第24話 星の1秒 



またたく星の1秒 隠された夢を 今夜は探して・・・

深い眠りにつくのは 素敵に生きた瞬間ときだけ


But I know I know for sure It's no use crying all day long

So I dream a happy dream And dry all the tears that I sheda

Let me whisper in your little ear I'm afaid you'll be amazed

I have to fight and I really fear Tomorr I'll be on my way I'll be alone.....


    バイオリン・ソロ







ショッピングモールでの買い出しの後。



かなで研一けんいち杏子きょうこと同じマンションで正式に暮らす事になった。



親権移譲しんけんいじょうに早くても1ヶ月かかるのと同時に、それ以外の大きな問題があった。


奏の母の実家は今の高校に通うには少し遠かったのである。


季節は梅雨を終え初夏になっていた。


杏子は叔母さんに提案していた。


夏休み明けまで奏を預けさせて貰えないだろうか?

そして、出来れば高校卒業までも、と。

叔母さんは電話口で少し困惑していた。


「そう仰って頂けるのはとても嬉しいんだけど、サスガにそこまでご迷惑をおかけするのはねぇ」


「迷惑だなんて、とんでもありません」


杏子はすっかりその気になっている。


「これから期末テストも始まりますし。奏さんは毎週そちらにお連れします。それに何より」


「何より?」


叔母さんの問いかけに杏子は快活に答える。


「若い女の子が居ると、このマンションがとてもはなやぐんですよ。奏さんはとても良いお嬢さんですし」


「アハハハハ」


杏子の言葉に叔母さんも快活な笑い声で答える。


「それじゃ、お言葉に甘えようかねぇ。アタシらは近い将来、親戚になる可能性も高そうだし」


「はぁ。奏さんがウチの息子に愛想を尽かさなければ、ですけど」


杏子の返しに叔母さんはまた高笑いをする。

それからマジメな声音こわねになる。


「今回は息子さんにも貴女にも大変お世話になりました。息子さんのお怪我の方は如何いかがですか?」


「骨に亀裂が入っただけですから大した事はありません。それどころか奏さんや貴女にもお礼を申し上げなければなりません」


「お礼?」


叔母さんは怪訝けげんな声になる。


「はい。奏さんと出会ってから、あの子は明らかに変わりましたから」


「あぁ、そう言う事ね」


それから叔母さんはまたくだけた口調になる。


「アタシらは何度か経験してるけど。人って言うのはキッカケさえあればどんどん変わって行くからねぇ。良い意味でも悪い意味でもね」


「・・・本当にそうですね」


2人は同じ想いを噛みしめていた。






「うわぁ、スゴイね」


ショッピングモールから帰って来てから2時間。

これまで客室としてしか認識していなかった殺風景さっぷうけいな部屋が「女の子の部屋」として、とても華やかなものに変貌へんぼうした事に研一は感嘆の声を上げていた。

そんな研一の反応を見て、部屋の中にいた奏と琴音ことねはガッツポーズをしていた。


ショッピングモールでの買い物がとても多くて嵩張かさばるモノも多かった為、有料の宅配サービスを頼んだ。

しかし買い物の合計値段がそれなりに高額であった為とマンションまでの距離が短かった事もあって無料ですぐに宅配をしてくれる事になった。

買い物した品物が届いてから研一は「男の人は入っちゃダメです」と奏と琴音から締め出しを喰らっていたのであった。


「それにしても」


研一は部屋の中を見渡した。

カーテンや布団カバーを変えるだけ、机の上に小物を置いたりベッドにぬいぐるみを置くだけでこんなにも変わるものなのか。


いや、違う。


この部屋が客室では無く「奏の部屋」になった事が大きいのだ。

これまでは誰の部屋でも無かった客室に明確な奏と言う所有者が出来た事が大きいのだ。

これからは奏がここで暮らす。その事が、この部屋を変えたのだ。と、研一は感じていた。


「うん? 何だ、アレ?」


部屋の中を見入っていた研一は明らかに女の子の部屋にはそぐわないモノを見つけた。

それはベッドのすぐ横の壁のハンガーに掛けられていた。

どう見ても男物のシャツだった。


「あれって、僕の」


間違いない。

金曜日に奏が初めてこの部屋で寝た時に来ていた研一のシャツだった。

研一の言葉を聞いた奏は恥ずかしそうに黙り込んでしまう。


「そうなんですよ」


琴音がニヤニヤしながら割り込んで来た。


「奏がどうしても掛けたいって。何でも・・うぐっ」


琴音の言葉は途中でさえぎられた。

奏の手に口を封じられたのだ。


「もう、琴音ったら!それは、あたしの口から言うべき事なんだからね」


それから奏は研一に向かって正座すると研一の眼を真っ直ぐに見つめる。

それを見た研一もその場に正座して奏の眼を見つめ返す。

奏は頬を染めながら唇を開いた。


「あの夜、あたしの心の中では様々な感情が渦巻いていました。父の事、母の事、研一さんの事、杏子さんの事。あたしはあたし自身を制御できずに頭がおかしくなってしまうのではないか? と思いました。でも、あのシャツを着てベッドの上で横になった時に驚くほど冷静になれたんです」


