!居酒屋看板娘は幼馴染を想う


 私は走った。とにかく、この感情を振り払いたくて、必死に走った。まだ朝早い時間で、空はまだ暗い。彼の住む7番区は物作師の住む区画で、早朝はみんな寝ているからとても静かだ。その静寂に、私の足音が鳴り響く。



 最初に抱いた気持ちは、彼が “怖い” だった。どうして、お父さんが殺されたのに平然としていられるの?って。目元は赤くなっていたから、きっと昨日は沢山泣いたんだろう。けど、今はもう……それがとても、怖かった。




 彼、テルマの家は父子家庭だった。お父さんしかいなくて、テルマのお母さんはテルマが生まれてからすぐに死んじゃったって私のお父さんが言っていた。そのお話を聞いた時、私はテルマを可哀そうだと思った。私には大好きなお母さんもお父さんもいて、どっちかでも、もし死んじゃったら悲しくて生きていられないと思うもの。だから、お話を聞く前はまさかアルドさんが死んでしまったなんて思いもしなかった。だって、テルマはいつも通りの顔をしていた。何かを後ろめたく思っていたのか、たまに苦い笑みを浮かべることもあったけれど。




「っ……!」




 走りすぎて胸が痛い。手足が冷たくて、喉が変な音を出している。テルマの住む7番区から、ウチの近くの6番区まで走ったから当然だろうけど、呼吸が苦しくて辛かった。




「なんでっ……テルマ……アルドさん……」




 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 私が初めてテルマと会ったのは、アルドさんが初めてテルマを連れてお店に来た時だった。多分、5か6の歳だったと思う。




 アルドさんと似たくすんだ色をしている銀髪で、灰色の瞳が怯えたようにキョロキョロと周りを見回していた。いつもアルドさんの後ろに隠れて、お父さんが果実水を出した時に泣き出したこともあった。確かに私のお父さんはちょっと怖いけど、とっても優しくてかっこいいお父さんだ。だから私のお父さんを怖がるテルマの事が、正直大嫌いだった。


 でも、大嫌いの気持ちはすぐに無くなった。テルマのことを可哀そうな子だと思い始めたから。お母さんが死んじゃって、お父さんしか家族がいなくて、他の大人は関わりも持たない、可哀そうな子。自分で言うのもなんだけど、私はみんなから好かれている。当然だ。だって私のお父さんとお母さんが、愛情をもって育ててくれたから。お家が居酒屋で、沢山の人がご飯を食べにくる場所だったから。人との関わりが沢山増えて、可愛いって言ってくれることがとても嬉しかった。そんな私には、テルマが……哀れにしか見えなかった。




「ねぇ、テルマ。一緒に遊ぼ!」


「い、嫌です……」




 私が初めて遊びに誘ってあげた時は、すぐ断られた。結局無理やり手を引っ張って、色々な場所を引きずりまわしたけど。テルマは細くて軽い子だった。元々あまりご飯を食べないらしいから、アルドさんのような物作師になると言った時は、つい笑ってしまった。アルドさんはがっちりしていて、お話も面白くて、物作師としても有名だ。7番区の物作師の街で、アルドさんの名前を知らない人はいないって聞いたこともある。アルドさんとテルマじゃお空と地面ほど違って、絶対になれないと思っていた。




 私とテルマが10の歳になった日、テルマはほとんどお店に来なくなった。物作師見習いとして、アルドさんの仕事を手伝いながら勉強を始めて、家事などもテルマがするようになったからって。最初はテルマのことなんてどうでもよかった。アルドさんがいれば、テルマは可哀そうな子じゃなくなるから。それに、本当にアルドさんみたいな物作師を目指し始めたんだったら、邪魔もしたくなかったから。




 けれど、たまにテルマが店に来た時、なぜか胸が熱くなった。テルマを見ていると、体中がとてもワクワクして、手足がソワソワするようになった。私が初めて会った時とは違って、身体も年頃の男の子みたいになっていた。物作師の仕事は力作業だから、このまま続ければアルドさんみたいにかっこよくなるのかもしれない。




 それに、テルマは私の目を見て話せるようになっていた。最初みたいに怯えたり、私の事が苦手じゃなくなったみたいで。テルマの灰色の瞳がこちらに向けられる度、また変なワクワクが来る。気持ち悪くて、怖くて、分からないこの気持ち。これをお父さんに話したら、それはきっと “好き” になったんだと言われた。私はその時、テルマの事が “好き” なんだって気づいた。のに。






 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




「怖い……テルマが、怖いよ……」




 まるで、もう私の好きだったテルマがいなくなってしまったのだと思った。もういっそ、別人だったらここまで悩まなかったかもしれない。でもあのくすんだ銀髪も、あの灰色の瞳も、かっこよくなった全部が、私の好きなテルマだったから。お父さんが亡くなったのに、何も気にしないように話すテルマは本当に……怖かった。




 お父さんにアルドさんが亡くなったことを伝えると、珍しく手をテーブルに強く叩いて、目を押さえながら泣いていた。お母さんも、静かに泣いていた。私も泣いた。実の家族じゃなくてもこんなに悲しいのに、どうしてテルマは悲しくないの?辛くないの?




 どうして、そんなにいつも通りでいられるの?




 そして、私が間違っていた。お父さんとお母さんにテルマの様子が変だと、一人しかいない実の家族のお父さんが死んだのにいつも通りなのは怖いと話した時だった。




「それは……我慢しているんだよ」




 まるで首の後ろに氷を当てたみたいに、冷たくなった。お父さんは教えてくれた。例え大切な人が亡くなったとしても、彼はこれからも生きていかなきゃいけない。それに私のお父さんが依頼した物だってある。アルドさんのことだから、きっと他にも届けなければいけない物もあるんだろう。それをこれからテルマが一人で全てをしなければならないのに、悲しんでいる暇は無いと理解しているんだって。


 私はその話を聞いて、酷く胸が痛くなった。何が “怖い” よ。私が子供だから、テルマが大人になっていた事を知らなかっただけじゃない。それなのに、勝手に彼を心の中で冷たい人間だと思い込んでしまった。最低よ、私。




 その日、お店が開く時間になってもテルマは来なかった。心配になって仕事があまり手につかなくなって、お父さんに怒られてしまった。それでも集中できなくて、頭の中は今朝のテルマの事ばかりだった。少しして、お店によく来てくれるウィーズリーさんが、私を心配して話しかけてくれたから、私はテルマの事を話した。




「あ?テルマ?まだ帰ってきてないのか?確かアイツ、貴族様の屋敷に行くとか言ってたな……ほら、死んだアルドを雇っていた貴族様の工房に、依頼品を取りに行くんだと」


「え、貴族様の……?」




 その話を聞いて、私はすぐにお店を出た。後ろから「戻れテレサ!」とお父さんの怒鳴り声が聞こえたけど、私はそれを無視した。もしかしたら……それを考えるだけで、目の奥が痛くなる。嫌だ、やめて、お願いだから……と何度も言いながら、テルマのお家に向かった。でも、テルマはお家にいなかった。扉の鍵も開けっ放しで、部屋の中は真っ暗だった。それからはあまり覚えていない。起きたら、自分の部屋にいた。






「テルマ……!!」






 お願い神様、まだテルマを連れて行かないで。

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