第19話 あした



抱きしめれば2人は なお遠くなるみたい

許し合えば2人は なおわからなくなるみたいだ

ガラスなら あなたの手の中で壊れたい

ナイフなら あなたを傷つけながら折れてしまいたい

何もかも愛を追い越してく どしゃぶりの1車線の人生

凍えながら2人共が 2人分傷ついている


教えてよ


もしも明日 私たちが何もかもを失くして

ただの心しか持たない やせた猫になっても

もしも明日 あなたのため何の得もなくても

言えるなら その時 愛を聞かせて






研一は夢を見ていた。



それは正に悪夢としか言いようのないものだった。



「嫌ぁ!お父さん、めてぇぇぇ!」



目の前でかなでが父親に襲われている。



奏の自室で。



それを止めようとする研一は身体が動かない。



何者かが研一を羽交はがいめにしている。



振り返ると自分を羽交い締めしているのは自分だった。



「お前に何ができる?」



自分と同じ顔がニヤリと笑う。



「嫌だよ!辞めて!辞めてよぉぉぉ!」



奏の絶叫が響く。



衣服をぎとられた奏は父親に押し倒されている。



自分のベッドの上で。



「やめろぉぉぉぉぉ!」




研一は自分の声で目を覚ました。


昨夜、そのまま眠ってしまった衣服が汗でグショグショになっている。


「・・・畜生。なんて夢だよ」


研一は顔を手で押さえる。

その手も震えている。

震える手でジーンズのポケットからスマホを取り出す。



時刻は午前10時だった。



そしてスマホには奏からのメールが来ていた。

少しホッとした研一はメールを見る。

そこには奏の嬉しそうな文字が踊っている。


『おはようございます、先輩。昨日は本当にありがとうございました。あたしはとても幸せな気持ちです。お目覚めになりましたら連絡を下さい。もし、お疲れでしたら無理になさらなくても大丈夫です。大好きな研一さんへ』


メールの送信時間は9時10分だった。

きっと奏もあれからお風呂に入ってぐっすりと眠っていたのだろう。

ちなみに2人は韓国製のアプリは使用していない。


研一は少し迷ったが通話をする事にした。

あんな夢を見てしまった後だから奏の声が聴きたかった。

パンパンと両手で顔を叩いて登録している奏の電話番号をクリックする。


「おはようございます!先輩、いえ研一さん」


呼び出し音が1回鳴っただけで奏の明るい声がする。

研一は安心すると同時にさっき見た悪夢が頭をよぎる。

僕はこの子を本当に護る事が出来るのだろうか?


「もしもし、研一さん?」


奏の声に研一はハッとして慌てて声を出す。


「・・・出るの早かったね。ひょっとしてずっと待ってた?」


「そんな事は無いですよぉ。まぁ、ずっとスマホはいじってましたけど」


奏の無邪気な声に研一の心は少しずつほぐされていく。


「それって、待ってたって事じゃない?」


「うーん、そうかも知れないです。だって研一さんの声が聴けただけで、とても幸せな気持ちですから」


屈託くったくのない奏の声に、また研一の中に不安と焦りが沸き上がってくる。



しっかりしろ!



