・物作師見習いは苦悩する



 買い出しに出てから1時間ほど経った頃、僕は大きすぎる衝撃で頭を抱えていた。



 まず驚いたのは、この世界に『バネ』があったということだ。金属の素材や加工した部品を売っている店に、当たり前のようにあった。様々な物の部品に使われていて、コイルバネや板バネなど種類も沢山あった。まさかあるとは思わなくて、自分の知識不足をまざまざと思い知らされた。もしかして、父さんは教えてくれていたのに、僕が忘れていたのだろうか。恥ずかしい。前に『金属にはあんな力があるなんて!』と興奮した自分を引っぱたいてやりたくなった。


 そして考えたのは、この世界にもうコイルバネを使ったマットレスがあるのではないかということだ。その時は本当に背筋が凍り付いた。あんなにも自信満々にリリー様のマットレスを作ると叫んだのにも関わらず、実はもうありましたなんてことがあれば……笑えないのである。だから僕は、買い出しを後回しにして即座に物作師協会へと走った。


 物作師協会とは、このルスティカ王国で働く全ての物作師が登録する協会だ。物作師になるための登録や最低限の規則を守れなかった者の除名、貴族様の専属登録などはこの物作師協会で行うのだ。


 僕も10の歳になった時、物作師見習いとして登録するために父さんに連れてきてもらったことがある。それから一度も物作師協会に行ったことは無かったけれど、場所だけは忘れていない。なぜなら物作師が生活している6番区の中心にある、噴水広場の前にあるからだ。貴族様の御屋敷みたいに真っ白で綺麗で大きいからとても目立つし、素材などを買うために商業街の3番区に行く際も必ず通る場所だ。今日の朝も通った。


 物作師協会には新しいアイデアを記録する場所もあって、物作師証明証さえあれば誰でも閲覧することが出来る。僕はすぐに『バネ』が使われたアイデアを受付の人に頼んで持ち出してもらった。とても焦っていたせいで挙動不審に見えたのか、受付の女性は笑顔を引き攣らせていたけれど。


 全てに目を通した結果、幸いにもバネが使われたマットレスは無かった。というか、基本的にバネは木材製品や金属製品などの部品に使われていて、布製品などには使われていなかったのだ。それが分かった時、心の底から安堵した。とても大きな溜息が出てしまったほどだ。


 ちなみにこれはまだ序盤だった。安堵しながら物作師協会を出た後、バネを作るための鋼線をもう一度買いに行った。ポケットコイルマットレスに使われているバネは、太さや長さ、幅などで反発する力が変わる。だから、バネとして加工される前の『鋼線』を様々な種類で購入した。そこまでは良かったんだ。その後に、包んでいる布の存在を思い出すまでは。


 あのマットレスには 不織布フショクフ と言う布が使われている。僕は聞いたことが無かったけれど、きっとバネと同じように僕が知らないだけだと思っていた。だから布地を扱っている店に入って、笑顔で「不織布はありますか?」と聞いた後、さらに僕の身体には衝撃が走った。


「“不織布”でしょうか?申し訳ございません、私は聞いたことがないです」


 その店は、4番区の中で一番大きな布地を扱う店だ。それも僕が『不織布』と言った途端、そのお店の店主さんまで出てきてくれた。そして、資料も探してくれた。店の裏には布の種類を記録した資料があると言って。出てきた瞬間、その顔の歪みようは凄まじかった。最近更新した資料にも載ってなかったようで、もし知っているなら教えてほしいと爛々とした目で言われた時はとても焦った。


 僕が知っているのは『ポケットコイルが使われたマットレス』なわけで、『バネ』の作り方や素材は知っていても『不織布』のそれらは知らないのだ。唯一知っているのは、不織布は音が出にくい事だけ。その他の知識については、頭の中には入っていない。どんなにその知識を思い出そうとしても出てこない。だからこそ、この店にあるかどうかを聞きに来たのに……。どうにも、バネと同じように期待してしまったようだ。僕が知らないだけなのでは……と。


