第21話 負けるもんか


       テナー・サックス前奏


あの娘と間違えて慌ててるの? 待ち焦がれてたよに 聞こえてくる

もう真夜中しゃがれた声が 一度目のベルさえ鳴り終わってないのに 


        ギター間奏


近くまで来てるのよ泊めてくれる? いきなりで悪いけど帰れないの

ねェ いいでしょ コインが無いわ 詳しく話すから着替えでも捜してて


あぶないぜ あぶないぜ ah

負けるもんか 負けるもんか

いけないぜ いけないぜ ah

負けるもんか 負けるもんか


無理でしょ きっと泊めるわ 扉を そっと開けるわ

ぐらついたパッション つけこんでモーション 勝てるもんか







「判った、すぐ行く!待ってろ!」



そう言うと研一は台所を飛び出そうとする。



「お待ち!」



杏子の声が響く。


「その子の家はここから近いのかい?」


「全速力で走れば15分で着ける」


研一の答えを聞いた杏子は壁に掛けていたスーツの上着から車のキーを取り出す。


「アタシが車を出す。その子の住所を教えな。アンタは駐車場に行ってエンジンをかけるんだ」


そう言って車のキーを研一に投げる。

キーを受け取った研一はかなでの住所を告げると駐車場へと走る。



ブロオォォン



研一が車のエンジンをかけると、すぐにスーツの上着を羽織はおった杏子が走って来た。

研一が助手席に移ってシートベルトを締めると杏子は運転席に飛び乗ってシートベルトを締める。


「行くよ!」


杏子の声と共にダークグリーンのカプチーノは夜の街に飛び出した。


「母さんは奏の家を知ってるの?」


「スマホで道順は頭の中に叩き込んだ。飛ばすよ」


杏子の声と共にカプチーノのターボエンジンがうなりを上げる。

3分後には奏の家の前に着いていた。

かなり荒っぽい運転であった事は言うまでもない。


「じゃあ、奏を助けに行って来る」


研一は険しい顔つきでカプチーノから降りる。


「ムチャはするんじゃ無いよ。アタシはここで待機してるから」


杏子の声に研一は頷いて玄関へと向かう。

鍵がかかっていたが研一が暗証番号を入力すると扉は開いた。

研一は家の中に入って行った。



ドンドンドン



ドアを蹴る音が2階から聞こえる。

どうやら、父親はまだ奏の部屋には入っていないようだ。

少し安堵した研一はゆっくりと階段を昇る。


「・・・・・!」


そこで研一が見たモノは異様な光景だった。

奏の父親らしき細身の男性が娘の部屋のドアを蹴っている。

周りには花瓶の破片らしきものが散乱している。


そのドアの蹴り方はドアを破壊しようという程のモノでは無い。

部屋の中にいる娘を精神的に痛めつけようとするような蹴り方だ。

奏を自分の娘を精神的に追い詰めて屈服させよう、としているのだろう。


そして、その眼。

奏の母が言っていた「獲物を狙う蛇のような眼」とは、この事を言っていたのだろう。縁なしメガネの奥のその細い眼は狂気に満ちたドス黒いモノに見えた。

研一は悪寒おかん戦慄せんりつを感じた。


人間がこのような眼が出来るのか、と。


それと同時に研一は信じられないモノを見る。

父親の手に絡み着いている長い髪の毛。

あれは奏の髪だ。


この父親は娘の髪を掴んで引きちぎったのか。


戦慄と共に研一の中には激しい怒りが込み上げて来た。

実の娘に、自分が愛する女性に対するこの仕打ち。

許せない、絶対に許せない!


「うおぉぉぉぉ!」


研一は父親に向かって突進した。

父親は研一を確認したが「何が起きているのか判らない」と言う表情だった。

研一は突進した勢いそのままに肩から父親にタックルした。


長身だが細身の父親は吹っ飛ばされた。

そのまま廊下に倒れ込んで呻き声を上げている。

研一は急いで奏の部屋のドアを叩いた。


「奏!僕だ、研一だ。鍵を開けてくれ!」


しかし、ドアの中からの反応は無い。

研一はジーンズのポケットからスマホを取り出し奏に電話する。

頼む、出てくれ。


ドアの外からでも奏のスマホの着信メロディが聞こえる。

しかし、奏が出る様子は無い。

留守電に切り替わってから、研一は再び電話する。それと同時にドアを叩く。


「奏!スマホに出てくれ!」


研一は祈るように叫ぶ。

すると何回目かのコールの後、やっと奏がスマホの着信をタッチした。

しかし、奏の様子がおかしい。


「・・・もしもし、先輩ですか? あれ? 今日はあたしから電話する日じゃ」


奏は父親からの肉体的と精神的な苦痛によって一時的に現実逃避をしているようだ。


「しっかりしろ、奏!これは現実だ。そして、僕はここにいる!」


研一は叫びながらドアを叩く。

奏は、ハッとしたように顔を上げる。

そして慌ててスマホにかじりつく。


「先輩!本当に来てくれたんですね・・・嬉しい、嬉しいです」


奏の声は涙ぐんでいる。


「あぁ、そうだよ。だから早くドアの鍵を開けてくれ」


「あっ!はい」


奏は急いでドアの鍵を開けてドアを開け放つ。

そこには最愛の人が立っていた。


「先輩、いえ研一さん!本当に来てくれたんですね」


奏は涙をあふれれさせながら研一に抱き着く。

研一はそんな奏をしっかりと抱きとめる。


「言っただろ? 助けに来るって」


そう言って奏に笑顔を見せる。


「・・・ありがとうございます!本当に、本当に」


「お礼を言われるのはまだ早い。早く、ここから逃げないと」


研一に言われて奏はまた、ハッとした顔になる。


「父は、お父さんは?」


研一は無言のまま倒れている父親の方を見る。

父親はうめき声を上げながら立ち上がろとしている。


「・・・なんだ? 誰だ、お前は?」


そう呻きながら上半身を起こす。

その顔は怒りと狂気の為か凄まじい表情になっている。


「奏から、私の大切な所有物から離れろ!」


「お父さん!」


奏は泣きながら叫ぶ。


「とにかく早く下へ降りよう」


研一は冷静に奏に言う。

奏は何かを言いかけたが、うなずいて研一の指示に従う。

しかし、その足元はヨロヨロとしておぼつかない。


研一はそんな奏を支えるようにして階段を下りて行く。

一歩一歩、確実に。

2人が階段を下り終えて居間に着いた時、階段の上の方から足音が聞こえて来た。


「・・・お父さん」


奏がつぶやく。

その声には様々な感情が入り交じっているようだった。


「とにかく今はこの家から離れよう。僕の母さんが車で待っている」


「でも、お父さんを」


研一は奏につとめて冷静な声で言う。


「今の君のお父さんはマトモじゃない。君にだって判っているだろ?」


研一の声に奏は黙ってうつむいてしまう。


「今はこの家から離れるんだ。母さんの車に乗ってくれ。ぐわっ!」


右腕に激痛が走って研一は居間の中に倒れ込んでしまう。


「研一さん!」


奏の悲痛な声が響く。

倒れた研一の後ろにはゴルフのドライバーを持った父親が立っていた。

ハァハァと荒い息を吐きながら。


「僕に構うな!母さんの車に乗れ」


そう言って研一は奏を玄関の方へ突き飛ばす。

そんな研一のすぐ横に何かが振り下ろされる。



グシャッ



鈍い音と共にドライバーのヘッドが居間の床にめり込む。

もし、これが自分の頭に当たっていたら。

研一の額から嫌な汗が噴き出す。


「辞めて下さい!貴方は人殺しをするつもりですか」


研一の叫び声に奏の父親は不思議そうな顔をする。


「・・・お前は何を言っている? 私は私の可愛い所有物にしつけをしていただけだ。お前こそ何物だ」


しばらく考え込んでいた父親はより一層、狂気に満ちた眼になった。


「そうか、お前だな。奏に余計な事を吹き込んだのは」


そう言ってドライバーを振り下ろす。

研一は激痛が走る右腕を押さえながら、それをかわす。


「余計な事なんかじゃ無い。貴方は奥さんにした事を娘にもするつもりですか!」


研一の言葉に父親は激昂げきこうする。


「許さん、許さんぞ!お前は奏と乳繰ちちくり合って奏の純潔を奪ったんだな。奏の純潔は所有者である私が散らせる筈だったのに。私の所有物に勝手に手を出しおって。絶対に許さんぞぉ!」


父親のとても正常とは思えない言葉を聞きながら、研一は不思議なほどに冷静になっていた。

そして、そんな研一の心に浮かんだ言葉はただ1つ。



負けるもんか。



女性を、自分の妻と娘を自分の所有物だと言い切る異常な思考。

相手の人格を全く考慮しない、その傲慢ごうまんさ。


こんな男に絶対に負けるもんか!



「あんたの奥さんと娘さんはあんたの所有物なんかじゃ無い。ちゃんとした人格を持った、あんたとは対等の存在だ。それが何故、理解できない?」


「黙れぇぇぇ!」


父親はもはや錯乱状態になっていた。

ドライバーを滅茶苦茶に振り下ろして来る。

研一はそれをかわしながら言葉を続ける。


「あんたがその異常な思考を持った事には何らかの要因があるのかも知れない。あんたもつらい思いをしたのかも知れない。でも、だからと言って同情はしない。あんたが奥さんや娘にした事は決して許されるものでは無い。あんたは罪を認めて贖罪しょくざいすべきだ」


「他人の家庭に口を出すなぁぁぁ!」


父親は半狂乱になってドライバーを振り回している。

それをかわしていた研一だったが激痛が走る右腕を押さえている事でバランスを崩してしまった。


「ちっ」


研一は居間の床に倒れ込んでしまった。


「言いたい事はそれだけか? 小僧」


少し冷静さを取り戻したかのような父親の声。

ドライバーを振り上げたまま、ゆっくりと研一に近づいて来る。

咄嗟とっさに身体を起こした研一は左腕で頭部を防御する。


その時だった。



ガシャァァン



花瓶が割れるような音が居間に響き渡る。

顔を上げた研一の眼に倒れている父親の姿が入り込んで来る。


そして。


その後ろで真っ青な顔をした奏の姿も。




「奏!」


「研一さん、大丈夫ですか?」


奏は血の気が引いた顔のまま、研一を支える。


「君がお父さんを?」


「はい。あたしは研一さんが殺される、と思いました。それで頭が真っ白になって」


奏はそう言うと顔を伏せる。


「それで、無意識のうちにお父さんを花瓶で殴っていた。と」


「・・・はい。そうみたいです」


研一は右腕を押さえながら父親に近づく。

父親は眼を閉じて倒れていた。

手首で確認したが脈はあるし呼吸も正常だ。


「・・・研一さん。どうしましょう?」


奏の声は震えている。


「ちょっと待って。母さんに連絡する」


不安気な奏の肩に激痛が走る右手を置いてスマホで杏子に連絡する。

すると、すぐに杏子が居間にやって来た。


奏に軽く会釈をしてから父親の元に駆け寄る。

首の頸動脈に触れてから閉じている眼を開いてスーツから取り出したペンライトで瞳孔どうこうを確認する。

それから後頭部に損傷が無いかの確認をする。


「大丈夫だよ、奏ちゃん。気絶しているだけだ。しばらくすれば意識は戻る」


「・・・あの救急車を」


奏の震える声を杏子がさえぎる。


「今は呼ばない方が良いだろうね。この部屋を見られたら何らかの事件性を疑われる。それは山岸さんにとっても都合の悪い事になるだろうからね」


杏子は震えている奏の両肩に優しく手をかける。


「アタシは大学では医学部に在籍してたんだよ。多少は医学の心得もある。大丈夫、奏ちゃんのお父さんは一時的に意識を失ってるだけだから」


そう言ってから研一の方を振り向く。


「アンタの方は大丈夫かい? あまり大丈夫じゃ無さそうだけど。嘔吐感おうとかんはあるかい?」


「いや、それは無いけど。かなりの痛みはあるな。ツッ!」


それを聞いた杏子は「ちょっと待ってな」と言ってスマホで誰かと喋り始めた。

呆気にとられたように杏子を見ていた奏は研一に寄り添う。

研一の右腕を心配そうに見つめてから奏は尋ねた。


「研一さん。あの方は研一さんのお母様ですよね?」


「うん。息子よりも君の事を心配する母親だけどね」


研一は苦笑交じりに言う。


「あたしの肩に手をかけて下さった時、とても温かいものを感じました。それで、あたしの心は落ち着きを取り戻したんです。先輩が仰っていた通りでした」


奏はしみじみと話し続ける。


「うん? 僕は何か言ったっけ」


「言いましたよ、あたしの叔母さんに似てるって。ホントにそうだなぁって、あたしも思います」


そう言って奏はクスッと笑う。

研一はずっと青ざめて引きつったような表情をしていた奏が笑ってくれた事が嬉しかった。研一は右腕の痛みも忘れて左手で奏を引き寄せた。

2人はお互いの体温と魂を感じ取っていた。


「よし、行くよ」


スマホをしまった杏子が言った。


「行く、って何処に?」


研一が尋ねる。


「アタシの知り合いの整形外科医。今、電話をしたらアンタの腕を診てくれるってさ。それから奏ちゃん」


杏子はさとすように奏に言う。


「アナタの気持ちも判るけど今はこの家に居ちゃいけない。アタシらと一緒に来るんだ。良いね」


杏子の言葉にゆっくりと奏は頷く。


「よし。それじゃあ、ズラかるよ」


そう言って杏子は奏の背中に手を回してカプチーノへと向かう。


「ちょ、ちょっと母さん。カプチーノは2人乗りだよ?」


慌てて2人の後を追う研一は杏子に問いかける。


「ガタガタうるさい子だねぇ。助手席でアンタが奏ちゃんを抱っこするんだよ」


そう言いながら既にカプチーノのエンジンをかけている杏子だった。






2時間後。



3人は研一親子のマンションの中に居た。


途中で寄った杏子の知り合いの整形外科医で研一は右腕を診てもらった。

骨に亀裂がある、との事で全治2週間と診断された。

痛み止めの注射をうたれた研一の右腕は石膏せっこうで固められた。


研一の治療の間に奏と杏子は色々な話をした。

杏子は細かい事は聞かずに、今後の事を2人で話し合った。

奏が精神的なダメージを負っている事を知っている杏子は深刻にならないように時々、冗談を交えながら話した。

その結果として2人は楽しく話をしている本物の母娘おやこのように見えた。



「叔母さんからの連絡がありました。父が母の実家に電話をしたそうです」


奏が杏子に告げた。


「よっしゃ、頃合いだね」


杏子が返す。


そんな杏子を石膏で固めた右腕を首から包帯で吊った研一が見ている。

研一は心の中で呟いた。

何か、母さん。楽しんでない? と。


杏子はスマホを取り出して何処かに電話している。

しばらくすると相手が出た。


「もしもし、山岸ですが。高見さん、こんな時間に何のご用件でしょうか? 仕事上のお話しなら後日、改めて」


「単刀直入に申しましょう。娘さんは、奏さんはアタシが保護しています」


電話口での相手の口調が変わる。


「何だと!それは、どう言う事だっ!」


「山岸さん、それが取引先に対してのお言葉でしょうか?」


杏子は全く動じずに、やんわりと返す。


「・・・失礼しました。しかし、意味が判りません。どうして私の娘を?」


「あの家でアナタと一緒に暮らすのは危険だ、とアタシが判断しました」


相手の口調が冷たいモノに変わる。


「ますます理解できませんね。それが本当なら貴女がした事は誘拐ですよ」


「それなら、アナタは傷害及び殺人未遂となりますね」


相手の口調が混乱してくる。


「は? 私には貴女の仰っている事はサッパリ」


「単刀直入に申し上げましょう」


杏子が畳み掛ける。


「先ほどアナタがドライバーで殴りつけたのはアタシの息子です」


「なっ!あの小僧が高見さんの・・・」


相手は明らかに動揺している。


「はい、その小僧は全治2週間と診断されました。どうしましょうか? 今すぐにでも警察に通報した方が宜しいでしょうか?」


「ちょ、ちょっと待って下さい。私がやったと言う証拠はあるのですか?」


杏子は更に畳み掛ける。


「本人の証言があります。それに娘さん、あぁ奏さんでしたね。彼女が一部始終をスマホで録画していてくれました。ドライバーで小僧に殴りかかるアナタの勇ましい姿がバッチリと確認できますよ」


「・・・・・」


相手は無言になる。


「未成年者をドライバーで殴りつける大手物産の若きエリート部長。マスコミの格好のネタになりますね。そして、その部長さんの社会的地位はどうなってしまうのでしょうか?」


杏子は芝居がかった声音を出す。


「・・・そちらの要求は何ですか?」


「は? 声が小さくて聞こえなーい」


「そちらの要求は何ですか!」


杏子は真面目まじめな声になる。


「学校に奏さんの休学届けを出して下さい。期間は2週間ほど。理由はお任せします。それと」


杏子はドスの効いた声になる。


「奏さんとアタシ達、それと離婚した奥さんの御実家に一切関わらない事。電話もダメです。これがアタシの絶対条件となります」


相手は観念したような声を絞り出す。


「・・・了解いたしました。それでは失礼いたします」


そして、電話は切れた。




「こんなモンかねぇ」



杏子はスマホを見つめて呟く。


「うん。僕はアレで良いと思うよ」


研一は満足そうに言う。


「あの、あたしは動画を撮ったりしてませんけど」


奏は不安そうな声を出す。


「良いんだよ。あの手の男は攻撃するのは得意だけど自分が攻撃されるともろいんだよ。今頃はビビりまくってるだろうさ」



「それにしても」


研一は思い出したように話し出す。


「母さんが医学部に在籍してたなんて知らなかったよ」



それに対して杏子が答える。


「そうかい? アタシも初耳だね」



そんな杏子を見て研一と奏は顔を見合わせる。



そして、クスクスと笑い出すのであった。








つづく


負けるもんか


作詞・作曲 いまみちともたか

編曲    バービーボーイズ

唄・演奏  バービーボーイズ





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る