研一は自分を叱咤しったする。

僕は変わったはずじゃないか。

しかし、人間はそんなに簡単に変われるモノでは無い事も頭の片隅では理解している。


「・・・あの、研一さんお疲れじゃないですか?昨日は色々とご迷惑をおかけしてしまいましたから」


会話が途切れがちになる研一に奏が心配そうな声になる。


「あ、ゴメン。そんな事はないよ。昨夜は着替えもしないで寝ちゃってたけど」


「・・・それって疲れてた、って事だと思いますけど」


奏は少し悪戯いたずらっぽい声で返してくれる。


「それなら君、奏だって疲れてたでしょ?」


研一はつとめて明るい声を出す。


「そうですねぇ。あたしもお風呂に入ってすぐに寝ちゃいましたから」


「よく眠れた?」


研一は奏との会話で元気を貰っているような気がしてきた。


「はい、バッチリです。あの、研一さんは着替えもしないで寝ちゃったって言ってましたけど?」


「え? うん、そうだけど」


奏の声が急に恥ずかしそうになる。


「それってつまり。えっと研一さんは、今もあたしのシャツを着てるんですよね?」


「え? あ、ああ。そうだね」


そう言えばそうだった。

昨夜、シャワーを使わせて貰った時に奏のシャツを借りたんだった。

ひょっとしたら奏の不安な気持ちがこのシャツを通してあんな夢を見させたのかも知れない。


「うん、確かに君のシャツだ。君の良い匂いがする」


研一は夢の事はおくびにも出さずにおどけて言った。


「ウソばっかり。ちゃんとお洗濯しましたもん」


2人はしばらく笑い合った。


「・・・でも」


奏はちょっと小声になる。


「でも、何?」


「・・・何か、あたしが研一さんと添い寝したみたいで・・・キャッ」


何やらスマホから騒がしい音がする。

どうやら奏はベッドの上で転げ回っているらしい。きっと奏の髪も踊っているだろう。

研一はそんな奏を想像して心の中が暖かくなってくるように感じた。



奏が僕の見た悪夢を吹き飛ばしてくれた。



研一はそんな事を感じていた。


しばらくするとスマホからあわてたような奏の声がする。


「スミマセン。1人で舞い上がってしまいました。あきれてます?」


「全然。舞い上がってる君を想像して楽しんでた」


研一はニヤニヤしながら答える。

奏の声が恥ずかしそうになる。


「・・・先輩。デリカシーに欠けてます」


「ゴメンゴメン、冗談だよ」


2人は今度は大きな声で笑い合った。


「あぁ、先輩と話すのってホントに楽しい」


奏は笑い過ぎたのか少し涙声になっている。


「僕もムチャクチャ楽しい」


研一もお腹を押さえている。

しばらくの沈黙があった。

そして奏の噛みしめるような声がした。


「・・・あたし、研一さんの恋人になれて本当に幸せな気持ちです」


「・・・僕も奏が恋人になってくれて幸福だと思ってる」



今の2人にはそれだけの言葉で充分だった。






5時間後。



2人はいつもお昼休みに来る雑木林の中に居た。



奏が行きたい、と言っていた場所は此処ここだったのだ。



今日は日曜日だから学校の校門は閉じられていて中には入れない。


2人は丘の反対側から此処まで登って来たのである。

そこには細い道があった。奏が2週間くらい前に見つけたらしい。

動きやすい服装でと奏が言っていたのはこの事だったのか、と研一は合点がてんがいった。


確かに道らしいモノはあったがかなり下草が生い茂っている。

研一が先に下草を踏みしめて奏を誘導する。

2人は手を繋ぎながら丘を登って行った。


ちょっとしたハイキングのような感覚だった。


いつもお弁当を食べているクヌギの樹にたどり着く頃にはかなりの汗を流していた。

奏は持っていた手提げバッグからタオルを2枚取り出し1枚を研一に渡す。

今日の奏は日焼け防止の為の麦わら帽子を被っていたが良く似合っていてとても可愛かった。


研一は保冷バックから冷えたペットボトルを2本取り出し1本を奏に渡す。

2人は汗を拭きながらペットボトルの冷えたスポーツ飲料をゴクゴクと飲む。

研一は今朝の悪夢も含めた嫌なモノが身体から抜け出していくような爽快感そうかいかんを感じていた。


「3時過ぎかぁ。僕は気分爽快だけど君は疲れてない?」


スマホを見ながら研一は奏を気遣きづかう。


「いえ。あたしも気分爽快です」


奏はペットボトルから口を離すとニコニコ顔で答える。

奏も身体を動かして汗を流した事が心地良いのだろう。

そんな事を研一は考えていた。


雑木林の中はいつも通りに梅雨の合間の緑の良い香りがする。

巣立ちを終えた野鳥の鳴き声も騒がしい。

その時だった。



ザアァァァ



一陣いちじんの風が雑木林の中を吹き抜けた。


「うわっ」


「キャッ」


2人は驚きながらも新鮮な緑の空気を肺の中一杯に吸い込む。

身体も心も浄化してくれるような風だった。

研一は奏に声をかける。


「麦わら帽子、飛ばされなかった?」


「はい、大丈夫です。それにしても今の風は」


奏はしっかりと麦わら帽子を押さえつけながら答える。


「風?」


「はい。今の風はあたし達を祝福してくれるようでした」


研一は奏の言葉に賛同する。


「そうだね。僕にもそう思えた。さ、奏」


研一は微笑みながら奏に手を伸ばす。

2人はしっかりと手を繋いでクヌギの樹の正面に移動する。

移動した2人はタオルとペットボトルを踏みならされた下草の上に置く。


「この雑木林とクヌギの樹が無かったら僕達は出会う事は無かったんだね」


研一は感慨深げに言う。


「はい。ですからあたしはどうしてもこの場所にお礼を言いたかったんです」


奏も感慨深げにクヌギの樹を見上げている。

それから2人はクヌギの樹に向かって深々と頭を下げた。

ありがとうございました、と。


「それじゃ、この場所に感謝を込めて僕達が恋人同士になったあかしを立てよう」


研一は優しく奏の両肩に手をかける。


「はい」


奏はうっとりとしたように目を閉じる。



2人はごく自然に唇を重ねた。





「ねぇ、研一さん」



2人はしばらくクヌギの樹に寄りかかっていたが奏が言葉を発した。



「何だい?」



研一は優しい眼差しで奏を見つめる。



「あたし達は明日を信じても良いんですよね?」



「当たり前じゃないか。僕達は支え合って歩いて行く、って決めたんだから」



研一の言葉には固い決意のようなものが感じられた。



研一の言葉に安心したように奏は言う。



「はい。あたしは明日を。あしたを信じます」



再び雑木林の中を風が吹き抜けた。




今度の2人には、それが2人を応援してくれているように感じられた。









つづく


あした


作詞・作曲 中島みゆき

編曲    瀬尾一三

唄     中島みゆき



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