。

 アルス爺は懐かしそうに石材で作られた建物を見上げる。そして幾度めか分からない衝撃を受けた事を思い出した。


 頭からお湯をかぶり、全身をくまなく石鹸で洗う。とても良い匂いのする石鹸に驚き、きめ細やかな泡に驚き、濯いだ時に自分から流れた薄汚い水に驚いた。


 私は、こんなに汚れていたのか。


 自己嫌悪に陥りつつも子供らと湯船に浸かり、暖かいお湯の心地好さにまた驚いた。


 なんともはや。贅沢の極みとは思ったが、無尽蔵に湧くお湯の有効活用ならば文句もない。


 それになにより至福の極みでもある。普段清拭を嫌がる子供らすら、うっとりと首まで浸かっていた。

 アルス爺は、これが当たり前な来訪者の世界は天国に違いないと思う。


 見たこともない美味なる食べ物に、聞いたこともない栽培、育成方法。

 これからの孤児院は変わる。きっと明るく豊かな場所になる。間違いなく子供らは幸せになれる。


 そんなたわいもない希望を抱いていた時もあったなぁと、アルス爺は少し遠い眼で空を仰いだ。


 来訪者ら....いや、幼女の行動はアルス爺の想像の斜め上をさらに越え、孤児院どころがディアードの街全部を引っくるめて変えてしまった。

 子供らを幸せにするためには街が豊かにならないとダメだと、街中を相手どり大人らを顎で使い、荒唐無稽な計画に無理矢理詰め込み、なんと達成してしまった。


 今ではディアードの街のみにあらず。辺境の村や街に経済的支援を行い、ディアードの街から教会を追い出したあとは、技術的支援も行っている。

 多くの場所から人材を募り、魔法やスキルを学ばせ人的資源の育成に邁進していた。


 人を人的資源と表現する幼女の言葉は的を射ている。人間はかけがえの無い資源なのだ。どんな才能の種を秘めているか分からない。

 育てなきゃ損だと叫ぶ幼子に、周囲は大きく頷いていた。


 自分は女神様直々に選定の儀を執り行っていただき、なんと司祭どころが神族の証まで頂いてしまった。


 今やディアードは皇帝すらも脅かす存在となりつつある。否応もなく時代の動きに巻き込まれる。


 それも一興。全てを失った人々が、今更ディアードを手離しはしない。


 アルス爺にしては珍しい挑戦的な光を眼に宿し、大きく動き出した時代の向かい風を、頬に心地好く感じていた。

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