第13話 オーバー・ザ・レインボー



「僕は・・・会うべきだと思う」



研一はしばらく時間を置いてから言った。


「え ? 」


かなでは顔を上げた。


「君は離婚の要因をお父さんからしか聞いて無いんだよね ? 」


研一は静かに奏に尋ねた。


「・・・はい。母の精神はうつとアルコールでかなり病んでいましたから」


「お父さんは何て言ってたの ? 」


奏は再び下を向いた。


「・・・母はあたしと父を捨てて不倫をしていたと」


奏の声はかすれて震えていた。

研一は奏の手に自分の手を重ねた。

奏の手に温かい研一の体温が伝わってくる。


「それはお父さんの言い分だよね」


研一の言葉に奏はハッとしたように研一の顔を見た。


「確かに離婚の数年前からお母さんの精神は病んでいたかも知れない。でも今はかなり良くなって君に会いたがってる。だったら君はお母さんの言う事も聞いてあげるべきじゃないかな」


奏は研一の手を握りしめた。


「先輩!」


「本当は君もお母さんと話をしたい、と思ってる。違うかな ? 」


研一は笑顔を作りながら言った。

その笑顔はかなりぎこちないものになってしまったが。


「先輩、研一さん!ありがとうございます!」


奏の目から涙がこぼれていた。


「明日の土曜日、僕も付きあうよ。一緒にお母さんに会いに行こう」


奏は言葉にならず、研一の手を握りしめてコクコクと頷いていた。





翌日。


研一と奏は駅で待ち合わせて電車に乗った。

奏の母の実家は5つ先の駅の近くとの事だった。

今日も、しとしと雨が降っていた。


研一はGパンに白いTシャツ。

奏は白いワンピースで腰から下には鮮やかな花々がプリントされていた。

2人はお互いの服装をめ合って2人とも照れていた。


電車の中では2人は無言だった。

目的の駅に近づくにつれ奏の緊張感が研一にも伝わって来た。

研一は奏を勇気づける為に奏と手を繋いだ。

奏は指を絡めるように研一の手をつかんでいる。

2人はお互いの心臓の鼓動が聞こえるような感覚にとらわれていた。



目的の駅に着いて改札口を出た2人に車のクラクションが響いた。

研一が何事かと見ると駅前の小さな駐車場に白いワンボックスカーが停車していた。

その運転席から少し太った中年の女性が降りて来た。


「奏ちゃん!奏ちゃんだね」


叔母おばさん!」


奏はその中年女性に走り寄った。

そして2人はしっかりと手を握り合った。

雨はもう上がっていた。


「ご無沙汰してます。叔母さん」


奏の挨拶に叔母さんはにっこり笑った。


「何年振りだろうねぇ。あたしゃ奏ちゃんに会えて嬉しいよ。奏ちゃんはあの頃のまんまだ。もう、あんたには会えないと思ってたから。だから昨夜に奏ちゃんから連絡があった時は本当に嬉しかった」


