・物作師見習いは夢を見た


 ここはどこだろう。目の前にいる黒い髪の少女は誰?瞳の色も濃い茶色で、見たことのない顔立ちをしている。外の国の人間だろうか。それにひらひらとした綺麗な服。あれはどこかで見たような……そうだ、確か昨日の夜……ダメだ。頭がぼんやりとして、どうにも思考がまとまらない。




「ありがとうお母さん!私、ちゃんと勉強頑張るね!」




 彼女が声を掛けた方向へと視線を向けた。そこにはもう一人、彼女と似た容姿の女性が立っている。母親だろう。優しい笑みを娘に向けながら、何度か小さく頷いている。




「お礼を言うならパパに言いなさい。芽衣子の勉強机とベッドを買ってくれたのはパパなんだから」


「はーい!パパありがと!」




 メイコ……?彼女の名前だろうか?珍しい綴りをしている。それにパパというのは?それも誰かの名前なのか?




「それじゃあママは夜ご飯の買い出しに行ってくるから」


「行ってらっしゃーい!」




 そう言いながら母親は部屋を出ていき、少女は手を振って笑顔を浮かべていた。しばらくすると……彼女は突然振り返り、とある場所へと飛び込んだ。僕はその様子を見て「危ない!」と叫んでしまったが、彼女には聞こえていないようだ。それよりも、彼女が飛び込んだのは……




「ふわふわだぁ。ふふ、お姫様みたい」




 あれは貴族様が使っているというベッドだろうか。白とピンクの色の可愛らしいデザインで、天井からは薄いカーテンがかかっている。それに彼女が寝ているあのマットレス……貴族様が使っているものとは違うように見える。貴族様のマットレスは動物の羽や体毛、綿などが詰められているはずだ。けれどその素材はどれも柔らかく、彼女の寝ているマットレスのように反発するはずはない。沈みこむだけで、何年も使っていると体の重さによって平らになってしまう。


 恐る恐る、彼女の寝ているベッドへと近づく。気づかれてはいないようだ。というか、僕の姿が見えていないのだろう。先程も僕が声を上げた時も彼女は反応しなかった。大きな声だったから、聞こえないはずはない。




「これは……!」




 自分の手を沈ませようと力を入れれば跳ね返ってくる。それにこのマットレスなら硬いベッドの床に身体を痛ませることも無いし、何より劣化する心配もなさそうだ。中には何が入っているんだろうか。押して跳ね返ってくるこれは……。


 そう思った瞬間、いきなり視点が変わった。耳を刺すような騒音に顔を顰め、両手で耳をふさぐ。ゆっくりと目を開けてみると、何やらいろいろと動いているのが見えた。まさかここは……と辺りを見回す。どうやら、先程のマットレスを作っている工房の様だ。


 人ではなく鉄の塊がいくつも勝手に動いていることに口をポカンと開けてしまうが、それよりもマットレスの作られている工程から目が離れなかった。細長い金属を螺旋状に巻いたものを布で包み、それをいくつも縫い合わせ、人が寝れるほどの大きさに並べていく。その上からその上から網目状の何か、次にふわふわとした何か、そして布を被せ、それらをまた縫い合わせる。そして先程見た、あのマットレスになっていくようだった。


 どうやらあの螺旋状の金属はバネ、というらしい。頭の中にそれらが使われている物の知識が流れ込んでくる。そんな使い方も出来るなんて……と目を見開いていると、そこでプツリと映像は途切れた。




「っ……ここは……」




 目を開き、あまりの頭痛に顔を顰めながら口を開く。分かったのは、さっきのアレは夢だったということ。父さんが死んだ夜に見た夢と同じ世界だろう。鉄の塊が動いているのも、見たことのない物ばかりなのも同じ。僕の生きている世界とは根本的に技術が違いすぎる。


 けれどそこで疑問が浮かんだ。なぜ、こんな夢を見るのか。そして、なぜ先程のマットレスやバネの事をこんなにも鮮明に覚えているのか……だ。僕の世界にあんなものはない。バネなんて聞いたことも無い。それに、あったとしてもマットレスに使われていることも聞いたことが無い。もちろん僕が知らないだけなのかもしれないけれど、あんなにも革新的なアイデアを父さんが話さないわけがない。帰ってきてからいつも今受けている依頼の話や、これまで作った物の話をしてくれたし、勉強する時には様々な技術を僕に教えてくれた。文字は書けないけれど、父さんから見せてもらったり、他の物作師の工房にお邪魔させてもらったりしていたこともあったのに……




「おはようございます、テルマ様」




 ふと、声を掛けられた方に視線を向ける。侍女さんだ。安心したように微笑みながらこちらを覗き込んでいる。ん?侍女さん?あれ、ここどこ!?




「えぇ!?ご、ごっごっ!ごめんなさい!」




 そういえば……と全ての状況を理解した時、悲鳴交じりの謝罪をしながら僕はその場に平伏した。昨日の記憶を振り返れば背筋が凍り付くように寒くなった。リンデロ様の屋敷にお邪魔させてもらって、父さんの依頼品を取りに工房へと向かった。そこで無事、テレサの父さんの依頼品を見つけることは出来たけれど、その後に見つけた紙切れを侍女さんに呼んでもらった瞬間に号泣した。あああ!思い出すだけで失礼ばかりを!




