・物作師見習いは恐縮する
父さんが依頼されていた物は、4つの内1つだけしか宛先が分からない物だった。とりあえず先程、父さんに依頼していたウィーズリーさんに、父の訃報と依頼の品を渡してきた。これで安心……というわけにもいかないけど。
一度家に帰り、身体を丁寧に洗う。蝋燭には動物の油が使われているし、僕もあまり水浴びをすることは無いから、よくよく嗅いでみると汗臭いのだ。流石にこの状態であの屋敷に向かえば、衛兵の人に追い払われてしまうだろう。髪の毛も出来るだけ丁寧に櫛で梳く。
身体を洗い終えたら、父さんが買ってくれていた綺麗な服を着る。父さんはリンデロ様専属の物作師だったから、貴族の紹介などでよく屋敷に綺麗な服を着て行っていた。僕には必要ない、お金がもったいないと僕は購入することを拒否したが、結局父さんは買ってきてしまった。でも、買ってくれていて本当に良かった。流石にいつも着ている服は土や煤汚れなどがこびり付いているし、この服を着ればちょっとは見た目も良くなるだろう。
「ああ……緊張する」
屋敷までの道すがら、心臓がこれまで鳴ったことのないほど大音量で鳴り響いている。今にも破裂しそうだ。顔は熱いのに手足は異常に冷たいし、震えも止まらない。
僕は貴族様の屋敷に行った事は一度も無い。というか貴族様に会ったのも、話したのも昨日のリンデロ様が初めてだ。貴族様は僕ら平民とは違う。噂では、貴族様は不思議な力も持ってるらしい。手から火を出したり、空を飛んだり……僕は見たことが無いし、父さんもそれは嘘だと笑っていた。
それでも、貴族様は貴族様。平民なんて息を吹くだけで簡単に殺せる。もし僕がリンデロ様に粗相をしてしまったら、もしかすればその場で父さんと同じように……
「……父さん」
リンデロ様は昨日、父さんが誰に殺されたのか詳しくは口にしなかった。もちろん、貴族様が平民に言う義務なんて全く無い。むしろ恐れ多いと感じてしまう。それにもし、リンデロ様が教えてくれたとしても、僕にはどうも出来ない。だって、平民なのだから。貴族様に殺されてしまうのは、馬車に轢かれて死んでしまうようなものだ。そう、父さんも言っていた。
思考にふけっている内に、いつの間にかリンデロ様の屋敷の近くに来ていた。もうすぐでリンデロ様の屋敷だと思うと、先程まで忘れていた心臓の鼓動が、思い出したように早く打ち始める。まずい、今にも死にそうだ。このまま家に回れ右をしてしまいたい。もちろん、そんなことを出来るつもりも無いけれど。
リンデロ様の屋敷は、真っ白でとても綺麗な建物だった。広い庭に緑の美しい芝が広がり、淵には色とりどりの花が咲く花壇がある。合金の素材で出来た分厚い門の前は、2人の衛兵が険しい顔をして立っている。見るだけで背筋が寒くなりそうだ。
門から少し離れた場所に到着した僕は、衛兵の方へと頭を下げる。すると衛兵もこちらに気付いたようで一度頷いてくれた。それが来て良いというサインなのは、平民の誰もが知っている。衛兵の手前まで歩き、その場で両手を上げて片膝を地面につける。こうすれば、攻撃の意思は無いとアピールし、尚且つ話を聞いてもらえる。完璧だ。相変わらず膝は小鹿のように震えているけど。
「何者か。今すぐに名を名乗り、その用を告げよ」
こっ、怖すぎる……!風が吹けばへし折れそうな少年に、ここまで殺意を向けることもないだろうに!とにかく自分の名前と要件について端的に分かりやすく時間を取らないように伝えなければ。
「わ、私はっ!」
しまった。声が恐ろしいくらい上擦った。こんなの不審者ですよと自己紹介しているようなものだ。正確には緊張しているだけ……でも、相手は貴族様に雇われた衛兵なのだ。落ち着いた態度を見せなければ腰に帯びているご立派な剣ですっぱり逝かされてしまう。
「……失礼しました。私はテルマ。こちらのリンデロ様の専属物作師として雇っていただいていた、アルドの息子です。ほ、本日は父さ……アルドが受けていた依頼の荷物を取りに来ました」
よし、何とか形にはなった。父さんに貴族や衛兵への言い回しを少しだけど教えてもらってたから、これで失礼にはならないだろう。
と、思っていたけれど……。
「アルド……の息子、か」
先程まで訝し気な視線を向けていた衛兵の表情が、今は苦虫を嚙み潰したように表情を歪めている。まさか僕の言い回しは失礼だったのだろうか。怖い、怖すぎる。僕はまるで断頭台に立ったような気持ちで、衛兵の次の言葉を待った。
「……少し待っていろ。今、屋敷の使いに伝える」
「あ、ありがとうございます」
良かった、大丈夫みたいだ。これで後は、執事か侍女を待つだけ……ではない。ちゃんと案内してもらえるだろうか。もしかして、このまま屋敷の中で殺されるんじゃ……。
「お待たせいたしました、テルマ様」
「へっ!?」
あまりにも頓珍漢な返事と共に、勢いよく顔を上げる。足音もしなかったのに、いつの間にか目の前に紳士が立っていた。白髪交じりの髪を後ろへと流し、知的な眼鏡をつけてこちらに微笑みを向けている。歳は父さんよりも下だろうか……そんなことはどうでもいい!とにかく今はこの人に返事をしなければ!
