最終話 大きなクヌギの樹の下で



いつか知らないところで あなたと あなたと出会ったの

いつか知らないところで ひなぎく ひなぎくに埋もれて


あなたが わらうと お空の お空の雲がお城に

なったわー なったわー なったわー なったわー


いつか知らないままに あなたと あなたと別れたの いまはどこ?



いつか遠いところで あなたと あなたと遊んだの

いつか遠いところで ひとり ひとりぼっちの海で


あなたに ふれると ほほの涙が 涙が真珠に

なったわー なったわー なったわー なったわー


いつか知らないままに あなたを あなたを忘れたの いまはどこ?








「結局、あの男のメンタルは弱かったんだね」



かなでの母の家の縁側で奏の叔母さんがつぶやく。



「・・・そうですね。でも」



隣に座っている杏子きょうこささやく。



「でも?」


叔母さんは杏子の顔をのぞき込むようにたずねる。


「警察に出頭してくれて自首してくれて。奏さんにとっては少しでも救いになったのでは? と」


「フン。アイツのこった。何かバレそうな問題でもあったんだろうよ」


叔母さんは吐き捨てるように言う。

そんな叔母さんを見て杏子の口元がゆるむ。


「アナタは山岸さんについては手厳てきびしいですね。まぁ、アタシも否定はしませんけど」


「そうだよ。少しでも罪を軽くする為に決まってる!」


叔母さんの憤慨ふんがいする様子を見て杏子は苦笑する。


「でも、これで山岸さんの社会的地位は完全に無くなった訳ですから」


「そんなものアイツの自業自得じゃないか!全く」


そこについては杏子も同感だ。


「でも、20年も前から使用していた事には驚きましたね。もっぱら吸引していたみたいですけど」


杏子の言う通りコカインの使用法には主に2種類がある。

微粉末をストローで鼻から吸引するか水溶液にして静脈注射するかである。

また、コカインは主に精神的依存であり身体的依存は弱いとされている。


「しかし、あの子も奏ちゃんも甘すぎるよ。アイツのやった事を全て法廷でブチけてやれば良かったのに」


叔母さんの言う通り、奏も奏の母も証人として裁判所で証言した。

奏の母は夫のDVは認めたが背中の傷痕きずあとには言及しなかった。

奏に至っては「あたしにとっては良いお父さんでした」と証言したのだ。


これには被告人席に座っていた奏の父はとても驚いた顔をした。

しかし、奏は父の方を全く見ていなかったので奏はその事を知らない。

奏の父の裁判は未だに審議中である。


「でも、これで奏さんの親権譲渡しんけんじょうとは確実なものになりましたから」


杏子は夏の終わりを告げる秋空を見上げながら言った。


「そうだね。でもホントに良いのかい? 奏ちゃんが高校卒業まで杏子ちゃんのお世話になってしまって」


「お世話だなんて、とんでもない」


杏子は顔を空から叔母さんの顔に移して微笑んだ。


「奏さんがウチに来て頂いて本当に感謝してるんです。マンションの中が前とは比べものにならない位にキレイになりましたし。財政面でもウチの息子よりしっかりしていますから」


