・物作師見習いはXXX。


 父さんはとても顔の広い物作師だった。貴族の専属であり、技術も素晴らしい。いつも笑顔で、誰もが父さんを好きだと言っていた。だから僕ももしかすれば……なんて思っていた。関わりはあまり無かったけれど、あの父さんの息子だから何とかなると。


けれど、常識で考えてみればすぐに分かる。父さんは父さんで、僕は息子なだけだ。どんなに父が素晴らしくても、それで僕の評価が変わるわけもないことは分かったはずだ。……いや、分かっていても僕は。


「ああ?暇じゃないんだ。邪魔するな」

「アルドが死んだのは残念だが……てめえに何かを教えてやる義理はねえな」

「ハッ!あいつがいなくなって仕事が舞い込んできたんだ!ありがてえくらいだよ!」


 買い出しを終えて、父さんの知り合いの物作師に金属加工のアドバイスを貰いに行った僕は、隅から全て悉くあしらわれていた。中には突き飛ばされたり、作業をしながら睨まれたり舌打ちをされたりもした。当たり前だ。邪魔をしに来たようなものなんだから。それにこうなることは、分かっていたはずだ。僕はただのアルドの息子で、それ以上の評価もないただの物作師見習いだ。


 ただでさえ物作師という職は毎日を生きるために必死だ。工房に依頼されたアイデアを、期日までに数を揃えて完璧にこなさなければならない。それが出来なければ、簡単にその工房は切られる。一度付けられた落胤はあっという間に広がり、次の仕事も受けにくくなる。そして仕事が受けられなければ給金も出ず、やがて物作師として生きていけず、最悪の未来を迎えることになる。……スラム堕ちだ。


 父さんに聞いたことがある。怪我や違反、信頼を失ってしまった物作師がどうなったのかを。上の区から流れてきたゴミを漁り、泥溜まりの水を啜って喉の渇きを癒す。人攫いにあったり奴隷にされたり、犯罪集団の一員になることだってある。それがスラムである8番区の常識だ。


 そんな闇を抱えているのは物作師だけではない。もちろん、別の職業でもあり得る。しかし、一番スラム堕ちの数が多いのは物作師だ。アイデアで一攫千金を得る夢があるからこそ、失敗した時は取り返しがつかなくなる。だから必死に仕事をするんだ。僕を構っている暇なんて無い。


 最後の工房に到着した。けれど様子がおかしい。扉をノックしても誰からの返事も無く、工房の灯りや炉は点いていないし、人の気配が全くしない。まるで捨てられた工房の様だ。スラム堕ちをした物作師の工房は、活動を続けられないため建物だけが残る。他の物作師が工房を開くときに使うためだ。けれど、工房の机や道具には使用された痕跡がある。普通は埃が溜まって放置されているのが一瞬で分かるけれど、ここは誰かがもう使っているのだろうか。


 父さんの知り合いで、物作師の工房の場所は全て父さんから教えてもらっていた。将来、もしかしたらどこかの工房に移るかもしれないからと言われて、完璧にその場所を全て覚えていた。ここも父さんの知り合いの物作師の工房だったはずだ。もしかして、最近スラム堕ちをしてしまったのだろうか。はぁ、と溜息を吐く。結局、誰にもアドバイスを貰う事は出来なかった。これは僕が勝手に期待しただけだ。もっと幼い頃から人と関わっておくべきだった。


「……帰ろう」


 そう言って、扉の方へ振り向いた瞬間

 目の前に何かを振り下ろす人影が、僕の視界に入った。



 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 痛い。空気を取り込んで目を覚ました途端、左側の頭蓋骨に激しい痛みが走った。歯を食いしばりながら立ち上がろうとするけど、意識が朦朧として身体に力が入らない。何度か繰り返し諦めた。まずはここがどこなのか。何が起きたのかを判断するべきだ。うつ伏せで身体を寝かせたまま、首を何とか動かして視線を回した。先程までいた工房だ。まさか古くなった天井が落ちてきたのか?いやでも、確か一瞬人影が……。


「おーい、コイツ目を覚ましたぞ」


 当然部屋に響いた低い声に、僕は視線を向けた。そこにはアドバイスを貰いに行った物作師の工房の一つで、作業をしながら僕を睨んでいた逞しい男が、腕の長さはある木片を持って立っていた。後ろには酒瓶を傾けている男と、工房を物色している男もいた。なぜここに、この人たちがいるんだ。それにあの木片、赤いシミが……ああ、僕の血か。ということは、あの木片で僕を殴ったのか。


 左耳に伝うドロリとした熱は、そのまま地面に流れて広がっていた。背筋に寒気が走る。痛みがさらに強くなって、僕は唸りながら男たちに声を出した。


「な、なんで……こんなこと……を……」


 僕が声を出したことに反応した男は、ニイィッと口の端を吊り上げた。木片を片方の開いた手にパンパンと軽く叩きつけながら、男は笑った。それに釣られるように、後ろの二人の男も嘲笑した。


