・物作師見習いは心配させる
リンデロ様との話し合いを終え、テレサの父さんの依頼品を持って僕は屋敷を出た。なんだか昨日とは全く違う気持ちで屋敷の門をくぐることになるとは思わなかった。昨日は死にそうなほど緊張して、一つ一つに心臓を鳴らしていたのに、今はマットレスの事で頭が埋め尽くされていで、体中が高揚している。……急がなきゃ。まずはこの依頼品を届けないと。
テレサの働いている店は居酒屋だ。居酒屋はお酒を飲んでご飯を食べて、その日の愚痴や笑い話をするところだ。陽が暮れる頃に店は開いて、夜にはお客さんでいっぱいになる。忙しい時に僕が行ったら迷惑になってしまうだろう。僕は両手に抱えた木箱を再度抱えなおし、出来るだけ早く足を動かした。
テレサの店は僕の家から近い6番区にある。リンデロ様の御屋敷は3番区で、ここから急げばすぐに着くだろう。もしかしたら怒ってるかもしれない。昨日の早朝に取りに来てくれたのに、結局届けることは出来ず、一日も過ぎてしまった。……あれ?他にも確か父さんが受けていた依頼物ってあったよね?どうしよう、マットレス以外にもやることが目白押しだ。
「こんばんは、テルマです。アルドの受けていた依頼品を届けに来ました」
店に到着すると、とても厚い木材の扉を強くノックした。少しして中から「えっ!?テルマ!?」とテレサの上擦った声が聞こえてきて、やっぱり届けるのが遅れて怒られるかもしれないと口を結んだ。特にテレサの父さんは寡黙で怖いことで有名だ。1発や2発は殴られることを覚悟しよう。色々とあったとはいえ、全ては依頼品を渡す期日を遅らせてしまったこちらが悪いのだから。そんなことを考えている内に、ギギッと目の前の扉がゆっくりと開いた。
「テルマぁぁ!!!!」
そして、飛び込んできたのは拳ではなく、金髪の少女そのものだった。両腕を大きく広げて、こちらに飛び込んでくる彼女に僕は全く反応することが出来ず、そのまま後ろに吹っ飛ばされた。地面に着いた腰と背中か馬鹿みたいに痛い。でも、とりあえず依頼品の木箱を地面に置いといて正解だった。もし持っていたら、テレサに怪我をさせしまうところだった。
飛び込んできた少女は、ぎゅううっと僕の首を両腕で絞める。対面で絞められるから彼女の右肩が僕の喉に入っている。苦しくて彼女の背中をぺちぺちと叩くが、彼女は許してくれない。とても怒っているのだろう。覚悟はしていた。絞殺するほどとは思わなかったけれど。
「ぐ、ぐるじ……デレ……ざ……!」
ついには呼吸すら怪しくなって、流石にこのままでは本当に死んでしまうとテレサの身体を両手で押した。女の子の身体ってなんでこんなに柔らかい……いやいや!とにかく早く離れてもらわなければ!と、テレサの両肩に手をかけ力の限りグッと押した。テレサの腕が離れた瞬間、一気に空気が入ってきた。喉を押さえながら、何度か深呼吸。……今考えてみれば、人気者のテレサに抱きしめられたということになるのかな?でも殺そうとするほど怒ってたわけだし……。
そんなことを頭の隅で考えながら、僕は顔を上げた……と同時に固まった。
「うっ……心配……したのよぉ……!」
テレサは泣いていた。沢山の涙を零して、それをなんとか両手で擦って止めようとしているけれど止まらない。僕は彼女が泣いている原因が分からなくて、その場に尻餅をついたまま口をポカンと開けてしまった。なぜ?テレサは怒っていたんじゃ?心配、された……?よく分からない状況に、口からは「ごめん」を何度か小さく呟くことしか出来ない。
依頼品を渡すのが遅くなって怒っているのだと思っていた。彼女には昔から仲良くしてもらっていたとはいえ、最近は父さんと店にご飯を食べに行くとき以外は会うことも無かったし、僕からすれば彼女は可愛くて人気者で憧れの存在だ。そんな彼女が目の前で号泣しているのを見ると、頭が真っ白になってしまう。
そんな時、テレサの後ろから足音が近づいてきた。視線をそちらに向けると、テレサと似た色の金髪を短く揃えたような髪型の、大きな男の人が立っていた。テレサの父さんで、確か名前は……デイビットさんだ。デイビットさんはテレサと僕に視線を向けると、深くため息を吐いた。
「おい、店の前で喧嘩するな。やるなら中でやれ」
そう言って、デイビットさんは親指を立てた拳で店のカウンターを示した。テレサが嗚咽を漏らしながら小さく頷き、ぽつぽつとそちらへ向かう。その様子を見ていると、デイビットさんは尻もちをついている僕に手を差し出して「早く入れ」と低い声で唸った。僕はデイビットさんの手を借りてお礼を言い、すぐさま立ち上がる。近くに置いてあった依頼品の木箱を持って、テレサが座ったカウンターへと早歩きで向かった。
