番外編 4 アタシがアタシである為に 過去と決別する琴音





琴音ことねちゃんはみにくくなんか無いよ」



杏子きょうこは琴音を抱きしめたまま琴音の頭に手を乗せる。


そして優しく琴音の頭をでた。


琴音は先程よりは落ち着いたようで暴れるような素振りは無い。


そして、ぼそりと呟く。



「・・・・いいえ。アタシは醜いです」



何処どこが醜いんだい ?」



琴音は驚いたように杏子の顔を見る。



「・・・・だって、だってアタシはかなでの事をうらやんでいたんですよ ? ねたんでさえいたかも知れません」


杏子は琴音の頭を撫でていた手でポンポンと優しく琴音の頭を叩く。


「それは琴音ちゃんは無自覚だったんだろ ?」


「・・・・いいえ」


琴音は杏子の顔から視線を外す。


「アタシは2人を見る時にチクチクと胸を刺すような痛みを感じる事がありました。アタシはずっと困惑してました。この胸の痛みは何だろう、って。それは今、判りました。アタシは奏になりたかったんだ、って。アタシは研一けんいちさんの隣で研一さんと一緒に人生を歩みたかったんだ、って。だから、こんなアタシは醜いんです」


琴音は杏子の手から逃れるようにうつむいてしまう。

しばしの沈黙があった。

その沈黙を破るように杏子が口を開く。


「アタシはそれでこそ、人間だと思うけどね」


「・・どう言う意味ですか ?」


琴音は再び杏子の顔を見つめる。


「人間は誰だって自分の中に複数の人格を持っている。自覚と無自覚の差はあるけれど。アタシだって、そうだからね」


「え ? 杏子さんも、ですか ?」


琴音はまた驚いたように杏子を見る。

杏子は優しく微笑む。


「あぁ、アタシは琴音ちゃんや奏ちゃんを羨ましく感じる事がある。嫉妬しっとと言っても良いかも知れない」


「そんな。アタシや奏にとっては杏子さんは憧れの存在なんですよ。そんな杏子さんがアタシ達の何処に嫉妬なんてするんですか」


「そうだね」


杏子は何処か遠くを見つめるような眼をする。


「琴音ちゃんも奏ちゃんもまだ26歳だ。強いて言うなら、その可能性かな。特に琴音ちゃんの場合は」


「どう言う意味でしょうか ?」


琴音の質問に杏子は視線を琴音に戻す。


「奏ちゃんは研一のお嫁さんになってくれた。あの2人なら必ず幸福な人生を歩むだろうって、アタシも思ってる。それに対して琴音ちゃんは縛られるモノはあまり無い。琴音ちゃんは、こうありたい、と思う自分に成れる可能性を秘めている。無限とも言える程のね」


琴音は、しばし考え込んでから杏子に質問する。


「えっと、杏子さんはこれまでの人生に悔いを感じているんですか ?」


「それは無い」


杏子はキッパリと答える。


「あの人が事故で亡くなってからアタシは研一を育てる為に必死になって働いた。勿論、それはアタシ自身の為でもあるんだけど」


琴音は黙って杏子の言う事に耳を傾けている。


「アタシが入社した頃のウチの会社は、まだ零細企業れいさいきぎょうと言える規模の会社だった。半導体産業はこれから世界的に伸びる業種だとアタシは思ってた。多くの頼れる先輩や毎年増え続ける仲間と共に試行錯誤を繰り返しながらアタシ達は常に前を向いて必死に頑張った。で、気が付いてみたらウチの会社も四井物産と取引できる会社になってたし、アタシもいちおう役職になってた、と言うワケさ」


そう言って杏子は右手を突き出した。


「我が人生に一片の悔いなし! 」


これを聞いた琴音は吹き出した。

それから笑いながら言った。


「杏子さん、カッコイイです」


杏子は琴音が笑ってくれたので安堵あんどした。

そして、「そうだろ ?」とおどけて見せた。

杏子が爆弾を投下してから初めての笑い声がリビングに響き渡った。


「だからさ」


ひとしきり笑った後に杏子が琴音に語りかける。


「琴音ちゃんにもいのない人生を歩んで欲しいのさ」


「・・悔いのない人生」


琴音はマジメな顔つきになる。


「そう。まぁ、結局は何をやっても多少の悔いは残るけどね。アタシが思うに何らかの行動をした結果の悔いなら、何の行動も起こさなかった悔いよりはマシだと思う」


「アタシもそう思います。行動した結果の悔いなら、それは悔いとは言わないと思います」


琴音はハッキリとした口調で自分の意見を述べる。

それを聞いた杏子は嬉しそうに笑みを浮かべる。


「これはアタシの願望と言うか期待なんだけど琴音ちゃんには子供を産んで欲しい、と思う」


「・・子供。赤ちゃんですね」


杏子のしんみりとした口調に琴音も神妙しんみょうな顔つきになる。

杏子は言葉を繋げる。


「アタシが育った頃は今よりも「女の子は女らしく」なんて風潮が強かったからね。アタシの親はあまりそんな事は言わなかったけど。一種の同調圧力って言うか、世の中全体がそんな感じだった。そして、アタシは女として生まれて来たくは無かった」


「そう、何ですか」


琴音は神妙な顔つきのまま答える。


「そうだよ。女は男と比べて色々とメンドクサイ事が多いからね。アタシは生理痛もけっこう重かったし。「あー、なんでアタシは男に生まれて来れなかったんだろ」なんて能天気な男どもを見て、いつも思ってたよ。ところがね」


「ところが ?」


琴音は身を乗り出して来る。


「あの子を、研一を産んだ時に初めて思った。「アタシは女に生まれて来れて良かった」ってね。何て言うのかなぁ。新しい生命を生み出した事への誇りと喜び。ボンクラな男どもには出来ない事をアタシはやった! って胸を張りたい気持ち。うーん、これは言葉で表現するのは難しいけど。これは身籠みごもった時にも感じたけどね。アタシはアタシの中に愛する人の生命を宿す事が出来た、って」


「・・・・愛する人。だから、奏はあんなに嬉しそう何ですね」


杏子は間髪入かんぱついれずに琴音の手を握る。

琴音の表情が変わる前に。


「琴音ちゃんは高見心療内科たかみしんりょうないかを辞めた方が良い」


「はい、アタシもそう思います。研一、いえ高見先輩への気持ちを自覚してしまいましたから」


琴音が冷静な口調で言ったので、杏子は安堵した。


「そうだね、研一への気持ちは過去の事として割り切るしか無い。時間はかかるかも知れないけど。琴音ちゃんが琴音ちゃんである為に」


「・・・・アタシがアタシである為に」


琴音はそう呟いてから下を向いてしまった。


「・・琴音ちゃん ?」


杏子が声をかけようとした、その時。



ガバッと琴音が顔を上げた。



その顔は笑みに満ちていた。



「ありがとうございました、杏子さん! アタシは高見先輩への気持ちとは決別します。高見先輩よりも良い男をゲットします! アタシがアタシである為に! 」



杏子はそんな琴音にしばし圧倒されていたが、苦笑まじりに言った。



「そんなに気負わなくて良いんだよ。アナタは両極端りょうきょくたんなんだから」



「はい! 気をつけます! 」



琴音は敬礼する。


リビングの中に笑い声が響き渡る。


そして2人は声を揃えて言った。




「アタシがアタシである為に! !」








つづく





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