・物作師見習いは驚愕する


 頭痛と共に目を覚ます。沢山泣いて、沢山叫んだせいで瞼も目も喉も酷い状態だ。赤く腫れて視界がまだ霞んでいる。


 うつ伏せの状態から身体を起こし、床に散らばった金貨を見ていると、また目の奥が熱くなってきた。だめだ、まだ胸の騒がしさが収まらない。


 昨日、父さんは死んだ。貴族様に殺された。受け入れたくない事実だけど、どんなに泣いても返ってこない事は昨夜のうちに理解した。




「……そうだ、朝ごはん」




 床に散らばった金貨を拾いながら、父さんによく注意されたことを思い出す。物作師は身体が基本だ。体調不良なんて許されない。そう言って、必ず朝と夜は父さんと共に食事を摂った。昼は父さんが銀貨1枚を置いてくれたから、近くにあるパン屋でパンを買って、野菜屋でニンジンとイモを買ってスープを作って……いつもそうだった。


 けれど今日からは、朝食も昼食も夕食も全て自分で作って食べなきゃ。もう作ってくれる人も、一緒に食べてくれる人もいないのだから。




 金貨の片づけを済ませると、昨夜食べようと思っていたスープを温めた。あとは倉庫に乾いた非常用のパンがあったはずだ。それをスープに浸しながら食べ、一人の朝食を済ませる。




「ごちそうさまでした。この後は……」




 食事を終え、今日やることを思考する。父さんは朝食を済ませると、すぐに家を出ていく。その後は夜まで帰ってこないため、僕はそれまで家事や物作の勉強などをするのが日常だった。とりあえずこれから少しの間、金銭面での不安は無い。昨日、リンデロ様が渡してくれた金貨が15枚ほどある。生活を変えなければ、これだけで5年は何もせずとも暮らせる額だ。


 けれど、僕はそんな甘えた生活をする気はない。父さんが物作師として働いていた姿を見て、僕は物作師に憧れた。それなら僕も物作師として生活していかなければ。




「とりあえずこの金貨は5枚だけ持って、後の分は隠し金庫に入れておこう」




 金貨1枚は銀貨10枚分ほどの価値だ。銀貨1枚は銅貨10枚分。銅貨3枚でパンが買えるから、食事と道具以外で出費しなければ、5枚ほど持っていれば大丈夫。


 そういえば、父さんの財布と物作師証明証は昨日渡されたはず。一応それも確認しなければ。


 玄関の横に……あった。ちゃんと靴箱の上に置いてある。盗まれていなくて良かった。




「中には銀貨15枚と……物作師証明証。後は特に何も……ん?」




 財布として父さんが使っていた革袋の底に、何かごつごつした鍵のようなものが入っている。こんな鍵、父さんに聞かされた覚えはない。隠していた……のだろうか。




 黒一色の金属で形作られたその鍵はとても重く感じた。流れるような水の紋章が持ち手に刻まれている。文字も入っているようだけど、僕はまだ文字が読めない。13の歳になったのにもかかわらず、だ。




 もちろん、基本的な物作師見習いはほとんど文字が読めないのが普通だ。基本的に技術は口頭で伝えられるものだし、羊皮紙や最近生まれた植物紙、インクなど文字に関係するものはどれも高すぎて手が出せない。アイデアも基本的には工房の長である物作師しか知らないし、作り方は見て覚えるのが基本だ。




 父さんには文字を覚えた方が良いと言われていたけれど、僕はそれよりも物作の技術を優先した。今を考えれば、ちゃんと父さんの言う通りにしておけば良かったと常々思う。文字を覚えるのは難しいけれど、覚えることさえ出来れば物作師としての腕は認められやすくなるし、他の職にも手を出しやすくなる。




 そんなことを考えながら手元の鍵を眺めていると、コンコンッと二回ノックが鳴った。時刻はまだ朝の5時。こんな早くに来る知り合いなんて僕にはいない。まさか父さんの知り合い? そう思った僕は、急いで扉を開けた。


 しかし、そこにいたのは……




「おはよう、テルマっ」




 ボサボサの金髪に、ぱちぱちと瞬く茶色の瞳。朝っぱらから眩しい笑顔を浮かべ、手を後ろに組む見知った少女がそこに立っていた。




「……テレサ?」




 彼女はテレサ。僕の父さんがよく通う居酒屋の娘だ。明るい性格で人気もあり、僕が幼い頃から仲良くしてもらっている。しかし彼女がこんな朝早くから来たことなんてこれまでない。どうしたんだろうか。




「あら、まだ寝ぼけてるの?」


「寝ぼけてるも何も……どうしたの?こんな朝早くに」


「え!?聞いてないの?」




 彼女は目を丸くしながら両手で口を押えた。こういう仕草がやはり人気になる秘訣なのだろう。本人は無意識にやっているのかもしれないけれど、僕はあまり女性に対して慣れていない。つい頬が熱くなってしまう。




「テルマのお父さんから、今日の朝に渡すものがあるって言われたんだけど……」


「渡す物……?」


「そうよ。確か一昨日……テルマのお父さんが私のお父さんに頼まれていた物が出来たから、今日の朝に取りに来てくれって。私も昨日の夜に言われて早起きしたのよ!」


「あ、ああ……」




 おかしい。父さんからそんな話は聞いていない。依頼されたものだろうか?