「はははっ!てめえ、貴族の専属だった父親が死んだんだってな?だったらこの状況がなんでか分かるはずだ」

「バカかよレグタ。分かってねえからコイツはウチの工房に来たんだろ」

「お願いします、教えてください~ってな!ギャハハ!」


 父さんが死んだから……?どういう意味だ。分からない。この人達は確かドリアスさんの工房で働いている物作師見習いだ。よく父さんが話をしていた。ドリアスさんの手に負えない厄介な青年たちが、よく絡んでくるのを撃退していると……まさか、復讐?そんな、嘘だ。ありえない。


 物作師協会によって、暴力行為は禁止されているはずだ。告発されれば物作師証明証をはく奪されて、一気にスラム堕ちしてしまう。もう二度と物作師にはなれなくなってしまうのだ。そんなリスクを冒してまで、父さんへの復讐を僕に……?


「父さん……が原因……ですか」

「あぁ?」


 聞いているだけで耳が痛くなる声音に、僕はギリッと奥歯を噛みしめた。聞こえていないならもう一度……と僕は大声で「父さんへの復讐ですか!!!」と叫んだ。一瞬目を開いた男たちが次の瞬間大きく笑いだし、じわじわとこちらに近づいてくる。僕は地面に手を付き、力を振り絞って立ち上がった。


「ギャハハハ!こいつ、やっぱ馬鹿じゃねえか!」

「俺らが復讐なんぞでこんなことするわけねえだろ。出せよ、ほら」


 立ち上がった僕の目の前に、男の右手が差し出された。訳が分からず、そのまま右手を見つめていると、舌打ちが聞こえ……それと同時に、僕の腹を男は蹴り飛ばした。響くような痛みに、その場にしゃがみこんで僕は嘔吐する。男たちが「きったねぇ!」「いいぞレグタ!」と愉快にあざ笑っている声が聞こえる。なんだこの人達は。さっきの右手は何だ……?


「はーやーく……出せって!」


 別の男が、次は僕の頭に横蹴りを入れた。右耳が削られるような音がして、僕の身体は勢いのまま横に倒れる。「あ、ぐっ……!」と呻きながら、痛みで意識が飛ばないように歯を噛みしめた。


「頭はやめとけよ、ザーベ。今死なれたら、こいつから全部吐かせられねえからな……」

「つってもよお、コイツ馬鹿だから言わなきゃ分かんねえだろ」

「レグタもザーベも落ち着けって。俺が言ってやるからさ」


 そう言って、茶髪の細い男が僕の胸倉を掴んだ。顎先を上げながら、愉快そうに口の端を吊り上げる。


「貴族様からたんまり貰ってんだろ?てめえの親父が死んだ金だよ金、それを出せっつってんだよ」

「っ……!」


 衝動的に沸いた怒りで、僕は男に頭突きを食らわせた。痛い、頭の傷が更に開いた気がする。頭突きを食らった男は、悲鳴を上げながら僕を突き飛ばし、荒くなった息で血が吹き出している鼻を手で押さえた。倒れこんだ僕を睨み、腹を何度か蹴りつける。


「クソッ!クソがッ!調子乗ってんじゃねえよッ!」


 腹、腹、太腿、腹、最後に顔を蹴り飛ばされる。耐えきれない痛みに、声すらも出ない。なんとか空気を取り込もうとしても、喉が引っかかって上手く空気が吸えない。細い男は逞しい男に「顔はやめろって言っただろうが!」と突き飛ばされるのが見えた。


 ぼやける視界の中で、なんとか逃げ道を探そうとその場を這いずろうとした。すると舌打ちが聞こえて、後頭部の髪の毛が掴み持ち上げられた痛みで「ああっ!」と悲鳴を上げる。


「チッ……早く言え。さっきてめえの財布を漁ったが、銀貨たった3枚しか入ってねえ。こんなモンじゃねえはずだ。貴族様からもらった金はよぉ!」

「っ……!!」


 痛みに耐えながら、絶対にこの人には言うまいと唇を噛みしめた。その様子を見た男は眉を吊り上げ、「吐けッ!!」と叫びながら、掴んでいる僕の頭を地面にたたきつけた。ゴリゴリッと鼻の骨が折れる音と共に、右瞼が切れて視界が赤く染った。。男に後頭部を鷲掴まれているせいで、頭が空中に浮き、口から血の混じった涎が地面に垂れる。少しずつ、目の前の地面が白くなってきた。




「んあ?何してンだお前ら?」




 ———気の抜けた声が聞こえ、僕の意識はそこで途切れた。


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