「おいおい。研一くんをあまり卑下ひげしちゃいけないよ。あたしゃ、研一くんを買ってるんだからね。あたしは研一くんの味方だよ」


杏子はそんな叔母さんを嬉しそうに見つめた。


「おや、あの子にも味方がいたんですね」


そして、杏子と叔母さんは声を出して笑い合った。




ここでお話は数週間前にさかのぼる。



奏の母の家で父親がコカインの不法所持と使用を行っていた事を知った奏は翌日の日曜日に「明日から先輩と一緒に登校したい」と杏子に申し出たのである。

奏の父の事はマスコミによって大々的に報道し始められていた。

杏子はその事によって奏も言われも無いうわさに巻き込まれる事を危惧きぐしていた。山岸と言う姓は日本全体でも約7万人しか居ない珍しい姓だったからである。


そんな杏子に奏は「来週からは期末テストですから」と努めて明るい声で言った。


「・・・それに」


「それに?」


杏子の問いかけに奏はキッパリと答えた。


「先輩も、研一さんも一緒ですから」と。


何処どこの学校でも1学期の期末テストは夏休みの数週間前に行われる。

しかし、研一と奏が登校している高校では夏休みに入る直前にテストが行われる。そしてその結果は夏休み中の登校日に発表される。

色々な意味で変わった学校である。


幸いにも登校した奏に変な噂話は立たなかった。

それどころかクラスメイト達は奏の心配をしてくれた。

「大丈夫?」とか「山岸さんとお父さんは別の人格なんだから」とか「気をしっかり持ってね」とか。


「おっす、奏。1週間ぶりの学校はどうだった?」


琴音ことねも気軽に話しかけて来る。


「1週間くらいじゃそんなに変わんないよ」


奏は苦笑する。


「それに」


「それに?」


奏は嬉しそうに言う。


「琴音がノートを持って来てくれたから来週からの期末テストもバッチリよ」


「うーん、アタシとしては武田信玄に塩を送った上杉謙信の心境だねぇ」


琴音は腕組みをしながら眉をひそめる。

しかし、すぐに大きな声で笑いだす。

奏もつられて笑いだす。


「期末テスト、頑張ろうね」


「うん。お互いに」


奏と琴音はガッチリと握手して笑い合った。



研一にとっても1週間ぶりの登校だった。

右腕はもう首から吊ってはいなかったがギブスでガッチリと固定してある。

教室に入って行くと最近よく話すようになった数名のクラスメイトが「まだ痛むのか?」とか「無理すんなよ」と話しかけてくれた。


自分の席に着いた研一の耳にクラスメイトの女子達の笑い声が聞こえてきた。

その中に自分のマンションに授業の内容をまとめたモノを持って来てくれた女子生徒も居た。

研一はゆっくりと席を立って女子生徒達の方へ歩み寄る。


その子も研一が歩み寄って来るのを見て立ち上がる。


「先日は本当にありがとう。とても見やすくて判りやすかったよ」


そう言って研一は丁寧ていねいに頭を下げる。

女子生徒達は無言になって2人を見つめている。

立ち上がった子は固まってしまっている。


「それじゃ」


そう言って自分の席に戻ろうとした研一に固まっていた女子生徒はハッとしたように唇を開く。


「あ、あの」


振り返った研一に女子生徒は意を決したように言葉を発する。


「えっと、あの。・・・これからも良いお友達でいようね」


「うん。よろしくね」


笑顔で返す研一を見て女子生徒は少し頬を染めて「はい!」と力強くうなずいた。


研一が自分の席に戻ると女子生徒達は蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。

その声を聞きながら研一は、こんな事を考えていた。


他人と関わるのも悪くない。

むしろ楽しいかも知れない。

もっと沢山の色々な人と言葉を交わしてみたい、と。





夏休みの終わりまで後、1週間くらいになった頃。



研一と奏はお昼休みを一緒に過ごしたクヌギの樹の下に来ていた。


以前と同じように学校とは反対側の山道から登って来た。


サスガに前回よりも暑かったので2人は何度も休憩をしながら登って行った。

奏はタオルを何枚も用意して来たし、研一はプラスチック製の保冷容器に冷たいスポーツ飲料を4本入れて来ていた。

奏は今日も麦わら帽子を被ってきていて、その姿はとても愛らしかった。


クヌギの樹の下まで来ると奏がビニールシートを広げる。

その上に2人が座り込むと奏は「おやつです」と何かを渡した。

それは、チョコレートバーだった。


「これは、あの時の?」


そう言う研一に奏は嬉しそうに言った。


「良かった。先輩は覚えていてくれたんですね」


「忘れるワケないよ」


そして2人はチョコレートバーにかじりついた。

疲れていた身体に甘いものはとても美味しかった。


今日の雑木林の中はいつもより少し強い風が吹いていた。