 確かに依頼された物の内容については、必ず話さなければならないわけじゃない。けれど、父さんは僕の勉強のためにいつも依頼された物の話をしてくれた。その父さんが話していないなんて……ああ。もしかしたら昨日の夜に話すつもりだったんだろうか。それなら納得だけど、でも……。




「それでテルマ、あなたのお父さんはまだ寝てるの?」


「い、いや。今は……」


「もしまだ寝てるなら、あなたからでも受け取るから。場所は分かる?」


「テ、レサ……」


「? どうしたのテルマ?」




 ああ、まずい。父さんの依頼された物については全く知らない。もしかしたら家のどこかにあるのかもしれないけれど、もし無かったら……貴族様の工房にあるということ、だ。




 僕は首を振って、テレサに今の状況を伝えるために一度深呼吸をした。




「ごめんテレサ。実は昨日、父さんは死んだんだ。それで」


「はぁ!?」




 テレサの叫び声につい顔をしかめ、両手で耳を覆った。テレサは声が少し高めだから、大きな声を出されると耳がキィンとする。




「ちょっ、え……?」


「ご、ごめん。だからその、父さんに話を聞いてなくて、場所が……」


「そうじゃないでしょ!!」


「はいっ!?」




 突然、目の前の少女は顔を真っ青にして僕の胸倉を掴んだ。されるがままにブンブンと振り回される。




「本当なのっ!?」




 何が起きたのか分からず、僕は目を丸くした。まさかそれほど大事な依頼だったのかと、そう理解した時には背筋すら寒くなってくる。




とにかくまずは真実を、と彼女に父さんが亡くなった経緯を伝えた。その話を聞きながらテレサは更に顔色を悪くし、視線が徐々に下がっていった。全てを話し終えて謝罪をすると、彼女はそのまま膝から崩れ落ちた。




「そ、そんな……」


「ごめんテレサ。だから僕は依頼された物の場所が分からないんだ。少し時間を貰えないかな?」


「……ねえ、テルマ」


「何?」




 彼女は青い顔をこちらに上げながら、不安な表情を浮かべた。まるで同情するような視線に、僕は一歩後退る。




「いえ、何でもないわ……そうね、うん。お願い……できる?」




 けれどその一言は依頼された物についてだったため、僕は胸を撫で下ろした。そのまま「ごめんね」と頭を下げて、彼女を起き上がらせる。膝が震えているようだったけれど、彼女は深く息を吸い込むと、ゆっくりと吐き出してこちらに顔を向けた。




「依頼していたのは確か“ガラス製のジョッキ”だったはずよ。数は10個ほどだったと思うわ」


「うん、分かったよ。見つけたらすぐに店へ持っていくね」


「……ええ、お願いね」




 彼女は引き攣った笑みを浮かべて、すぐにその場を去っていった。その表情に僕は首を傾げたけれど、そんなことを考えている暇はない。とにかく彼女の父に依頼された物を見つけないと。




 僕は急いで倉庫へと駆ける。父さんは確か、下町で依頼された物については倉庫に置いていたはずだ。リンデロ様の依頼については、絶対その屋敷にある工房に置いていると思うけど。




 倉庫の棚には、僕の胸板ほどの大きさの木箱が4つほど置いてあった。きっとこれが依頼された物が入っている箱だろう。その4つの箱を工房にある机に全て置き、1つ1つ中身を確認する。




 テレサの父さんの依頼は『ガラス製のジョッキ』だ。中身が割れないように細心の注意を払わなければいけない。というか、この4つの箱全てが依頼された物だとすれば、後4回はテレサのように受け取りに来る人に説明しなければならないのだろうか。2つは依頼主が分かるけれど、後の2つは全く分からない。




 1つ1つ箱を開けていく。けれど、その中に『ガラス製のジョッキ』なんて入っていなかった。絶望だ。つまり4つのうち3つは依頼主も分からず、家に取りに来てもらわなければいけない。後の1つはこれから持っていくとして、その後は……。




『君がもし物作師として生きるのならば、私は必ず協力する』




 ……リンデロ様は帰り際そんなことを言っていた。貴族様の家に行くのは緊張するけれど、リンデロ様は僕の父さんを専属として雇ってくれた。流石に酷い事はされない、と思いたい。このまま取りに行かないわけにもいかないし、父さんの名に泥を塗るような真似もしたくない。




 覚悟を、決めなければ。




 僕はその場で強く両頬を叩き、身だしなみを整えて、1つの箱を抱えながら家を出た。




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