「は、はい!」
「お初にお目にかかります。私はガロン、この屋敷で筆頭執事をしている者でございます。」
「が、ガロン様。僕はアルドの息子で物作師見習いのテルマといいます。よろしくお願いします」
「よろしくお願い致します、テルマ様。私に敬称は必要ございません、ガロン、とお呼びください」
「え……はい。ガロン、さん」
ガロンさんはニコリと笑って、「では、こちらへ」と言いながら屋敷の扉を手で示した。このままリンデロ様の工房まで案内してくれるのだろうか。それなら少し安心だ。ガロンさんはとても物腰柔らかな人に見えるので、他の方と比べてそこまで心臓は叫ばない。僕はガロンさんに一度頷き、その後ろをついていった。
しかし、僕が案内されたのは……
「こちらで少々お待ちください。ご主人様をお呼びして参ります」
「はい……」
とても立派で豪華で埃一つ見当たらない客室だった。屋敷内に入った時、もしかして工房は屋敷の中のどこかにあるのかな?それとも裏庭とかかな?なんて首を傾げて、屋敷をぼーっと見回していた自分を殴り飛ばしてやりたい。貴族様の工房は入り口の近くに設置するのが一般的だと父さんが教えてくれていたのを、すっかり緊張で忘れてしまっていたのだ。貴族様は平民と違う。だから敷地内に入れることもあまりないし、例え敷地内に入れても屋敷の中には絶対入れないと。だから必ず門の近くに工房を置いて、報告や相談などは使者を挟む。
ましてや、平民が客室に案内されるなんて……噂では、奴隷として若い女性と夜紡ぎの契約をするために、平民を客室まで招く貴族様もいるとは聞いていたけれど。流石に僕は男だし、夜紡ぎは……。ならもう答えは1つだけじゃないか。証拠隠滅、昨晩の金貨返却、御怒り処刑、その他諸々。僕の生命終了待ったなし。
「……テルマ様?」
「ひぃ!?」
気分と共にソファーへと腰を沈め、どうやら緊張を超えた思考に頭を抱えていたらしい。侍女さんが僕の顔を覗き込みながら、何回も僕を呼んでいる事に気が付かず、気づけばまた素っ頓狂な悲鳴交じりの返事をしていた。僕の悲鳴に侍女さんも一歩後退り、訝し気に首を傾げている。
「す、すみません。ちょっと考え事をしていて……」
「いえ、こちらこそ失礼致しました。テルマ様のお身体が震えていたようにお見受けしましたので」
「はは……その、情けないことに貴族様の御屋敷に来るのは初めてで……」
「では、こちらはいかかでしょう?」
いつの間に持ってきたのだろう。僕の座るソファーの横に、侍女さんが腰ほどの高さのカートを持ってきていた。その上には何ともお高そうなティーセットとケーキが置いてある。侍女さんはそれを手で示し、柔らかく微笑んだ。
「へっ?いいんですか?僕なんかが……」
「旦那様から、テルマ様が来られた際には手厚く対応せよとご指示を受けておりますので」
「手厚く……?」
「ええ、それはもう……みっちり」
「みっ?」
その言葉を放った瞬間、侍女さんの笑顔が一気に冷たいものとなった。みっちり、とは一体どういうことだろうか。リンデロ様がそう仰った理由がよく分からない。リンデロ様は子爵位の貴族様で、僕と父さんは平民だ。手厚く対応する必要なんてないはずなのに。
侍女さんはその冷たい笑顔のまま、手慣れた手つきで目の前のテーブルに紅茶やお菓子などを準備していく。ベテランの方なのだろうか。リンデロ様と同じ真っ黒の髪を後ろにくくり、しわも傷もない真っ白な手で紅茶を注いでいる様は、見ているだけでうっとりとしてしまう。
