・物作師見習いは涙を零す


 口の端をピクピクと痙攣させながら、リンデロ様と共に工房へと歩く。まさかリンデロ様ご本人が案内してくれるとは思いもしなかった。というかありえないことだ。けれど、リンデロ様もガロンさんも侍女さんもまったく気にしていない様に見える。衛兵さんは……あ、睨まれてる。怖い。




 屋敷から工房まで、一言も会話は無かった。正確には、リンデロ様は時折こちらを気にするように振り返るから、とにかく笑いながら会釈するしかなかった。会話なんて出来る訳ない。侍女さんが途中何故か背中を撫でてくれたおかげで、歩き続けることは出来たけれど。




「テルマ君、ここだ」




 リンデロ様が手で示す場所に、僕も視線を向けた。その瞬間、身体がぶわっと熱くなった。つい「わぁ……」と感嘆の溜息を吐いてしまう。


 僕の家の工房は、僕と父さんしか入ることは無かったし、なにより父さんがリンデロ様の専属だからそんなに広くなかった。けれど、目の前にある工房は違う。流石子爵位の貴族様だ。屋敷と同じ白くて綺麗な壁に囲まれ、煙突が空に向けて伸び煙を吐いている。広さは僕の家と同じくらいだ。これが家ではなく、工房だというのはすぐに見て分かった。




「大きいですね!すごいです!……はっ!?」




 興奮しすぎてつい子供のようにはしゃいでしまった。気づいた瞬間、リンデロ様に「すみません!」と勢いよく頭を下げる。リンデロ様は「ははは」と笑いながら、大丈夫だと手を振ってくれた。ガロンさんも侍女さんも気にしていないようだ。衛兵さんは変わらず僕を睨んでいる。




「ここはアルドを専属として雇う時に建て直した工房だ。アルドの意見で作られたから、きっとテルマ君にも喜んでもらえるだろうと思っていた」


「は、はい……とても素晴らしいと思います」


「ありがとう。では早速、中には入ろうか」




 中に入ると、圧巻の一言が視界の全てを埋め尽くした。僕の家にある道具や設備とは全く違う。最新型の物作道具、新アイデアが使われた加工・制作設備。物作師として認められたプロの人達。きっとここに来た物作師は全員が僕と同じ望みを持つだろう。




 ——ここで物作をしたい、と。




「……どうだいテルマ君。ここが君の父が働いていた工房だ」




 リンデロ様が声を発すると、その場で作業をしていた6人の物作師が一気にこちらへ向き、跪いた。




「「ご無沙汰しております、リンデロ様!」」


「ああ、いつも良く働いてくれている。そのまま作業を続けてくれ」


「「はい!」」




 綺麗に揃った動きと、とても猛々しく響く声にポカンと口を開けていると、リンデロ様は誇らしげに物作師達を見ながら説明してくれた。


 この全員が、リンデロ様の専属物作師だと。その言葉に再度僕は口を開けた。ありえない、いや、珍しい……というのだろうか。基本、専属とは1人で多くても2人から3人だ。僕の父さんも入れて7人も専属物作師を雇っているなんて、どれだけ物作師に力を注いでいるのだろう。


 貴族様が物作師を専属にする理由は、これまでのアイデアから貴族様の欲しい物を作らせ、また新しいアイデアが出来ればそれを流行として名を上げるためだ。そのために、貴族様は腕の良い専属物作師を雇う。


 けれどリンデロ様が専属物作師を多数雇うのは、リンデロ様自身が物作を愛しているから……だそうだ。それを聞いた時、僕は首を傾げてしまったけれど、その後の言葉ですぐに理解した。




「私はとある物作師のアイデアによって、傾きかけていた自身の生を救われた。それからは専属として雇われていない有能な物作師を見つける度、私は専属として雇っている。……もちろん権力で強制ではなく、交渉でな」




 貴族様にとって、物作師はただの下辺だ。それ以上、何もすることはない。期待もしない。ただ、仕事をさせるだけ。使えなければすぐに解雇し、また次の物作師を雇う。それが当たり前だと僕は思っていた。僕の父を殺した貴族様のように、平民と貴族様には常識が大きく乖離しているから、平民は道端に落ちている石として見ているのだと。


 けれど、リンデロ様は違うみたいだ。物作師を愛してくれている。こんなにも物作師が幸せに働ける場所は他にないと思うくらい、この工房は大事にされているのだから。そして最後の言葉は、とても重く聞こえた。




 リンデロ様の話を聞きながら、父さんの工房スペースへと歩を進める。途中、専属物作師の人達から妙な視線を受けたけれど、リンデロ様の話を聞いていればそれも気にならなかった。そして、いつの間にか過度の緊張も収まっていた。


 父さんの工房に、着くまでは。




「ここがアルドの場所だ」




 辿り着いたのは、一つの部屋だった。他の専属物作師は共用の設備や道具を使っていたのに、父さんだけは全て個人で使っていた。一つ一つ、綺麗に手入れされた道具や設備を指で撫でる。胸が苦しくなって、何とか口の中を飲み込んで耐えた。リンデロ様も依頼した荷物以外はそのままにしているらしい。説明を聞きながら周りを見回していると、部屋の端の方に一つ大きな木箱を見つけた。