爽やかな風に2人は身を任せていた。


「期末テストはどうでした?」


奏が尋ねてくる。


「学年で15位だったよ」


「スゴーイ!テスト直前まで右腕はギブスで固定されてたのに」


素直に驚く奏に研一は笑いながら言った。


「指を動かす訓練は固定されててもやってたからね。君はテストはどうだった?」


「・・・あたしは学年で21位でした」


奏は少し悔しそうだった。


「仕方ないよ。色々あったんだから」


「いえ、事情なんて誰にでもあります。あたしももっと頑張らなきゃ」


そう言ってから奏は研一の顔を覗き込んだ。


「あの、先輩って将来の事とかって考えてます?」


研一はドキッとした。

最近になって考え始めた事はあるのだが。

それはまだ誰にも言ってない事だった。


「えーと、笑わない?」


「先輩の、いえ研一さんの言う事をあたしが笑うワケ無いじゃないですか」


研一は奏の言葉に勇気を貰ったような気がした。


「医者になりたいと思ってる。心療内科しんりょうないかの」


「・・・それって精神を病んでる人達を助けてあげるお医者さんですよね」


「・・・うん」


奏はしばらく黙っていたが両手を握りしめて叫ぶように言った。


「スゴイです、研一さん!研一さんなら立派なお医者さんになれますよ。そして病んでいる人達を助けてあげるんです!」


奏の眼はキラキラと輝いている。


「でも今の僕の偏差値だともっと頑張らないと・・・って、聞いてる?」


しかし、奏は既に自分の世界に入っている。


「それなら、あたしは薬剤師かカウンセラーを目指します」


「何の為に?」


微笑みながら聞く研一に奏はキッパリと言う。


「研一さんのお役に立つ為に決まってるじゃ無いですか」


そう言って奏はビニールシートの上に寝転がる。

研一もその横に寝転がる。

そして、雑木林の中で鳴く野鳥の声や樹々を揺らす風の音に耳を傾けた。


2人は黙ったまま寝転んでいた。

2人の間に会話は無かった。

会話をしない事によって、より2人の絆は深まっていくように感じられた。




「いつか知らないところで あなたとあなたと出会ったの いつか知らないところで

 ひなぎく ひなぎくに埋もれて」


奏は眼をつむりながら何かの歌を口ずさんでいた。


「いつか知らないままに あなたとあなたと別れたの いまはどこ?」


奏は唄い終わると、ふうっとため息をついた。


「ちょっと切ないけど良い曲だね」


「ネットの動画でたまたま聴いたんです。何か耳に残っちゃって」


何て言う曲?って尋ねる研一に、奏は眼を閉じたまま答える。


「えーと、キャンティのうたって言うらしいです。50年以上前のアニメの曲らしいんですけど。あっ!」

 

眼を開いた奏はビニールシートの上で起き上がる。



陽が傾き始めた雑木林の中は黄金色こがねいろの光に包まれていた。



奏はビニールシートから少し離れた場所まで行くと、くるりくるりと回り始めた。



奏の髪が黄金色を反射してあざやかに踊る。


それは奏の髪が奏自身の自己主張をしているようだった。



回り終えた奏は両手を膝について呼吸を整えると研一に向かって微笑んだ。



「どうでした? あたしの髪は踊っていましたか?」



「うん。とてもキレイであでやかだった。本当に美しかったよ」



そう言って研一は奏に近づいて抱き寄せる。



奏は少し頬を染めておねだりした。



「・・・あの。あたしの舌も清めて貰えませんか」



「それは僕らがもう少し大人になってから、だね」



研一は奏にこれまで通りのキスをした。



クヌギの樹はその枝葉をワサワサと揺らして2人を祝福しているようだった。







10年後。



奏の父が造った家は大幅に改築されていた。



庭の半分以上は車が5台ほど停められる駐車場になっていた。



そして玄関は自動ドアになっており看板が掲げられていた。



高見心療内科、と。



その中には忙しくそれでいて充実した顔で動き回っている高見研一たかみけんいち医師と高見奏たかみかなで、薬剤師兼カウンセラーの姿があった。医院の会計と経営は琴音に任せていた。医院は完全予約制で患者の立場で治療をしている研一の評判は良く、限られた人のみに行われる奏のカウンセリングも好評で医院の経営は順調だった。「奏はカウンセリング専門にした方が良い」と琴音はいつも言っている。


そして。


新しい生命の誕生を祝福するように、奏のお腹は誇らしげに大きくなりつつなっていた。







僕の視線の中で踊る君の髪  完


キャンティのうた


作詞 井上ひさし 

作曲 宇野誠一郎

唄  増山江威子





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