・物作師見習いは寝具を語る


 侍女さんの後ろをついていきながら、リリー様の私室に向かう。その間ずっと、僕は興奮状態のままだった。身体がこう……疼くというか、今にも走り出してしまいそうになるほど。この状態が何なのかを考えようとしても、すぐに頭の中はマットレスとリリー様の事で埋め尽くされてしまい、まともに考えることが出来ないのだ。一体全体、僕の身体はどうしてしまったのだろうか。……夢で見たあのマットレスは身体の重さに沿って沈み込む構造で、特にくびれや膨らみなど立体的な身体の作りになっている女性にとってはその効果を必ず発揮するはずだ。それにリリー様の……ああ駄目だ。止まらない。


 そうしているうちにリリー様の私室の扉の前に立っていた。侍女さんが扉をノックして、その扉を開いてくれる。




「今は誰もいないようですね。旦那様がきっとリリー様を医者に見せているのでしょう」


「では、失礼します!」




 僕はすぐさま駆け込んで、カーテンのかかっているベッドを視線で探した。やはり女性、それもリリー様はまだ10の歳の少女らしい。ピンク色や白などの可愛らしいカラーデザインに、ふわふわやひらひらとした家具が揃っていた。ベッドにかかっているカーテンを開き、そのマットレスを触ろうとした……瞬間、侍女さんに肩を止められた。




「な、なんでしょう!?」


「落ち着いてください、衛兵がテルマ様の事を警戒しています。」




 しまった、と思った時にはもう遅い。いつの間にか僕は、衛兵さんにとって「少女の部屋に入り目を輝かせる変態」だと思われているようだ。衛兵さんが今にも剣を抜いて、僕に切りかかってこようとしている。僕は「すみません」と侍女さんと衛兵さんに頭を下げ、一度深呼吸をする。忘れてはならない。ここは貴族様の屋敷で、今いるのはリンデロ様の一人娘の部屋だ。変な行動をしては、確実に殺されてしまう。落ち着け、テルマ。




「……はい、もう大丈夫です。落ち着きました。では、触ってもよろしいですか?」


「言い方が少し不安ですが……どうぞ」


「ありがとうございます!」




 触ってみた瞬間、すぐに分かった。中に詰められているのは鳥の羽毛と……これはアイルの実だろうか?


 アイルの実は夏に育つ果実で、つるつるとした表面に不思議な触り心地をしている実だ。実際、僕も手で触ったことはある。指先が沈み込むほど柔らかいのに、突き抜けることは無いし、何より弾力もある。このマットレスには、平らにして縫い合わせたアイルの実の皮が使われていて、その表面に鳥の羽毛が敷き詰められているのだろう。まさかアイルの実を使っているとは思わなかった。こんな作りこまれたベッド、藁や動物の体毛を敷き詰めているだけの平民が使ったらそのまま起きれなくなるのではと思うほどだ。


 ……でもやっぱり、これじゃだめだ。どんな貴族様の体質に合っていても、リリー様には合っていない。何か気になって眠れないというのも、このアイルの実と羽毛が原因だろう。それに……。




「分かりました。やっぱりリリー様にこの寝具は合いません」


「……とても触り心地は良いですし、十分良い寝具ではありませんか?」


「もちろん、とても良い寝具です。リリー様の事を考えて、物作師は作り上げたのでしょう。けれど、それでもリリー様の体質には合わないのです」


「テルマ様は何か分かったのですか?」


「はい。まず、跳ね返す力が強すぎます。アイルの実は時間が経つごとに皮が硬くなります。その上に柔らかい羽毛を敷き詰めても、リリー様の御身体には負担がかかりますし、きっと寝返りを打つのは……血の流れ、ですね。それが悪くなって、身体が不快を伝えているのだと思います」


「血の流れ……テルマ様、先程そういった“治療”については医者をと言っていましたけれど……テルマ様もそのような知識をお持ちなのですか?」




 あ、まずい。流石に“今”頭の中に浮かんできました……何て言えるわけがない。でも本当のことだ。アイルの実と鳥の羽毛を使うことで何が悪いのか、そしてリリー様がなぜそのような行動を起こすのか。その言葉は次々と頭に浮かんでくる。この現象をなんと呼べばいいのか分からない。どうしよう……あ。




「と、父さんが……アルドが前に教えてくれたんです。その、寝具の事について……」




 こ、これで頷いてくれないかな?と侍女さんの様子を見ていると、ニコリと笑って「そうですか」とだけ言った。その反応は色々と気になるけれど今はどうでもいい。とにかく続きを!!




