!子爵位貴族様は後悔に沈む
「……彼の様子はどうだ」
「今は落ち着いていますよ……時折、涙を流していましたけれど」
私の愛する妻が、目を伏せながら弱く息を吐いた。その表情はとても哀愁に漂っており、見ているだけで眉間に痛みが走る。昼を少し過ぎた頃、アルドの息子が来た時もこの表情をしていた。かくいう私も、同じだったが。
客室で待つ彼の表情を見た時、正直なところ私は胸の内で安堵した。彼のたった一人の家族が昨日、とある侯爵家の怒りを買って処刑された。処刑、と言う言葉を使いたくないが、我ら貴族にとって平民が逆らうことは罪に等しいことは常識である。しかしそれでも、自分の無力さに呆れ嫌悪してしまう。なぜあの場で止められなかったのか、昨夜は後悔と屈辱で眠れなかったほどだ。
彼は確かにひどく緊張していたが、それでも父の死を受け入れているように見えた。今を考えれば、ただ我慢し頭の中から追い出していただけだったのだろうが、数時間前の私は単純に常識を受け入れたのだと思っていた。
「それがまさか……あれほどまで」
どうしても溜息が漏れてしまう。彼はまだ13の歳の少年だ。我々大人にとっては平民の子供であり、まさか貴族の子息のように感情を秘匿することが出来るとは思いもしなかった。しかしアルドの工房で見つけたあの紙。あれのメッセージを私の妻が読み始めた瞬間、彼は目に見えて感情を爆発させていた。我慢……させていたのかもしれない。なぜなら彼の父を守れず見殺しにしたのは私なのだから。
「何を仰っているのです。テルマ君はまだ13の歳でしょう……それも、父を殺された日の翌日なのですよ」
「もちろん理解している、がしかし……フィラリアは気づいていたのか?」
「……いいえ、私も彼がただ緊張しているのだと思っておりました。あなたから指示された通りにしましたけれど、彼はまるで自分が被害者の息子だとは思っていないようでしたわ。アルドの事を全く口にせず、あなたを責める言葉も無かったでしょう?」
「確かにそうだが……平民が貴族にそう言えるのか?」
「例え直接あなたを責めることは無かったとしても、心の中で憎しみや復讐心は抱くものでしょう。あなたに分からないはずはないのだから、きっとテルマ君は父の死を当たり前のものだと理解しているのでしょうね。とても頭の良い……悲しい子です」
「そう、だな……」
アルドは頭が良く、技術も素晴らしい物作師だった。その彼の息子なのだから、もっと早く気付くべきだった。アルドはいつも、私の先を歩いていたのだから。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「おやめください、シュベルト侯爵殿!彼は私の専属物作師で……」
「黙れヴィリア子爵!この平民は私の言葉に逆らったのだから、このまま処刑するのは当然であり、子爵が口を出すことではない!」
それは突然の悲劇で、今思い出すだけでも腹の底が煮えくり返る。その時、フィラリアは茶会に出席していたために屋敷にはいなかった。そしてそれをまるで狙ったかのように、シュベルト侯爵が突然屋敷に来たと思えば、専属物作師を譲っていただきたいなどと無茶難題を延べ、断ったのにもかかわらず勝手に工房へと踏み入った。そしてアルドに目をつけ、逆らうことは出来ないと知っていながら交渉と言う名の命令をしたのだ。
そして、アルドはその命に逆らった。まさか貴族に逆らうとは思っていなかったのか、シュベルト侯爵は怒り狂い、その場で処刑することを宣言した。私もまさかアルドが否定するとは思わず、驚愕を表情に出してしまった。シュベルト侯爵を止めようと何度も懇願したが、アルドの一言でその懇願も消え失せた。
「やめてくれよ、リンデロ様。こいつはあんたが頭を下げるほどの男じゃない。貴族様の権威を自身の力と勘違いした愚かモンだ」
「なっ……!」
「……テルマを頼む、リンデロさ」
その瞬間、弾けるような轟音と共に白い工房に真っ赤な雨が降り注いだ。目の前の惨状に、私は膝から崩れ落ち、それでも必死にシュベルト侯爵への憎悪を表に出さないように努めた。もし私まで処刑されれば、彼の……私の命の恩人であり、心からの友人であった男の最後の願いを受けることは出来なくなってしまうから。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
頭に浮かぶ昨日の記憶に、私はつい拳を机へと振り下ろした。怒りの矛先が収まらず、呼吸が荒くなってしまう。目を強く瞑ってその感情を抑えていると、私の肩に手が置かれた。
「……あなた?」
その声に私はハッと我に返った。彼女の方へ向き直り、ゆっくりと身体を抱きしめる。
「すまない、少々感情が昂ってしまった。昨日の……いや、もう大丈夫だ」
「ダメですよリンデロ様。私に隠し事はしないと婚約時に約束したはずでしょう?」
「……私は私の存在が腹立たしい。上位の爵位に抗えず、たった一人の友人さえも救えないこの無力さが……あの時の後悔が頭から離れないのだ。あの時、私はあの侯爵の男に立ち向かうべきだったのか。友を守るために、ただ見ているだけではなく、ただ懇願するだけではなく、この手で強引に止めるべきだったのか……と」
思い出すだけで拳に力が入り、爪が肉に食い込んだせいで血が滲みだした。その手を止めるように、フィラリアはその小さな両手で包み込んでくれる。やはり私は彼女に弱い。どうしても彼女の前だと、甘えてしまいそうになる。なんとも情けないことだ。
「あなたはこれ以上、自身を責めてはなりません。私がお茶会に出席などしなければ……きっとシュベルト侯爵を止められたでしょう。あなたはあなたを責めるのではなく、私を……」
「やめろ、フィラリア。其方は悪くない。悪いのは……いや、これ以上は水掛けになってしまう。とにかく今、私達に出来るのはテルマ君を守ることだ。フィラリア、協力してくれるか?」
私は一度フィラリアの手を自分の拳からそっと離し、包むように握って彼女の瞳を見つめる。彼女はその様子に未だ曇った笑顔を浮かべながらも「もちろん」と頷いてくれた。
きっと、テルマ君をこのままにしては危険だろう。アルドを処刑したシュベルト侯爵が目をつける可能性もあるかもしれない。
アルドは言っていた。テルマ君は自分よりも素晴らしい物作師になるだろう、と。しかし例え、彼が物作師として才能が無かったとしても、私はアルドの最後の願いを果たす。そのために、彼を守る後ろ盾が必要だ。我がヴィリア家ではフィラリアがいても必ず守れる確信は無い。だからこそ……
私よりも地位も力も持っている、あの御方に。
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