カウンターに持っていた木箱を置いて、席に着いた。デイビットさんが確認するように「これがアルドの……だな」と木箱を手でポンポンと叩くのを、僕は「はい」と一度頷いて返事をした。するとデイビットさんが「ちょっと待ってろ」と言った後、手早く僕とテレサの前に果実水を出して、裏に入ってしまった。多分、依頼金を取りに行ったのだろう。
テレサは横でまだ泣いている。それが気まずくて、僕は果実水を乾いた口に含んだ。女の子が泣いている時ってどうすればいいんだろうか。大人の女性の落とし方なら父さんが酔った時に教えてくれたけど、泣いている女性を慰める方法なんて教えてもらってない。何度かちびちびと果実水を口に含んでいると、テレサの嗚咽が止まって深く息を吐いた。そして顔を両手で覆いながら、小さく口を開いた。
「……何があったのか、教えて」
僕は「は、はい!」と反射で返事をし、リンデロ様の御屋敷であった事をすべて話した。デイビットさんが父さんに依頼した品を取りに行ったこと。リンデロ様に父さんはとても大事にされていて、僕もお客様対応をされたこと。工房に行ったら、依頼品と一緒に父さんの遺書が入っていて、泣いてしまった事。そして……そのまま眠ってリンデロ様の御屋敷に泊めさせてもらったこと。
話していく内に、テレサの顔がこちらへと向きだした。覆っていた両手が力なく垂れて、真っ赤になった目が限界まで見開かれている。そしてリンデロ様の御息女であるリリー様のマットレスを作ることになった話をすると、テレサは溜息を付きながら頭を抱えた。
「昨日から今日までの間に……はあ、テルマ……」
「ご、ごめんなさい」
「謝る必要はないわ、だって仕方がないもの。テルマは大変だったのね」
「どんな理由があっても遅れたのは僕が悪いよ。だからテレサもあんなに怒ってたんでしょ?」
テレサが心配してくれたとはいえ、怒っているのは間違いない。そう思って恐る恐る聞いてみると、テレサの表情がまた変わった。目をカッと吊り上げて、僕の胸倉を勢いよく掴む。
「怒ってないわよ!昨日、テルマがいつまで経っても依頼品を持ってこないから、心配になって家に行ったらいなかったのよ!?もしかしたらアルドさんと同じで、テルマまでって……もう!心配しただけなの!馬鹿!」
ブンブンと頭を揺らされ、僕は「ご、ごめんなさい!」と叫んだ。何度か叫んでいると、溜飲が下がったのかテレサが「もういい」と言って、胸倉を掴んでいた手が離された。まさかここまで心配をかけているとは思わなかった。確かに、貴族様の御屋敷に向かって帰ってこなかったら、死んだと思われても仕方が無い。……心配してくれるとは思わず、少しだけ嬉しいと感じてしまう僕は最低だ。
そしてテレサと僕の会話が終わったのを見計らう様に、デイビットさんが革袋を手に裏から出てきた。デイビットさんは無言でそれを僕に差し出す。中身を確認してから「遅れてすみませんでした」と言うと、デイビットさんは僕の頭をポンポンと叩いてまた裏に戻ってしまった。首を傾げながら叩かれた頭を手で確認していると、テレサがクスクスと笑った。
「お父さんもテルマの事をとても心配してたのよ。けれどお父さんは素直に言えない性格だから、なんだか照れくさいのかもね」
「な、なるほど……初めて父さん以外の人から頭を撫でられたような気がするよ」
「……じゃあ、撫でてあげる」
そう言って、次はテレサの小さい手が僕の頭に乗せられた。驚いて言葉が出なくなってしまった僕に、テレサは微笑みながら優しく僕の頭を撫でる。デイビットさんと違って柔らかく撫でてくれるその手に加えて、とてつもない可愛さの笑顔が来たので僕の顔は一気に熱くなった。
「大変だったのに、届けてくれてありがとう。お父さんもきっと喜んでいるわ」
「いや、父さんが受けた仕事だから……」
「……それでもありがとう。私もお父さんも、最後にアルドさんの作った物を受け取れて嬉しいわ」
最後、と言う言葉に目の奥がグッと熱くなった。口の中を飲み込んで、必死にそれを押しとどめる。今も撫でられ続けているテレサの手を、そっと右手で掴み、彼女の膝に下ろさせた。
「心配をかけてごめんね、テレサ」
小さく笑いながら最後の謝罪をすると、テレサはまたフフッと笑った。
「そういう時は “ありがとう”って言うのよ。ごめんなさいよりも、ありがとうの方が沢山嬉しいんだから」
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