「話を戻しますね。アイルの皮を平行に縫い合わせて、それを何重にも重ねていて、その上に羽毛を敷き詰めていれば程よく柔らかいマットレスになります。けれど時間が経って硬くなったアイルの皮では、寝返りを打っても身体にかかる圧力……押されている力が偏ってしまうと思います。リリー様はこの寝具を使っていて、身体に軽い痛みがあったのかもしれませんね。だからよく寝返りを打ったり頭を押さえたり身体を摩ったりしているのでしょう。身体に変な痛みがあればおのずと頭や首にも痛みが来ますから」




 それにこれ、押さえてみればすぐに分かる。このままいっそベッドに飛び込んで、実際に横になってその原因を試してみたいけれど、流石に許されないだろう。うん……絶対に止められる。そう思い、小さく口を開けたまま固まっている侍女さんに僕は視線を向けた。そして、とりあえず頼むことにした。




「すみません侍女さん。一度リリー様のベッドに寝てみてくれませんか?」


「はい!?」


「多分他にも原因があると思うんですけど、流石に僕が確認するわけにもいきませんから……もうこれ以上、失礼な事もしたくないです」




 僕の言葉に同意があったのか、すぐに侍女さんはリリー様のベッドに横になった。




「では……頭の位置を何度か動かしてみてください。あと寝返りもお願いします」


「は、はい……」


「……何か軋むような音がしませんか?こう、古い家屋の床のような……」


「古い家屋の床、というのは分かりませんが……確かに変な音がしますね」


「アイルの皮は時間が経って硬くなると、繊維が擦れて軋むような音を出すんです。きっとこれが、リリー様が眠れない原因の一つでしょう。リリー様は、特に音や痛みに敏感なのではないですか?」


「そうですね……」


「だからこそ、このマットレスは向いてないのです。ただでさえアイルの皮が時間と共に硬くなり身体を痛めてしまうのに、さらにこの音ですから。だからといって、藁や動物の体毛などを使えば音が出やすくなってしまいますし、逆に柔らかすぎては姿勢が悪くなり身体を痛めてしまいます」




 侍女さんが「なるほど」と何回か頷いた。僕の説明ではどうも分かりにくい部分があるかもしれないのに、それを突っぱねることも無く聞いてくれるのはとても嬉しい。とりあえずこれから作ろうとしているマットレスの説明をして、リンデロ様にも相談しなければ……と考えていると、後ろの扉からノックの音が響いた。僕と侍女さんは顔を合わせ、扉の方に目を向ける。侍女さんが衛兵さんに一度頷くと、扉が開かれた。




「テルマ君、一体何をしている?」




 そこには、訝し気に眉をひそめたリンデロ様が立っていた。先程侍女さんが眠らせた衛兵さんとガロンさん、他にも後ろに影が見える。僕はすぐさま侍女さんとのこれまでを説明し、頭を下げた。リンデロ様は僕の話を聞くうちにみるみる眉が上がっていき、最後には感嘆の息を吐いた。なんだかとても嬉しくなって、つい口が早くなってしまう。




「なるほど、では……よろしく頼む」


「えっ!?良いのですか!?」


「もちろんだ。テルマ君が私の娘のために寝具を作ってくれるのならば、こちらから依頼させてもらおう」


「あ……ありがとうございます!」




 リンデロ様に許可を貰えて、僕は今にも飛び跳ねそうな身体に力を入れてなんとか抑える。流石にこれ以上は不敬な行動を慎まなければ。とりあえず今日はもう昼が過ぎてしまった。これから作り始めるには夜をまたぐことになってしまうし、父さんが何より口を酸っぱく言っていたのは「体調管理」だ。今日はテレサに依頼品を渡して、設計図を書いて……必要な準備は沢山ある。


 リリー様がそろそろ部屋に戻るということだったので、マットレスはせめて柔らかい素材が使われたものに変えてくださいとお願いをしてみた。リンデロ様も前のマットレスは綺麗に保存していたらしく、今日からすぐに変えられるようだ。そしてリンデロ様の執務室に戻り、これからについてを話し合うことになった。




 話し合いは順調に進み、作業場所はリンデロ様の屋敷にある工房を使わせてもらえる事となった。流石に他の専属物作師は依頼があるため、借りることは出来ない。というか、ただの物作師見習いが、専属物作師を借りるなんて恐れ多いことは出来ない。とりあえず僕一人で作業することになり、期間は一カ月ほどとなった。依頼金は材料費などもあるので前払い、無事期日を守ってリンデロ様に収めることが出来れば追加で給金を渡す。ということになる。二日前にリンデロ様から頂いた金貨もあるし、今回頂ける前払いのお金と合わせれば材料費としてはとても余るほどだ。きっと、大丈夫だろう。




「では、よろしく頼む」




 最後、リンデロ様は誇らしそうに笑いながら、僕に手を差し出した。貴族様に握手を求められるなんて、とても光栄なことだ。恐る恐る両手で握りしめると、目の奥が熱くなるのを感じる。




「はい!必ずリリー様がぐっすりと眠ることの出来るマットレスを作ります!」




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