そう言って叔母さんは涙ぐんだ。


「あたしも叔母さんに会えて嬉しいです」


奏は満面の笑みで言った。


それを見ていた研一はホッとした。

あの人が奏の母のお姉さんなのだろう。

そして、あの人は奏に会えた事を本当に喜んでくれている。


「奏ちゃんはもう少ししたらホントに美人になるよ。おや ? あの人は ? 」


研一は叔母さんがいきなり自分を見たのでビックリした。

しかし覚悟を決めて奏と叔母さんの方へ歩いて行った。

そして、叔母さんに頭を下げた。


「は、初めまして。高見研一と申します。えっと、このたびは・・この度は、えっと」


しどろもどろになっている研一に変わって奏が説明した。


「研一さんは学校の先輩なんです。母と会う事に躊躇ちゅうちょしてたあたしの背中を押してくれたんです。今日もあたしの事を心配して付き添ってくれたんです」


叔母さんは奏の説明を聞くと研一の手をとってブンブンと大きく振った。


「そうかい。あんたが奏ちゃんのねぇ。ありがとう。あたしからも礼を言わせて貰うよ」


そう言って大きな声で笑った。

それからちょっと慌てたように言った。


「おっと、こうしてちゃ居られない。早くあの子と奏ちゃんを会わせなきゃ」


そう言って車の方へ歩き出した。


随分ずいぶんと豪快な人だね」


研一は奏に小声で言った。

自分の母と似ているな、とも思った。


「でしょ。叔母さんもちっとも変わってない。あたしは叔母さんが大好きなの」


そう言って奏はクスクスと笑った。


「おーい、何してるんだい。早く車に乗りな」


叔母さんの声がした。


「行きましょ。先輩」


奏と研一は車へと小走りで向かった。



車の中では奏と叔母さんはひっきりなしに喋っていた。

奏が幼い頃にはお正月やお盆には母親と2人で実家に帰っていたようだった。

そんな昔話に奏と叔母さんは花を咲かせていた。


「・・・しかし」


叔母さんの声は少し小さくなった。


「結局、あの男は1度も来なかったね」


「・・・そうですね」


あの男とは奏の父親の事だろう。

奏の声も小さくなった。


「あたしゃ、心配してたんだよ。あの子が。あんたの母親がどんどん無口になって行って。表情も思い詰めたようになって。まるで何かに追い込まれて行くようで」


「・・・そう、だったんですね」


奏も少し思い詰めているようだった。


「それから奏ちゃんが小学生の2年生くらいになったら、もうあたしらの家にも来なくなってしまったね」


「そう、ですね」


奏は下を向いてしまった。


「あたしはあの男に何回か電話もしたんだよ。あの子の様子がおかしい、って」


「そうだったんですか ? 」


奏は驚いたように叔母さんを見た。


「そうなんだよ。そしたらあの男は何て言ったと思う ? 他人の家庭に口を挟まないで頂きたい。こうなんだよ」


叔母さんは憤慨ふんがいしたように言った。


「最後の電話の事はよく憶えてる。あの子は他人じゃない、あたしの可愛い妹だって。そしたらあの男は!」


叔母さんは怒り心頭と言った感じだった。


「もう、私達の家庭に口を挟まないで貰いたい。これ以上つきまとって来るなら、民事裁判所に訴えますよ。こう言うんだよ。じゃあ、せめて妹と話をさせてくれって言ったら電話を切りやがった」


叔母さんはため息をついた。


それから、しばらく無言の時間が続いた。


「あの」


堪らずに研一が声を出した。


「何だい」


叔母さんがこたえてくれた。


「それから。それから、どうなったんですか ? 」


「どうもこうも無いよ」


叔母さんは呆れたように言った。


「あの男は電話番号も住所も変えちまいやがった。あたしらに何の連絡も無く」


「え ? それは、どういう事ですか」


奏が代わりに答えた。


「あたし達、あたしが小学4年生の時に今の家に引っ越したんです」


「・・・そうだったんですか」


研一は考え込んだ。

住所や電話番号を変えるのに、妻の実家に何も連絡しないなんて事は常識的に考えてありうる事だろうか ?


「あの子も離婚して戻って来た時にはひどい状況でね。あたしの事も判らなかったんだよ」


叔母さんは悲しそうな声で言った。

奏はうつむいたままだった。


「それでもアルコール依存の方はそれ程ひどくは無かったし。半年くらい入院してたんだけど、ある日医者に言われたのさ。このような病院では無く、ゆったりとくつろげるような場所で療養した方が良いってね」


叔母さんは運転しながらも前を向いていた。


「それなら、あたしの家で療養させますってね。あの子が生まれて育った家なんだから」


「しかし、その。あたしの家って言うのは ? 」


研一は叔母さんに尋ねた。

叔母さんは、またも大きな声で笑った。


「ウチの亭主は婿養子むこようし。つまり、あたしの家はあたしとあの子が一緒に育った家って事さ」


「はぁ、そうだったんですね」


研一は答えながら思った。

この叔母さんが奏の母のお姉さんで本当に良かった、と。


「奏ちゃん。あの子は離婚前に何回か外泊してただろ ? 」


「え!はい」


奏は急に話を振られてビックリしたような声を出した。


「あの男は何て言ってた ? 」


「・・・母がその、不倫してるって」


奏は消え入りそうな声で言った。


「フン!アイツが言いそうなこった」


叔母さんは怒っていた。


「あの子はね。あたしらの家に泊まっていたんだよ。鬱っていうのも不思議なもんで、たまに正気になるみたいだね」


「そう、だったんですか」


「そうだよ。あの子が不倫なんてするもんかい!」


叔母さんに言われて、奏は安堵したような表情を浮かべた。


「あたしがずっとこの家に居ろ、って言ってもあの子は聞かなかった。奏がいるから。私は奏の母親だから、ってね」


奏は驚いたように叔母さんの顔を見た。


「あの子も重度の鬱とアルコール依存症で奏ちゃんを辛い目に合わせたかも知れない。でも奏ちゃんの母親である事には間違いないからね。おっと、これから先は本人の口から聞いた方が良いだろうね」


そう言って叔母さんは一軒の家の前でブレーキを踏んだ。

駅からは20分くらいの場所だった。

所々に稲田いなだと畑のある、のどかな場所だった。


「さぁ、着いたよ」


叔母さんの声が響いた。





つづく



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