「本当に、その、昨日は……リンデロ様や侍女さん、他の皆さんにもご迷惑を……!」


「落ち着いてください。テルマ様が無事目を覚まして頂いて私も安心いたしました。旦那様も非常に心配しておりましたよ」




 そう言って侍女さんは僕の頭を撫でる。ゆっくりと恐る恐る顔を上げれば、ほっとしたような笑顔を浮かべていた。




「テルマ様はそのまましばらくお寛ぎ下さい。私から旦那様にテルマ様が目覚められたと伝えてきますから」


「そ、そんなっ!すぐに謝罪を……」




 そうしてベッドから飛び降りようとしたけれど、上手く身体に力が入らず倒れそうになった。侍女さんが素早く受け止めてくれて、そのままベッドに寝かしてくれる。侍女さんに軽々と持ち上げられたのにまず驚いたけど、それよりも僕は自分の身体の異常に口をポカンと開けたまま、自分の掌に視線を固めた。




「まだテルマ様は起きてはなりません。あなたは昨日から食事もとっておりませんでしたし、疲れも溜まっていたのでしょう。私がリンデロ様をお呼びするまではベッドから出るのを禁止します」




 人差し指を立てながらもう一方の手を腰に当て、まるで説教する母親のように侍女さんは言う。呆然としながらも「はい……」と返事をすると、もう一度にこりと笑って部屋を出ていった。それからすぐにリンデロ様と侍女さん、ガロンさんと衛兵さんが入ってきた。僕の姿をみて、全員が小さく息を吐きながらこちらに歩いてくる。




「おはよう、テルマ君。君が無事で本当に安心した」


「お、おはようございますリンデロ様……その、昨日はすみませんでした。リンデロ様の前で見苦しい姿を……」


「謝罪は必要ない。あれは仕方が無いだろう」




 リンデロ様は口の端を少し上げながら、ゆっくりと首を振った。本当に大丈夫なのか、僕はヒヤヒヤとしながら他の人達に視線を向けたけど、侍女さんもガロンさんも優しく微笑んでいた。衛兵さんは……うん、睨んでいる。リンデロ様の御前では失礼だとベッドから何度か身体を動かそうとしたが、やっぱり力が入らない。その間、リンデロ様は昨日から今日までの事を話してくれた。僕が泣き崩れて眠ってしまったから、客室に泊まったこと。父さんの依頼品は従者に運ばせる準備が出来たから、依頼者を教えてくれればこちらから持っていかせるということ。流石にそれは恐れ多いので断った。突然知らない人が父さんの品を持ってくるなんて、テレサの父さんも怪しがるだろう。自分で持っていきますと言ったら、ガロンさんがいつの間にか客室まで持ってきてくれていた。


 少しして、客室に良い香りが漂ってくる。その方向に視線を向けると、従者の一人がカートを押して入ってきた。上には野菜のはいったスープとカトラリーが置かれていて、ベッドの隣にある机の上にそれを置いてくれた。




「朝食を食べれば身体も自由になるだろう。ガロン、テルマ君を椅子へ」


「かしこまりました」




 ガロンさんは「失礼致します」といって、僕の身体を抱きかかえる。軽々と持ち上げられて小さく悲鳴を漏らしてしまった。そのまま朝食のあるテーブルの近くまで運ばれ、椅子に優しく座らせてくれた。流石にここで「朝食なんて頂けません」と空気の読めない発言をする度胸は無い。どんなに恐れ多くとも、貴族様に出して頂いたものは感謝するしかないのだ。




「朝食を食べて身体が動く様になったら、一度私の部屋まで来てくれ。……大事な話がある」




 突然、リンデロ様の表情が険しくなった。その様子に首を傾げながら「分かりました」と返事をし、お礼を言う。リンデロ様はそれに首を振ると、ガロンさんと衛兵さんを連れて部屋を出ていった。侍女さんだけが部屋に残ったことに僕は首を傾げると、侍女さんは「私も一緒にいますよ」と言って、僕の横にずっと立っていた。




 朝食を済ませた後、侍女さんと共にリンデロ様の執務室に向かった。相変わらず緊張はするけれど、昨日よりは慣れたように感じる。あまりなれるのも良くないんだけど。部屋の前に着くと、侍女さんが扉を二回ノックした。すぐに中から「入れ」と言う言葉が聞こえて、侍女さんに扉を開けてもらい、中に入った。リンデロ様の執務室はとても本が多くて、机の上には何枚も羊皮紙が重なっていた。リンデロ様はこちらを見ると執務の手を一度止め、近くにあったソファーへと移動した。リンガロ様が「座ってくれ」と声を掛けてくれたので、僕も席に着く。




「もう体は大丈夫か?」


「え、ええ……朝食を頂いたので、もう大丈夫です」


「そうか、よかった。それで、話なんだが……」




 リンデロ様はそう言って一度口を噤んだ。侍女さんも頬に手を当てて眉を下げている。その様子に僕は大事な話の事について今更不安になってきた。もしや昨日の一件でリンデロ様を怒らせてしまったのだろうか。いやでも、怒らせた僕に客室を貸してくれたし、朝食も食べさせてくれたし、そんなことは……まさか、一度悦ばせてから一気に叩き落す魂胆なのか。


 膝の上に置いた両手を強く握りしめ、僕はリンデロ様の言葉を待った。今僕の頭にある考えは勘違いであってほしい。リンデロ様も侍女さんも優しかった。そんな考えを持つことがとても失礼なのだと考えるべきだ。




 そして、リンデロ様は言った。




「君を、とある貴族の専属物作師に推薦したい」と。




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