第50話 オカンの異世界観光 ~5~


「なんだ、これは....」


 絶句する二人の目の前には信じられない光景が広がっていた。


 美しい水面を携える大きな湖に、街を流れる穏やかな川。街そのものにも活気があり、大勢の魔族や人間が忙しく動き回っていた。


 人々の顔には笑顔があり、何処からともなく良い匂いが漂ってくる。美味そうな匂いだ。


 水番の男は瞠目したまま馬車から降り、行き交う人々を呆然と見つめる。


 三日前は、こんなんではなかった。


 閑散とした道に枯れ木のような人々がポツリポツリと横たわる。腐臭と死臭が混じり合い、言葉に尽くせぬ悲惨な情景だった事を男は知っていた。


 しかし、今を見ろ。そんな情景など欠片もなく、むしろキャルマよりも活気に満ち溢れているではないか。


 水番の男は、心の底から湧き出る安堵と歓喜に言葉もない。知らず笑む顔に涙が滲む。


 いったい何が起きたのか? そんなの決まってる。


「奇跡だ」


 もう一台の馬車の男も横に立ち、あんぐりと口を空けたまま、呆然と御互いの顔を見合わせる。

 途端、御互いに顔を破顔させ、抱き合った。


「奇跡だ、やった!!」


「生きてるよっ、街が生き返ったよっ!!」


 おいおい泣きながら笑う二人に気づいた司教が、彼らに近寄り静かに声をかけた。


「死にましたよ、この街は。生き残った者は私一人です。かろうじて子供らも生き残りました。仲間を糧としてね」


 険しくすがめられた司教の眼からは、以前のような親しみは欠片も感じられなかった。

 むしろ怨嗟えんさの宿る凄まじい眼差し。

 己の街が仕出かした裏切りを考えれば当たり前だった。二人は所在無さげに地面を見つめる。

 そんな二人に、司教はとつとつと仲間の最後を語った。子供らを生かすために、優しく勇敢だった彼らの最後を。


 水番の男達は、あまりの凄絶な結末に唖然とする。


 無言で立ち尽くす二人を鋭く見据え、司教はそれでも水を運んでくれた事を感謝していると頭をさげた。


「今後我々は独立します。穀倉地帯の恩恵に預かった事。今まで水を運んでくださった事。ありがとうございました。これからは湧いた地下水で自給自足をいたします。御世話になりました」


 今回の掌返しはともかく、これまでは良好にやって来たのだ。

 身一つでやってきた我々魔族に穀倉地帯の手伝いの仕事をくれて、街を作るのも手伝ってくれた。

 下働き的に酷使もされたが、ただ野垂れ死ぬ運命だった我々にとって、かけがえのない救いだった事には変わりなかった。


 感謝すべきところは感謝する。今回の事とは別な話である。


 感慨深気に過去を振り返っていた司教に、幼女が声をかけた。


「司教様、水車が完成したぞなも。動かすべ」


 手を振りながら駆けてくる幼女に、水番達の視線が集まる。


 人族の子供のようだ。何故こんな所に人間が?


 そして我に返った。


 そうだ、人族。


 さっと街を一瞥し、魔族に混じり多くの人族がいる事に気がついた。


「なんで、こんなに人族が?」


 抱いた疑問が口から零れる。


 それを皮肉気に見つめ、幼女は挑発するような眼差しで答えた。


「災害支援だよ。キャルマにはまだ届いてないかい? 人間の国から大量の物資支援があったんだよ」


 そういえば数日前に大量の食糧が届いたと聞いた。蒼いローブの子供が置いていったと。


 蒼いローブ?


 そこまで考えて、水番の男は目の前の幼女を凝視する。見るからに上質な蒼いローブ。

 幼女は男の思考を読み取ったかのように、ニヤリと口角を歪めた。


「あたしが置いていったのは別物だ。....ここの話を聞いて、キャルマに食糧を置いていった事を心底後悔したわ」


 ふわりと柔らかい笑顔に辛辣な台詞。

 水番の二人は掴みようのない不可思議な恐怖に背筋を震わせた。

 野生の勘が....本能的な何かが、目の前の幼女に警笛を鳴らしていた。

 怖じける二人につまらなさげな一瞥をくれ、千早は司教の手を掴む。


「水車が動けば脱穀や製粉が楽になるべ。小麦粉も量産出来るし、揚水もかねてるから水回りも楽になるなも」


 はしゃぐ幼女に連れられ、司教は砂漠の方へと歩いていく。

 水番の二人は顔を見合せ、何の気なしに幼女と司教の後をついていった。


 穏やかに流れる川の向こうには、更に大きな湖があり、そこから砂漠方面へ五本の川が流れていた。

 五本の川には石垣で作られた段差に大きな車輪のような物が取り付けられ、ぎっしゃんぎっしゃんと音をたてて勢い良く回っている。

 石垣から落ちる水を受け取めて回転する車輪。その側面には小さな桶が取り付けてあり、回転する車輪とともに回って、川の水を掬っては上部に設置された大きな桶に水を注いでいた。