研一は黙ったまま奏の眼を見つめている。

琴音に至っては固まったまま動けないでいる。


「ですから、夜中に研一さんに声をかけて自分の感情を素直に爆発させる事が出来たんです。感情は爆発させてしまえば後に残る事はありません。研一さんはあたしの爆発を受け止めてくれましたし。だから、あたしにとってあのシャツはお守りなんです。あたしにとってとても大切な」


そこまで話してから奏は下を向いた。


眼の端には光るものがあった。


「判ったよ。ありがとう」


「・・・え?」


奏は驚いたような顔で研一を見る。


お礼を言うのは、あたしなのに。


と、言いたげな顔で。


「僕のシャツをそんな風に思ってくれたなんて。だから、ありがとう、だよ」


奏の顔が驚きから微笑みに変わる。


「・・・やっぱり、先輩は先輩でした」


そして、奏は研一に抱き着いた。


「ありがとう、ありがとうございます!研一さん!」


「うわっ、と」


研一は驚きながらも優しく奏を抱きしめる。


「はぁぁぁぁぁっ」


2人の後ろでは琴音が大きく息を吐いていた。

どうやら、呼吸をするのを忘れていたらしい。

奏は研一に抱き着きながら、琴音の方を振り返った。


「ありがとう、琴音。あたしが言い出しにくい事のキッカケを作ってくれて」


「うん。ありがとう、琴音さん」


奏と研一からお礼を言われた琴音は、またガラにもなく照れていた。


「いやぁ。まぁ、そうなんですけど」


頭をかく琴音のポニテが揺れる。


「奏の部屋」に3人の笑い声が響き渡った。





「ごちそうさま。これは絶品だったね」


杏子は奏の作った肉じゃがを絶賛した。


時刻は午後7時を回っていた。

今夜の夕食は奏が作った。

奏はドキドキしながら杏子の反応を見守っていたが、ホッとした顔になった。


「コイツの料理も悪くは無いけど、奏ちゃんには料理の天賦てんぷの才があるね」


「あ、ありがとうございます」


奏はしきりに恐縮している。


「その「コイツ」は何とかならないの?」


杏子は研一の言葉は歯牙しがにもかけずに手を差し出す。


「え、何?」


「今日の買い出しの為にアタシが渡した財布だよ。見せてみな」


そう言われた研一はピンクの財布を杏子に渡す。

何故か、その財布はとても嵩張かさばっていた。

奏が買い物をした商品の全てのレシートを入れておいたからである。


杏子はまず残金の確認をする。

それからレシートを1枚1枚チェックして食事をしていたテーブルの上に置いていく。

その眼は研一があまり見た事が無い、仕事をしている会社の役職の眼だった。


全てのレシートをチェックした杏子は奏に話しかける。


「奏ちゃん」


「は、はい!」


奏は料理の時より数倍は緊張していた。

そんな奏に杏子はニッコリと微笑む。


「さっき奏ちゃんの部屋を見せて貰ったけど、この金額であれだけの買い物が出来た事にちょっと驚いている。それと」


杏子はレシートの束を指さす。


「どの商品も通常価格から大小の差はあるけど安くなっている。あそこはショッピングモールだから、言ってみれば色々なお店の複合体だ。これはその色々なお店の特徴を把握していなければ出来ない事だよ」


「はい。あたしは父が出張が多かったので暇つぶしによくあそこに行っていました。それで同じような商品なのにお店によって値段が違う事に気が付きました。ですから今日も「これはあのお店、あれはあのお店」って言う判断がすぐに出来たんです。琴音も状況判断がしっかりしているのでとても助かりました」