 あの『夢の世界』は、僕らが生きている世界よりも遥かに優れた技術を持っている。だからこそ、僕らの世界にはない技術や素材などを使っているのだろう。つまり、端的に言えば……この世界には未だ存在しない素材もあるということだ。もし夢で『不織布』の作り方を知ることが出来れば、物作師協会にアイデアだけを提供すれば作ってくれるかもしれないけれど、都合良く見ることが出来るものなのだろうか。

 

 しかし、リンデロ様の御屋敷で夢を見て、すぐにリリー様の事を聞いたのは偶然とも思えない。まるで、これから直面する悩みに沿ったアイデアを見ることが出来るような……それは希望でしかないか。とりあえず『不織布』が無いなら、別の素材で代用するしかない。金属を布で包むなら、擦れるときに音が出にくい布を探すしかない。


 とりあえず、僕も不織布については知りませんと答えて、布地は数種類ほど材質や厚さが違うものを購入した。いくらか試してみて、バネが突き破らない、尚且つ摩擦音の少ない布地があれば、それを大量に買えばいい。予算は沢山あるし、今日の買い出しを済ませても、リンデロ様から受け取った前払い金の半分も行かないだろう。


 他にもマットレスの枠組みや、ポケットコイルの上に詰める鳥の羽毛なども購入した。一応、アイルの実も購入しておく。これは実験と言うか……個人的興味なので使うことも無いだろうけれど。後は食材。これから作業を始めるにあたって、食生活と睡眠時間は絶対に怠ってはならない。今日の朝は材料が無かったのでパンと水だったけれど、もし父さんが生きていたら頭を叩かれてしまいそうだ。物作師の基本は体調管理。身体を大事にである。ちゃんと食べて睡眠を取らなければ、怪我や失敗なども増えてしまうだろう。


 多めに干し肉や野菜、日持ちの良いパンはもちろん、麦も購入しておく。麦はスープに入れれば腹持ちがとても良くなるし、何より美味しいのだ。塩はまだあったはず。


 買い出しをすべて終え、自宅へと重くなった荷車を引いて戻る。盗みや犯罪などに巻き込まれないように、荷車の上には中身を隠せる布も被せたので安心だ。襲われることもなく、無事家に帰りつくことが出来た。すぐに食材を倉庫に入れて、マットレスに使う素材などは工房に入れた。机の上や床に素材が入った木箱がたくさん置いてあるのを見ると、どうしても父さんがいるみたいで少し胸が寂しくなった。


「それじゃあ早速、作業を……あ」


 そういえば忘れていた。なぜ朝早くに出て、昼までに急いで買い出しを済ませたのかを。これから金属加工について、父さんの知り合いの物作師達にアドバイスを貰おうとしていたのだった。これでも一応、僕も物作師見習いで、父さんに色々と教えてもらっていた。様々な種類の製作技術や、素材の加工方法なども。その中でよく勉強したのは金属加工だ。父さんが良く受ける依頼は、金属関係が多かったから。


 もちろんあの父さんに教えてもらったから、自信は持っている……けれど、昨日はこの世界にバネが無いと思っていたし、今日はまさかバネが存在することに肩を落とした僕では、とても不安なのだ。頭の中にイメージはあるけれど、実際に行われている作業を見たり、詳しい話を聞いた方が勉強にもなるし、作業も進みやすくなるはずだ。


「でも……教えてもらえるかなぁ……」


 僕はあまり、父さん以外の人と関わったことが無い。母さんは僕が生まれてすぐに亡くなったし、テレサくらいしか仲良く話せる人はいないのではないだろうか。無論、理由は僕の性格のせいだ。決して父さんが原因じゃない。僕はあまり人と関わるのが得意じゃなくて、父さん以外の人とはあまり関わりたくないと小さい頃から思っていた。寂しい人間なのだ。

 だからこそ、顔が広くて有名な父さんの息子だと言っても、話を聞いてもらえるか分からない。行く前からお腹の中にぐるぐると不安が募っていく。大丈夫だ、きっと父さんの知り合いなら教えてくれるだろう。




 ……そんな楽観的に考えていた僕は、この後どれだけ自分が愚かだったのかを嫌と言うほど知ることとなった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る