第3話 オカンと蛋白質 ~前編~
深く
ひらひらと蝶が風に舞い、すごしやすい暖かな気候。
各種小動物が程よく生息し、真上には太陽も雲もなく澄みきった青空が広がっている。
そう、空には太陽がない。何故なら、ここはダンジョンだから。
千早は、じっとりと眼をすわらせる。
おはようございます。皆様如何御過ごしでしょうか。朝から私は唖然としております。最上千早でございます。
ダンジョンの疑似天候は優秀です。昨夜は疲れからか、早々に就寝いたしました。周囲がしだいに暗くなり。条件反射のように睡魔に見舞われたのです。
結果、朝まで泥のように眠りましたが。
皆様御察しの通り、わたくし若返りました。
若返ったというか.....
「幼児だろ、これはーっっ!!」
千早の絶叫がダンジョンに谺する。
『おお、ずいぶんと様変わりしたのう』
驚くドラゴンに、千早はぶーたれてそっぽを向いた。
ねーわぁ。マジでナイわー。
若返りは最大でも五歳までとシメジな女神様は言っていた。しかし、今の彼女は三歳くらいにしか見えない。
千早は昭和世代の女子にしては長身で、167センチ。しかし実は、昔から小さくて、中学校に上がるまでは年相応に見られた事はない。
童顔な事も相まり、小学校中学年までは、申請しないと自動的に幼児料金で処理されてしまう有り様だった。
これは致し方無いと思う。何故なら千早の家は貧しかったから。
一億総中流と言われた昭和後期にも、それなりに貧しい家庭は存在した。
母体の栄養不足、成長期の栄養不良。それらを考えれば当然の結果である。だが小学校に上がる事で、それは劇的に改善された。
学校給食の存在だ。
子供達の成長を考えて作られた学校給食は、栄養バランスも完璧。おくればせながら僅かずつ千早の成長は加速していった。
それでも栄養に不足なく育った周囲に比べたら、明らかに小さかった。今までのアドバンテージが違うのだ。
なるようにしかならないよねと達観する千早に、再び劇的な変化が現れたのは中学校に上がってから。
なんと中学校三年間で千早の身長は40センチ伸びたのである。
成長痛で関節に水がたまり、絶叫をこらえながら何度も病院で水を抜いたのは良い思い出。
後になってから千早が気がついたのは、牛乳だった。あの当時、学校は給食に関してユルユルで、残すもお代わりするも自由自在。何故か人気の無かった牛乳は、常に大量に残されていた。
解せぬ。
だがそれを幸いに、千早は給食室に集まっていた牛乳を、水のように飲んでいたのだ。単にオヤツがわり。美味しかった。
給食のオッチャンと顔馴染みになるくらい飲んでいたソレ。
残すのを良しとしない古い世代なオッチャンは、喜んで飲ませてくれた。
日に五本は飲んでいた瓶牛乳。他にも原因はあったかもしれないが、あれが
.....となると。
千早はある予感に冷や汗が出た。
今、栄養不良状態の五歳児なのだとしたら、このままでは絶望的に成長しないのでは?
通ってきた道である。
「ぬあぁぁぁっ、ふざけんなーっっ!!」
再び千早の絶叫がダンジョンに谺した。
今の状況はあの頃より悪い。主食が野草とか、何の罰ゲームだよ。昨日までなら、強制ダイエットとか笑う事も出来たが、ガリガリな幼児にダイエットって、ただの虐待だろっっ!!
千早は力の限り最下層の扉を叩き、涙目でドラゴンに泣きついた。
「と言う訳で、ドラゴンの爺ちゃん、私に狩りや釣りを教えてくれ」
真剣な顔で目の前に正座する幼女。呼び出されて首だけを入れた状態のまま、ドラゴンは無言だった。
いや無言ではあるが、頭の中ではありとあらゆる考えを巡らせている。
小さすぎて何の得物も使えまい。釣りとて魚に力負けするだろう。ダンジョン産の生き物は魔獣でなくとも地上の生き物より遥かに強い。
罠とて役にたつまい。希少素材で作ったならば何とかなるかもしれんが、小さいコヤツでは、縄か竹を細工するのが精々だ。
ドラゴンは鑑定で千早のステータスを確認する。昨日とあまり変わっていない。やや筋力が下がり、俊敏が上がっている程度だ。ダンジョン産の生き物を倒せる力ではない。
思案するドラゴンの瞳が、ふと軽く見開いた。
『そなた....魔力が上がっているな?』
「はぇ?」
寝耳に水である。
ここはダンジョンの最深部。非常に濃い魔素に満たされた空間で呼吸し、泉の水を飲み、ダンジョン産の野草を食べた。
魔力が増えない訳がなかったのである。
チハヤ モガミ
職業 主婦
称号 無
体力91 筋力44 俊敏60 器用86
知力101 魔力33 知略88 野心62
祝福 地球の神々の愛し子 創造神ネリューラの妹
スキル 無
固有スキル 鑑定 インベントリ 状態異常完全無効 精霊支援極 全属性魔法極 自動回復極 結界魔法極 空間魔法極
加護 地球の神々の加護 創造神ネリューラの加護
「何か、いっぱい生えてるっっ」