ハキハキと答える奏に研一が質問する。


「でも、その頃ってパニック障害などで情緒不安定な時だったよね?」


「だからさ」


奏に変わって杏子が答える。


「非日常の平穏、ってヤツさ」


「はい、そうだと思います。今にして思えば情緒不安定の要因は父だった訳ですから」


奏は杏子の眼を見ながらしっかりとした口調で言う。


「よし、決まり」


杏子はそう言って奏にピンクの財布を渡す。


「明日から我が家の家事と会計は奏ちゃんにやって貰うからね」


「え、えぇ?」


奏はビックリした顔になる。


「買い物は近くのスーパーやドラッグストアですれば良い。奏ちゃんの部屋にもまだ足りないモノがあるだろうからまたショッピングモールで買ってくれば良い。それから研一、アンタの小遣いは奏ちゃんから貰うんだよ」


「えぇ!僕の小遣いも?」


研一は奏とは違う意味でビックリしている。


「あぁ、今は毎月5千円渡してるけど来月からは奏ちゃんから貰うんだ。もし臨時にお金が必要になったら奏ちゃんに交渉するんだよ。奏ちゃん、コイツを甘やかしちゃダメだよ。男ってのは甘やかすと付け上がるからね」


「何だよ、その言い方」


研一の不服そうな声を聞いて杏子は可笑おかしそうに笑う。


「奏ちゃんはアタシが帰って来たら、その日に起きた事を報告してくれたら良い。今は財布の中に5万円くらい入ってるけど足りなくなったら補充するから」


「はい、判りました。でも、どうしてあたしに?」


「決まってるじゃないか」


杏子はマジメな顔で言う。


「奏ちゃんはお客様じゃ無い。ウチの家族になるんだから」


「・・・家族。判りました、頑張ります」


奏は強い決意を秘めた顔で杏子から財布を受け取る。


「あぁ、期待してるよ。研一も甘やかさずにビシビシやっておくれ」


「はい。了解です」


それから、奏と杏子は声を出して笑い合った。

本当の母娘おやこのように。

そんな2人を見ながら研一は「お手柔らかにお願いします」と小声で言っていた。





翌日。


奏は朝の6時に起きると3人分の朝食を作った。

豆腐の味噌汁と目玉焼きと納豆だったが、研一と杏子から「美味しい」と言われた奏は嬉しそうだった。

杏子が出勤すると奏は猛然もうぜんとマンション内の掃除を始めた。


杏子は仕事はかなり出来るタイプで土日も人と会う事が多かったので、これまでは家事は研一に任せきりだった。

研一も掃除はしていたが、特に神経質にするタイプでは無い。

綺麗好きれいずきな奏にとっては、このマンションは掃除を楽しむ格好の場所だった。


研一が「僕も手伝おうか?」と言っても奏は「これは、あたしの仕事ですから」と言って手出しをさせない。

まるで「あたしの楽しみを奪うのか?」と言わんばかりに。

奏は身体を動かす事によってこれまでのトラウマ、特に父親から受けたものからの脱却をはかろうとしているようだった。それも楽しみながら。


研一は杏子が自分に1週間の休学届けを出したのは奏のケアをする為だと理解していたので、奏の好きなようにさせておいた。

何より掃除をしている奏は生き生きとして、とても楽しそうだったから。

身体を動かすたびに奏の髪も躍動して踊っているように見えたから。


ありあわせのもので昼食を済ますと奏は「楽しみはとっておきたいので」と言って掃除は止めて、自分の部屋の中の事を細々こまごまとやり始めた。

研一も期末テストが近いので自室で勉強をする事にした。

そして、午後4時過ぎになると琴音がやって来た。


琴音はその日の授業の内容をまとめたノートを持って来てくれた。これを奏が休学中に毎日してくれるらしい。

この時は研一も奏の部屋にお邪魔して3人で笑いながら話をした。

そして、琴音が帰る時には研一と奏も一緒にマンションを出て琴音を見送ってから2人は手を繋いで近くのスーパーに夕食の買い物に行った。


こんな穏やかな日が続いた木曜日の午後4時過ぎ。


いつものように3人で話をしていると玄関のチャイムが鳴った。

研一が「こんな時間に誰だろう?」と玄関に向かう。

玄関横の小型の液晶パネルに3人の女の子が映っていた。


その女の子達には見覚えがあった。

研一のクラスメイトだ。

その中の1人が意を決したように言った。


「・・・あの、いきなりお邪魔してしまってすみません。その、高見君に渡したいものがあるのでお伺いしてもよろしいでしょうか?」


「渡したいものって?」


その子はガサゴソと肩下げカバンから数枚のクリップでまとめられた書類のようなモノを取り出す。


「今日の授業で先生が「ここはテストに出るかも知れないぞ」と仰っていたので、その授業の内容をまとめたものを高見君にも届けなきゃ、って思って」