侍女さんに準備してもらった美味しい紅茶を口にしながら待っていると、扉が二回ノックされた。僕は勢いよく立ち上がって、扉に視線を向けながらソファーの横に立つ。侍女さんが丁寧の動作で扉を開けると、そこにはこの前と同じ綺麗な服を着たリンデロ様とガロンさん、鎧を着た衛兵が立っていた。
「……待たせてしまった、すまない」
リンデロ様は一瞬僕の姿を見て目を見開いたけれど、すぐに優しい微笑みを浮かべてくれた。僕は震える両手をなんとか抑えながら、深く頭を下げる。
「いえ、こちらこそ突然来てすみません」
「いや、謝罪は必要ない。楽にしなさい」
もう一度深く礼をして、リンデロ様が席に着くのを確認してから僕も腰を下ろす。そしてリンデロ様の目の前に侍女さんが先程と同じように紅茶を出した。「ああ、ありがっ……とう」と、何故か侍女さんを見てリンデロ様が固まってしまったのは気になったけれど、その紅茶を含んで一度咳払いをしたリンデロ様は、こちらに視線を向けて微笑んだ。
「よく来てくれた、テルマ君。君の事は私も気になっていた」
「さ……昨日は父さんの事を教えていただきありがとうございました。その、今日は……」
「ああ、工房にアルドへの依頼品があるのだろう?話は聞いている」
「すみません……」
まずい。心臓の音がうるさい。手の震えが止まらない。一言一言に神経を集中しないと、今にも言葉選びを間違えてしまいそうだ。リンデロ様は優しく僕の話を聞いてくれるけど、後ろの衛兵の睨みは止まらない。ガロンさんはこちらにずっと微笑んでくれている。けれど逆にその微笑みが怖い。視線がそちらにいかないように、とにかくリンデロ様の方へぎこちない笑みを浮かべる。
「早速だが、私が工房へと案内しよう。アルドはよく工房に忘れ物をする性分だったからな。きっとその依頼品も置いてあるだろう」
「お、お願いします……って、え?」
「ん?」
「……あ、あの……リンデロ様。い、今、案内……と?」
「ああ、案内しよう」
リンデロ様、が、案内、する……っな!?なんて恐れ多いことを!?
「おま、お待ちください!リンデロ様にそう言っていただけるのはありがたいですが、その、流石に……が、ガロンさんもそう思われますよね!?」
「いえ、テルマ様。ご主人様が仰っておりますので」
「そんなっ!?……じ、侍女さんは……」
「……いえ、私も特には」
「えぇっ……」
だ、誰も止めてくれない!衛兵さんはこちらを完全に見ていないし、侍女さんとガロンさんはニコニコと眩しい笑みを浮かべているし、リンデロ様は生暖かい眼差しをこちらに向けているし……ぼ、僕がおかしいのか?でも僕は平民で……リンデロ様は貴族様で……。
頭を抱え混乱を何とか飲み込もうとしていると、僕の両肩にどしっと重みが乗ってきた。僕は肩を上下させながら顔を上げる。そこには、険しい顔をしたままの衛兵がこちらを睨みながら、僕の両肩を掴んでいた。
「主様がこう仰っている。いいから従え」
「ぴっ……」
「グリット、テルマ君を怖がらせるな」
「はっ!申し訳ございません!」
リンデロ様が注意してくれたおかげで、すぐに衛兵さんはその場から飛びのき、頭を深くこちらに下げた。僕はその様子に一言だけ「い、いえ……」と声を絞り出すことしか出来なかった。怖すぎる、早く帰りたい。
結局、僕は顔を真っ青にしながら、リンデロ様について工房へ行くこととなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます