第20話 茜さす帰路照らされど



何時もの交差点で彼は頬にキスする

また約束もなく 今日が海の彼方に沈む


ヘッドホンを耳に充てる アイルランドの少女が歌う

夕暮れには切な過ぎる 涙を誘い出しているの?


振り返る通りを渡るひとに見惚れる

また約束もなく 彼がビルの彼方に消える


ヘッドホンを耳に充てる ファズの利いたベースが走る

夕焼けには切な過ぎる 涙を誘い出しているの?

今の二人には確かなものなど何も無い

たまには怖がらず明日を迎えてみたいのに


I PLACE THE HEADPHONES ON MY EARS AND LISTEN

SOMEONE SINGS A SONG. I FEEL SO BLUE NOW DARLIN' PROMISE ME

PLEASE TELL ME SOMETHING WORDS TO SOOTHE

I DON'T WANNA CRY I DON'T WANNA CRY







次の日から本降りの雨の日が続いた。




研一とかなではお昼休みを雑木林で過ごす事は出来なくなった。


その代わりに2人は夕食後にお風呂に入ってからスマホで話すようになった。


幸い2人とも同じ会社のスマホだったので割引きで通話料金もかなり安くなっていた。


最初は奏が「あたしの方から掛けます」と言っていたのだが研一はそれを固辞こじした。


奏のスマホの使用料金は彼女の父親の口座から引き落とされる。


研一はそれが嫌だったのである。


それなら、と言う事で交代で掛ける事にした。

今日は水曜日だから研一の番だ。

時刻は午後8時。

少し早いかな? と思ったが研一は「奏ちゃん」と書かれたスマホの画面をタッチした。


「先輩!こんばんはぁ」


タッチしてコールの1回目が鳴り終わらないうちに奏の元気な声がした。


「こんばんは。少し早いかな? と思ってたんだけど」


研一は少し苦笑しながら言った。


「だって今日は先輩から掛けてくれる日じゃないですか。ちゃんとスタンバイしてましたよ」


「スタンバイって。ちゃんとお風呂には入ったの?」


すると奏がむくれたように言った。


「当たり前じゃ無いですか。ってシャワーだけですけど」


研一はからかうように言った。


「ダメだよ。ちゃんと身体の隅々まで洗わないと」


「・・・先輩。それ、セクハラです」


奏は少し声を低くして言った。


「ゴメン、ゴメン。でも湯船にはしっかり浸かって身体の疲れをいやさないとね」


「ハイ、了解です。ふふっ、やっぱり先輩は優しいですね」


さっきとは打って変わった奏の嬉しそうな声が響く。


研一は思った。

こういうのをバカップルって言うのかな? と。

少し気を取り直して研一は会話を続ける。


「昨夜、君と話してから君の叔母さんともスマホで話したんだよ」


「そうなんですか? 叔母さんとは連絡を取り合って下さっていたんですね。ありがとうございます」


奏の声が嬉しそうだ。

そして、奏は言葉を続ける。


「叔母さんとはどんな話をしたんですか?」


「それがね、君にはまだ言って無かったけど」


研一はスポーツ飲料を一口飲んで話を続ける。


「僕の母がつとめている会社が君のお父さんの取引先の1つだったんだ。母はその会社では役職にいていてね。君のお父さんとは面識があったんだよ、僕らが出会うずっと前から」


「・・・そう、だったんですか。何か色々とスゴイですね」


奏も驚いているようだ。


「それで、その事を叔母さんに話したらね「それはかなり強力な切り札になるよ。アイツには会社内で不利になる事が1番効き目があるからね」って笑ってたよ」


研一が笑いながら言うと奏もコロコロとした笑い声になる。


「ふふ、叔母さんの笑顔が目に浮かぶようです。・・・先輩、ありがとうございます」


奏の声は最後の方はしんみりとした口調になった。


「え? どうしたの?」


研一は少し慌てて問いただす。


「・・・あたしの為に色々と動いて下さって。本当に感謝しています」


奏の切実な声は、それが奏の本心である事を如実にょじつに物語っている。


「お礼なんて言わなくても良いよ。これは僕の為でもあるんだから」


「え? どう言う事ですか?」


奏の問いかけに研一は大真面目おおまじめに答える。


「だって僕にとって1番大切な人の役に立てるんだから」


奏はそれを聞いてしばらく無言になる。

そして、恥ずかしそうな声で答える。


「・・・先輩って、ホントにそう言う事を平然と言いますよね」


「だって、ホントにそう思ってるんだから仕方ない」


その研一の態度に奏は吹き出しそうになる。


「今の先輩はスゴク女の子にモテると思います。優しくて相手の人を思いやる心を持っていますから。でも、あたしの手は離さないで下さいね」


「それは僕のセリフだよ。君のように可愛らしくて素直な心を持った子には男どもが群がって来るから。どうか僕の手を離さないで下さい」


この研一のセリフから2人は爆笑するのであった。




翌日の夜。


午後8時を過ぎても奏からの電話が無い。

心配になった研一の方から電話をしても「ただいま通話中です」と言う音声が流れて来るだけだ。

誰と話しているんだろう? と研一がいぶかしく思っていると9時過ぎに奏からの着信メロディが鳴った。


「研一だけど何かあった?」


すぐに電話に出た研一だが奏は無言だ。


「もしもし? 本当に何かあったの?」


心配する研一に奏が反応する。


「・・・先輩」


その声はとても小さくて重いものだった。


「どうしたの? 誰と話していたの?」


「・・・父と話していました。父が明日、家に帰って来るそうです」


研一は納得した。

とうとう、この日が来たのか。

と。


「先輩、あたしは・・・」


奏は今にも泣き出しそうな声になっている。


「ちょっと待って。その事は明日、直接会って話そう」


「明日、ですか?」


奏がすがるような声になっている。


「うん、予報だと明日の午後には雨が上がるみたいだから。校門で待ち合わせをして一緒に帰ろう。大切な話だから直接、会って話そう」


「・・・校門で待ち合わせ? それだと皆にアベックだと思われてしまいますけど」


奏の不安そうな声に研一はキッパリと答える。


「構わない。君と僕は恋人同士だ、と胸を張って皆に言いたいくらいだから」


「・・・先輩」


奏の声が涙声になる。


「ありがとう、ありがとうございます先輩。いえ、研一さん」


奏は涙声ながらも嬉しそうである。


「僕は君の手は絶対に離さない。だから、君も泣いてないでお父さんとちゃんと向き合って欲しい」


「はい。判りました」


奏の声が大きくなった。

覚悟を決めてくれたように感じられた。

その事が研一にはとても嬉しかった。


「それじゃ、明日の帰り道でしっかり話をしよう。この事は君のお母さんや叔母さんにも伝えた方が良いと思うけど」


「それは、あたしの方から伝えておきます。ありがとうございます」


奏の声に張りのようなものが感じられた。

その声は、もう泣いてはいなかった。

研一は自分も覚悟を決める時だ、と実感した。


「お父さんは明日の何時頃に帰って来るの?」


「お昼過ぎには家に着くようです。それで久しぶりに2人で外食をしよう、と言われたんですけど断りました。あたしの手料理を食べてくつろいで、って言いました」


「良い判断だったね。君の自宅なら何かあった時に僕がすぐ駆けつけるから」


研一の言葉に奏は心底、嬉しそうに言った。


「はい。それでは他にお話したい事もあるのですが、明日お話しますね」


「うん、そうしよう。僕は勿論もちろんそうだけど、君も気持ちをしっかりと持ってね」


奏は最後は、しっかりとした声になっていた。


「それでは、これから叔母さんに連絡しますから。明日、先輩と会えるのを楽しみにしています」


「僕も君と会えるのを楽しみにしてるよ」


奏は「それでは、明日」と言って通話を切った。

これから叔母さんに連絡するのだろう。


いよいよ明日か。

研一は不安におちいりそうな自分をふるいい立たせようとした。

本当に覚悟を決める時が来たのだ、と。





翌日の放課後。


研一が校門に向かうと奏は既に校門の隅で待っていた。

隣には同じ色のスカーフをしたポニーテールの少女が立っている。

利発そうな眼をした如何いかにも活発そうな少女だった。


奏の友達かな? と思いながら研一は2人の方へ歩いて行った。

そして、2人の前に立つと奏に声をかけた。


「やぁ、リアルではお久しぶり。それから」


研一はポニーテールの少女の方を向いた。


「こちらのかたは初めまして。高見研一です、2年1組です」


そう言って頭を下げた。


「あ、いえ。ご丁寧にありがとうございます」


そう言ってポニーテールの少女もピョコンと頭を下げた。


「先輩、お会いできて嬉しいです。この子は」


奏はそう言ってポニーテールの少女の方を見る。


「あたしのクラスメイトの琴音ことねです。とてもしっかりしているクラスの人気者です。あたしも色々な相談に乗って貰っています」


「初めまして、琴音と申します。奏から高見先輩の事はうかがっております。よろしくお願いいたします」


そう言って琴音はさっきよりも深々と頭を下げた。


「こちらこそよろしく。奏がいつもお世話になっております」


そう言って研一も頭を下げる。

そんな2人を見て、奏はクスクスと笑っている。


「先輩も琴音も頭を上げて下さい。それじゃ、話が出来ませんよぉ」


「何、言ってんのよ。初対面の先輩なんだからキチンとした挨拶をするのは当たり前でしょうが」


そう言って頭を上げた琴音が奏を横目でにらむ。


「だってぇ、琴音ったらあんなに深く頭を下げるんだもん。頭と脚がぶつかるか、と思ったわよ」


「何だと、このぉ」


そう言った琴音だったが、研一が忍び笑いをしてるのに気づいて慌てて姿勢を正す。

その顔はちょっと赤面している。

研一はそんな琴音を見て嬉しそうに言った。


「良かった。奏にこんな良い友達がいてくれて」


「あ、いえ。そんな」


琴音はガラにも無く照れている。

しかし、琴音は照れながらもキッパリと言った。


「奏から高見先輩の事は伺っておりましたが、アタシの想像以上の方でした。奏の事、よろしくお願いします」


「なんか2人とも、あたしの保護者みたい」


ちょっと不満そうな奏の発言に、その場が笑いに包まれた。


「それじゃ、琴音さん。今日は奏と大切な話がありますので失礼しますが、また3人で何処かに遊びに行きましょう」


「はい、アタシがお邪魔虫で無ければ喜んで。うーん」


考え込んでしまった琴音に奏が不思議そうに尋ねる。


「どうしたの、琴音?」


「こんな事を言ったら失礼だとは思いますが、先輩とは初対面という感じがしないんです」


それを聞いた研一も頷く。


「僕もそう思った。何て言うのかな、琴音さんとはずっと前から知り合いのような感じがして」


「それは2人が似ているからだ、と思います」


奏がそう結論づける。


「あたしは前から思ってました。先輩と琴音には同じ雰囲気がある、と」


「それって、どう言う事?」


思わず奏に質問する琴音に奏は笑って返す。


「ゴメン、話すと長くなるから。また今度話すね」


「あっ、そうだね。今日は大事な話があるんだよね」


琴音はサッと身を引く。

こういう機転がすぐ利くのが琴音の良い所だ。

研一も感心する。


「それじゃ、琴音。また、月曜日に」


「失礼します。琴音さん」


そう言って研一と奏は右手にある細い道の方へ歩きだす。


「ハイ。奏、また話せる範囲で話そうね。先輩、奏の事よろしくです」


琴音は笑顔で大きく手を振っている。

研一と奏も笑顔で手を振り返す。

雲の切れ間からは太陽の光が2人の歩く道を照らしている。


2人は無言のまま歩いていた。

10分ほど下るとお稲荷様のおやしろがある。

研一が先になって2人はお稲荷様のお社に向かって細い道に入って行った。


「やっぱり1人じゃ心細かった? って、うわ!」


お社の前まで来ると、いきなり奏が抱き着いて来た。

奏の身体、研一の背中に回された両手。

その、いずれもが小刻みに震えていた。


「・・・先輩、研一さん」


研一の胸に顔をうずめる奏の声も震えている。

研一は優しく奏の頭に手を乗せてでる。

そのまま、手を頬に沿って降ろして行き奏の顔を上向かせると奏の唇に自分の唇を重ねた。


奏の身体がビクッと反応して回していた両手に力がこもる。

研一はキスを続けた。

次第しだいに奏の身体から力が抜け震えも収まって来るようだった。


「・・・落ち着いた?」


研一は唇を離すと、そっと尋ねた。


「・・・はい、ありがとうございます」


奏の声は小さかったが、もう震えてはいなかった。


それから奏は持っていた通学バックからビニールシートを取り出して境内けいだいの中に敷いた。

2人はお社に向かって体育座りで座った。

しばしの沈黙が流れた。


「・・・これからの事なんだけど」


研一が先に口を開いた。

奏は無言のままだ。


「やっぱり僕が一緒に」


「先輩!」


奏が少し大きな声で研一の言葉をさえぎった。


「あたしが1人で父と話してはいけないでしょうか?」


奏の眼差まなざしには悲壮な決意のようなものが感じられた。


「話すって、どこまで?」


研一はわざとゆっくりと尋ねる。


「全てです。母と会った事も、父が母にした事も。そして、あたしの身体に触れて来ないで、って事も」


「・・・それは難しいんじゃないかな」


研一は率直な感想を口にする。

これまでの経緯いきさつからすれば、奏の父親は異常人格者と言わざるを得ない。

そもそもマトモな話が通じる相手なら、あの叔母さんが手こずる訳は無い。


「・・・先輩の仰りたい事は判ります。でも、それでも」


奏の瞳に涙がにじんでいる。


「あたしは父を信じたいんです。母に謝罪して欲しいんです。こんな、あたしは間違っているでしょうか?」


研一は黙り込んでしまう。

自分に対しても精神的苦痛を与え続けた父親を信じたい、と言う奏の気持ち。

それは当たり前の事なのかも知れない。


血の繋がった、実の父親なのだから。



「うん、君の気持ちは判った。でも、何かあったら必ず僕に連絡して来るんだよ」


「はい、勿論です。ありがとうございます、研一さん」


そう言って、奏は笑顔を見せた。

 


「うわぁ、すっかり晴れたね。夕焼けが始まってる」


お稲荷様のお社から出てきた研一が歓声をあげる。


「ホントですね。とってもキレイ」


続いて出てきた奏もため息をつく。

今週になってからは初めての夕焼けだ。

茜色あかねいろの中で奏の髪がきらめく。


「・・・先輩」


「何だい?」


奏の髪が茜色の中で踊っている。

それは、とても美しい光景だった。


「・・・あたしに勇気を与えて下さい」


2人は茜色の中で少し長めのキスをした。





午後8時。


研一は自宅のマンションの台所でソワソワしていた。

まだ奏からの連絡は無い。

父親との夕食はとっくに済んでる筈なのに。


「何だい、夕食の後だって言うのに。落ち着きの無い子だねぇ」


台所のテーブルでは杏子が夕食後のお茶を飲んでいる。


「母さんこそ、今日は残業は無かったの?」


「アンタはアタシを過労死させるつもりかい?」


ジロリと杏子は研一を見る。

研一は自室で1人でいるのが不安だったので台所に残っていたのだった。

杏子は今日の研一が普通の状態では無い事に気がついていた。


「何か面倒事かい? アタシに話せる事なら話してみな」



その時だった。


研一のスマホの着信メロディが鳴り響いた。


研一がスマホを手に取ると、それは奏からだった。


「もしもし? 研一だけど」


奏の声は聞こえなかった。


その代わりに。



ドンドンドン



部屋のドアを蹴っているような音が聞こえてきた。



「もしもし!奏? 奏?」



「・・・研一さん」



やっと奏の声が聞こえた。



「・・・今は自室で鍵を掛けていますが父が逆上して。キャア!」



ガシャァァン



今度はドアに何かを叩きつけるような音がした。



「研一さん!助けて・・・助けて」




奏の声は怯えたように震えていた。








つづく


茜さす帰路照らされど


作詞・作曲 椎名林檎

唄     椎名林檎




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