「えっ、僕の為にわざわざ?」


「・・・はい」


その子の声は消え入りそうだった。


「ありがとう。今はマンションの中はちょっと散らかってるから、玄関でも良いかな」


「はい。構いません」


研一はマンションのエントランスのロックを解除した。


「ガラスの扉が開いたら僕のマンションの部屋まで来てチャイムを押してね」


それから研一は玄関を見渡して奏と琴音の靴を隠した。

妙な誤解を招きたくは無かったからである。

しばらくすると再びチャイムが鳴った。液晶パネルでさっきの3人である事を確認して研一はマンションの扉を開けた。


「せっかく来てくれたのに玄関でゴメンね」


「いえ。わたし達もこれを持って来ただけですから」


玄関に入って来た3人組の1人がクリップでまとめられたものを研一に渡す。


「ありがとう。でも、何でわざわざ僕にこれを?」


研一が尋ねると、その子は真っ赤になってうつむいてしまった。

後ろの2人が「しっかり」とか「勇気を出して」とか言って励ましている。

真っ赤になった女の子は意を決したように前を向く。


「・・・その、最近クラスでは高見君がよく話題になっているんです」


「えっ、僕の事が?」


研一はちょっとビックリした。


「・・・はい。最初の頃はクラスの人ともあまり接点が無かった高見君が最近では皆と良く話すようになって良く笑うようになって。そして高見君がとても気遣きづかいが出来る良い人だってクラスの皆の共通認識になって。わたし達も高見君とは何度か話した事があるんですよ。その時に見た高見君の笑顔がとてもステキだなあ、って」


これを聞いて研一は本当にビックリした。

奏と出会ってコミュ障が改善して来た事は自覚していたけれど。

そして、この子が此処ここに来た理由も理解してしまった。


「ありがとう。でも今の僕には正式にお付き合いしている子がいるんだ。ごめんなさい」


そう言って研一は頭を下げた。

それを聞いた後ろの2人は「やっぱりかぁ」とか「ドンマイ」とか言って励ましている。

さっきまで真っ赤になっていた女の子は今はとても晴れやかな顔をしている。


「そんな、謝らないで下さい。これからも良いお友達でいて下さい」


そう言ってペコリと頭を下げると後ろの2人も頭を下げた。

そして、3人は玄関を出て行った。

その後、研一は奏と琴音と一悶着ひともんちゃくあったのだがここでは割愛させて頂く。





そして、土曜日。


研一と奏と杏子は奏の母親の家に来ていた。

杏子がレンタカーで連れて来たのだ。

ここで杏子と奏の叔母さんとの間には意外な接点があった事が明らかになるのだが、それはまた別の機会に。


叔母さんは杏子に「アンタも泊まっていきなよ」と盛んに言っていたが「明日は大事な予定がありますので」と丁寧にお断りをした。

しかし、研一には「アンタはお世話になりなさい」と言って帰ってしまった。

久しぶりに会う奏の母親は前に会った時よりも顔色も良く、確実に良化しているようだった。


奏の母と叔母さんから何回もお礼を言われた研一はすっかり恐縮してしまって「僕は奏さんの為に当たり前の事をしただけです」と少し赤面しながら話していた。

奏はそんな研一を頼もしそうに嬉しそうに見ていた。

そして、奏の母はそんな奏を嬉しそうに慈しむように見ていた。



日が落ちると空には幾つかの星々が見えた。


「でも珍しいですね。七夕しちせきの日に星が見えたなんて」


そう、今年の七夕の日は晴れて星が見えたのだ。



奏の母はゆったりと微笑む。


「この子が幼い頃には、天の川も見えたんですけどね」


「あっ、先輩。あれがベガとアルタイルですよ」



奏が無邪気に大きな声を出す。


「あぁ、そうだね」


奏はそっと研一に寄り添う。


「まるで、あたし達みたいですね」


「そうだね。でも僕らは年に一度じゃない。ずっと一緒だよ」



研一は左手で奏の肩を引き寄せる。


奏は研一の肩に頭を乗せる。


ときおり吹く風が奏の髪を躍らせる



「今、見えている星は地球から何10光年も何100光年も離れている。あの星はもう存在しないかも知れないのに光だけが宇宙を旅してるんだね。1秒で約30万kmも」



奏は無言だった。




今は、その1秒が永遠に続けば良いと願っていた。






その時だった。




叔母さんが血相を変えて飛び込んできた。





「アイツが。あの男がコカインの不法所持で逮捕されたよ!」








つづく 


星の1秒


作詞  三浦徳子 KINGREGUYTH

作曲  井上大輔




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る