驚く千早に、ドラゴンはうっそりと微笑んだ。
だから、怖いって。
『状態異常完全無効と自動回復極は姫神様の祝福だの。結界魔法極と空間魔法極は姫神様の加護だ。極とは豪勢だがな。通常の祝福なら、中といった所か。姫神様に身内と認定されたようだの』
《頑張りました》
どや顔だったシメジな女神様を思い出す。
どや顔な訳だよ。心の中で、だから?とか考えてて、ごめんなさい。
極になると通常のスキルから個別化され固有スキルになるらしい。それ以上は上がらないもんな。
「じゃあ残りの魔法は?」
他にも魔法がある。千早の問いにドラゴンは眼を細めた。
『地球とやらの神々の加護じゃろう。愛されとるの』
思わず千早は、罪悪感から口を引き絞る。
信仰心が高い訳じゃない。日本文化の日常に祈りが溶け込んでいたから、結果的にそうなっただけなんだ。こんなに優遇されて良いんだろうか。
何となく
『何をしょげとる。そなたの人生が健やかであるようにと贈られた力であろう。ほれ笑え。それが何よりの返礼だて。神々の力が、そなたの助けになれば、神々は誇る事が出来よう。腐らせてはいかん』
ほれほれと、ドラゴンは鼻先で千早を転がした。
昔は子供らと、こうして良く戯れたものだ。
慣れた鼻先で転がされながら、千早は罪悪感を振り切り、にかっと笑う。ムリヤリ張り付けた笑顔と分かるが、ドラゴンはニンマリ口角を上げた。
「だから、怖いって!」
今まで口にはしなかった言葉が千早の口から滑り落ちる。
『なんだとぅっ?』
不服そうに鼻息を鳴らすドラゴンの鼻先にペタリと張り付き、千早は両手で包むようにして抱きしめた。
「頑張るよ。せっかくの贈り物を腐らせないように。世界一の魔法使いになる」
決意表明する幼子にドラゴンはほくそ笑む。懐かしい言葉だった。
ドラゴンの意識が過去を振り返る。
『俺、世界一の剣士になる。英雄になるんだ、ドラゴン様。きっとなれるよね』
『私ね、あの人のお嫁さんになりたいの。きっと世界一幸せな花嫁になれるわ』
『聞いておくれよ、ドラゴン様。わしに孫が出来たんだ。こんな世界一の幸せ者、他におりゃあせん』
悠久を生きるドラゴンの傍らを通り過ぎていった人々。
それぞれの幸せや希望の欠片を御裾分けしてくれた隣人達。
『お前のせいで国が滅びた!! お前のせいで、御姉様が死んだ!! この疫病神っっ!!』
炎の中で泣き叫び、ドラゴンに刃を突き立てた最後の隣人。
エンシェントドラゴンが人間と関わらなくなった原因。
かれこれ五十年も前か。まだ元気にしているだろうか。
すがめられた瞳に険しさが増す。
知らず寄せられたドラゴンの眉間を、千早が執拗に撫でていた。
「あかんよ、爺様。シワは定着するんだから。せっかく男前なんだし、爺様も笑っとけ」
小さな紅葉の手が、シワを伸ばそうと必死に力を入れる。
『そうか、我は男前か』
「おうっ」
張り付けた物ではない、自然な笑顔。
「爺様、魔法得意なんだろ? 教えてな。絶対、使いこなせるようになってみせるから。こう、バーンっと」
身ぶり手振りで伝えようとする千早に、またもやドラゴンは、うっそりと微笑んだ。
『バーンは無理じゃの。魔力30で使えるのは生活魔法くらいじゃ。バーンとやるなら、せめて魔力100は欲しいの』
出鼻を挫かれ、えーっ? と不貞腐れる幼子。
そう遠い話ではないんじゃがな。
口には出さずに、ドラゴンは鼻先で千早をツンと押し倒した。
なにすんだっと鼻面を掴む千早を鼻息で吹き飛ばして、かっかっかっと笑う。
ここで暮らすなら魔力は否応なく上がるし、いずれ生き物を狩るようになれば、レベルも上がろう。
新たな隣人との暮らしに心踊らせるドラゴンは、ふと自分が喜んでいる事に気が付いた。
人間に絶望し秘境に棲みつき、引き篭り、今回の姫神様の御召しがなくば、あのままであったであろう我が。
それだってダンジョン最下層の裁定者という立場を、公然とした引き篭りに利用しようと思っただけだ。
今回の御召しに感じた懐かしい風。
我にまた人間と関われという事ですかな? 姫神様。
姫神様の世界で我は人間に絶望した。ゆえに新たな来訪者が我の信頼にあたいするかを見極めさせようと?
ずいぶんと自分に都合の良い話だ。
ドラゴンは自嘲気味に笑った。
それでも良い。我はこの幼子との暮らしを楽しんでいる。
人の生は短い。見守り育て、いずれ旅立つ時まで、我の知識全てを与えよう。
千早はドラゴン首の上に跨がり、ポコスコと頭を叩く。それを疎ましげに振り落とし、ドラゴンはニヤリと笑った。
『今日から魔法で生活するが良い。慣れは大事じゃぞ』
「了解っ!」
千早は元気に手を上げる。
ダンジョン最奥の平穏な森で、一人と一匹の愉快な生活が始まった。
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