 リンデロ様に許可を取り、その木箱を持って机の上に置く。ガロンさんも侍女さんも不思議そうにその箱を見つめていた。きっと中に何が入っているのか気になるのかもしれない。そう思って、僕はすぐにその箱を開けた。


 中に入っていたのは、やっぱりテレサの父さんに依頼されていた『ガラス製のジョッキ』だった。一般的な木材のジョッキとは少し違う、とても美しい透明感のあるジョッキ。父さんの技術はやっぱりすごい。全てのジョッキが同じデザインで一切ムラも無い。流石、貴族様の専属として認められる物作師だ。リンデロ様達も「ほう」と感嘆の息を吐いている。


 木箱の中の依頼品を確認し終えると、一枚の紙きれが中に入っていることに気付いた。テレサの父さんへのメッセージだろうか。しかし僕には文字が読めない。どうするかと唸っていると、侍女さんがそれに気づいたように僕の右肩に手を置いた。




「よろしければ、お読みいたしましょうか?」


「す、すみません。お願いします」




 僕が頭を下げると、侍女さんは「かしこまりまりました」とその紙きれを受け取り、目を通した。瞬間、侍女さんの眉がググっと寄せられた。その様子にリンデロ様が「どうした?」と聞くが、侍女さんはこちらを一瞥した後、「失礼しました」と紙きれに視線を向けて、口を開いた。




「……息子にすまない、と。後を頼む……と書いてあります」




 侍女さんがそれを声に出した途端、その場の全員が息を呑んで視線を逸らした。父さんの最後のメッセージだと、全員が理解したからだろう。つまり、父さんは自分が殺されると分かっていて、この紙切れにメッセージを急いで書き残し、貴族様の所へ行ったんだ。僕を残して。




「っ……」




 気づけば、溢れるほどの涙が自分の頬に伝っていた。喉が閉まって呼吸が苦しい。足に力が入らなくて、その場に崩れてしまう。リンデロ様や侍女さん達が「テルマ君!」と声を上げたが、もう自分に返答が出来るほど余裕は無かった。


 胸の奥にしまっていた感情が溢れだす。今朝のうちに覚悟は決めたはずなのに。もう父さんは死んだ。もう二度と返ってこないと。それでもなんとか心に収めたのは、リンデロ様の御屋敷で泣きたくなかったからだ。平民が貴族様の前で泣き叫んで、もし怒りを買ってしまったら殺されるから。しかしリンデロ様はとても優しかった。尚更この感情を出したくなかったのに。




「すっ……すみま……せんっ……と、止まらなっ……!!」




 きっと今、リンデロ様は自分を責めている。貴族様が平民をなんとも思っていないことが常識だとしても、昨日リンデロ様は悔しそうだった。悲しそうだった。謝罪を……していた。だからこそ、早くこの感情を押し込むんだ。リンデロ様に責任なんてない。平民は殺されるのが当たり前で、父さんが死んだのは事故のようなものなんだから。


 僕は涙が出続ける目を必死に右腕で押さえつけた。過呼吸になりかけているから、とにかくゆっくりと、息を吸って、吐いて、吸って、吐いて。左手で喉を掴み、頭を振る。落ち着いてくれ、泣かないでくれ。まるで他人に言うかのように、自分へと乞い続ける。




「はっ……はっ……」




 呼吸が落ち着かない。涙が止まらない。まずい、もういっそ工房から飛び出してしまおうか。このままじゃリンデロ様達に迷惑だ。先程まで作業していた専属物作師の人達の声も工房の外から聞こえてくる。どうしようかと考えて、それでも考えが呼吸に乱され続けていると、身体がふわりと何かに包まれた。




「大丈夫、大丈夫よ」




 その声の主は、崩れ落ちた僕を包むように抱きしめていた。とても暖かな声色に少しずつ呼吸が落ち着いてくる。頭を優しく撫でるその手が、涙を少しずつ止めてくれる。少しして落ち着いた頃、僕は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を上げた。そして、絶句した。




「侍女……さん……?」




 あまりにも驚愕すぎて、それ以上の言葉は出なかった。なぜなら先程まで黒い髪を後ろに結んでいたのに、今は肩に流れていて、まるでその表情は母親のように見えた。僕自身、母の顔は知らないし、この侍女さんとも髪の色も瞳の色も違う。その顔をよく見てみれば、透き通った紫の瞳が柔らかくこちらに向けられていた。その後ろには、昨日と同じく顔を歪め額を手で押さえたリンデロ様が立っている。




「……テルマ君。お父様の事は私も聞きました。とても辛かったでしょう。ごめんなさいね、何もしてあげられなくて」




 侍女さんの言葉に、僕は首を傾げた。さっきと話し方も声色も表情も全く違う。まるで……と考えていると、侍女さんの右手が僕の両目に被せられた。




「ゆっくりとお休みなさい、今は」




 そこで、僕の意識は深く沈んだ。




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