 大きな桶からは幾つもの配管が伸びていて、どうやら各家に繋がっているようだ。


 つまり、ここから各家に水が供給されている?


 余剰水は大きな桶の横から川に排水され、無駄の無い作りになっていた。


 良く出来た技術である。


 初めて見る揚水水車に、水番の二人は感動していた。これがあれば、我々の街も楽になる。

 キャルマの街には複数の井戸があり、洗濯にも掃除にも釣瓶落としで水を汲んでいた。結構な重労働なので、是非ともこれが欲しい。


 感嘆の眼差しで水車に眼を奪われていると、水車横の小屋で小麦粉を詰めている姿が見えた。


 え?


 不思議に思い、そっと中を覗き込むと、小屋の中は太い木材と様々な大きさの歯車がひしめき合い、ガチャガチャ回りながら動いている。

 それに合わせて中央の石臼が回り、サラサラと白い小麦粉が出来ていた。

 水番の男はハッとして、外の水車と中の歯車を交互に確認する。


 外で回る車輪の力で中の歯車が動いているのか!!


 なんという事だ。これは一つで複数の役割をこなすのか。しかも人の手でやろうとすれぱ重労働な水汲みや製粉を同時にこなしてしまう。


 必要なのは仕組みと水の流れだけ。


 その仕組みに使われている技術こそが重要なのだが、見た目が簡素なため水番の男には理解出来なかった。


 後日、見よう見まねでトライして失敗続きに挫折し、司教に泣きつく水番の男が子供らに目撃されるのだが、それはまた別のお話。


「あとは畑と養鶏やな」


 実のところ畑の準備は出来ていた。


 沙漠に混ぜた土砂。そこに千早はインベントリから出した大量の砂状の物と堆肥、腐葉土を撒き散らす。

 パンっと両手を合わせ、大地に手を着き、撒き散らした物を土砂を混ぜた沙漠に土魔法で混ぜ込む。

 砂漠近くに作られた溜め池から染み入る水で、土砂の混ざった砂漠は、みるみる土色に変化していった。

 本来なら砂に際限なく吸い込まれるはずの水が、しっかりと大地に保有されている。


 その理由は千早が撒き散らした砂状の物質。オムツなどに使われる高分子吸収ポリマー。


 砂漠や荒野の緑化に大活躍なそれを、千早は即席緑化のために使ったのだ。

 ポリマーの吸収力は半端無い。しかも乾燥に強く、半永久的に効果を発揮する。

 しかし植物はさらに強い。そのポリマーから平然と水分を吸収するのだ。


 改良した土地の外郭に木を植えて更なる緑化を進め、空いた部分を畑にする。

 上滑りを防ぐため、木々には地中深く根を張ってもらわねば。


 荒野の緑化に続き、砂漠の緑化か。


 生粋の百姓な千早はワクワクが止まらなかった。


「溜め池側にトウモロコシ。砂漠側に麦畑やろ。あとは中間に季節の野菜や芋類かな。サツマイモなら場所は選ばないし」


 キャッキャとはしゃぐ幼子を眺めつつ、司教は呆然と土化した砂漠を凝視する。


 なんともまあ。


 指の間からこぼれる砂だったはずの砂漠は、今やもったりとしたフカフカな土に覆われていた。

 木々が成長すれば、今まで街を苦しめていた砂塵や砂嵐も防いでくれるだろう。


 たら、れば、が無意味な事とは知っている。だが考えずにはおれなかった。


 せめて僅かでもキャルマの街が食糧を支援してくれていたら。あるいは、幼女の来訪があと十日早ければ。


 司教は固く眼を閉じた。


 .....皆生きていられたかもしれない。


 せんなき事と思いつつも、司教は考える事を止められなかった。


 そしてこれが、後に大きな悲劇を生むとは、当の本人すらも知りはしない。


 闇の陥穽かんせいは、誰の心にも巣くうものであり、ふとした弾みに、その獰猛な牙を剥くのである。

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