第10話 雨



しとしとしと



翌日は朝から雨が降っていた。

少し激しくなる時もあったが大抵たいていの時間は小雨だった。

昼休みになると研一は迷わず雑木林に向かった。


あれから家に帰ったかなでの事が気になっていた。

奏の要望でメアドの交換はした。

しかし、研一は緊急事態でない限りはメールは止めておこうと奏には告げていた。


部室棟の裏の小道もベニヤ板へ行くまでの地面も雨でぬかるんでいた。

自分達の足跡を消すには好都合だった。

そして、ベニヤ板はずらされていた。


研一はフェンスを通り抜けた。

雑木林は雨に濡れて、いつもより美しく感じられる。

クヌギの樹の下にはピンク色の傘がくるくると回っていた。


「先輩。やっぱり来てくれた」


奏は嬉しそうに笑った。


「当たり前じゃないか」


研一も自分の傘をくるくると回して笑った。


雑木林の中は雨音が響いていた。

野鳥の声もあまり聞こえ無かった。

鳥達は雨が止むのを待っているのかも知れない。


「今日は雨が降ってるから僕は来ないとは思わなかった ? 」


「いいえ」


奏は雑木林を見つめながら言った。


「そっか。僕も君が来ないとは思って無かったよ」


2人はお互いの顔を見ながら微笑んだ。


「僕はサンドイッチだから傘をさしながらでも食べられるけど。君はどうする ? 」


「そう思って、あたしも今日はサンドイッチにしました」


奏は小さなかごに入ったサンドイッチを見せた。

コンビニのサンドイッチとは違う手作り感がある。


「じゃあ、君が食べている間は僕が傘をさしてあげるよ。やっぱり片手じゃ食べにくいからね。飲み物を飲むのにもね」


「そんな。悪いですよ」


「その代わり、僕が食べている間は君が傘をさすんだよ」


奏は悪戯いたずらっぽく微笑んだ。


「ギブアンドテイクですね」


「ウィンウィンと言って欲しいな」


2人は声を出して笑い合った。



「ごちそうさま。ありがとう」


「いえ。あたしの方こそありがうございました」


昼食を食べ終えた2人は並んで傘をさしていた。

雨は変わらず降り続いていた。


「先輩。お尋ねしても良いですか ? 」


「何 ? 」


奏はおずおずと口を開いた。


「どうして、緊急事態以外にはメールをしないようにしたんですか ? 通話も」


「うーん、やはり直接本人の目を見て話さなければ本当の事は伝わらないと思うんだ」


「・・・本当の事」


奏はしばらく考え込んでいた。


「そうですね。その通りかも知れません」


「ま、これは母の受け売りだけどね」


研一は肩をすくめた。


本当は研一は奏の事をもっと知りたかった。特に父親との事について。

昨夜の奏が家に帰ってからの事が気になっていたが、今の奏の様子から特に何も無かったようだ。

今は焦ってはいけない。奏を追い詰めるような事はしてはならない。



「・・・昨夜の事なんですけど」


奏の方から喋り出したので研一はちょっとビックリした。


「あたしが家に着いたのは午後8時35分。父は10時くらいに帰って来ました」


「10時 ? そんなに残業とかしてるの」


研一はさりげなく奏の話に応じた。


「いえ。お酒の匂いがしましたから」


「君のお父さんはお酒が好きなのかな」


「うーん、特に好きと言う程では。職場でのお付き合いとか接待とか。大人の事情ってヤツですかね」


研一の母親は酒好きだった。

しかし、かなり強いみたいでだらしない姿を見せた事が無い。

多少ハイになっている時もあったが、いつもシャンとしていた。


「それで父は、あたしに抱き着こうとしました」


「・・・うん」


傘にあたる雨の音が強くなった。


「でも父の手があたしの身体に触れた時、すごい嫌悪感けんおかんを感じて。思わず父の手を叩いてしまいました」


「そう、なんだ。お父さんはビックリしたんじゃないかな」


「はい。とても驚いたような顔をしてました」


研一は傘をくるりと回した。


「それで、君はなんて言ったの ? 」


「お父さん、あたしも高校生なんだから。これまでみたいに抱き着いて来ないで。って言いました」


奏はチラッと研一の顔を見た。


「お父さんの反応は ? 」


「知りません」


知らないって。どう言う事 ?


「あたしはそのまま2階の自分の部屋に駆け込んでかぎをかけました」


「・・・そうなんだ」


奏は今は真っ直ぐに研一の目を見ている。

研一も奏の目を見た。


「先輩。あたしの行動は正しかったんでしょうか ? 」


「正しかったと思う。高校生の娘に抱き着く父親は過保護すぎる」


研一はもっと別の言い方をしたかったが自重じちょうした。

奏にとっては大切な肉親なんだから。


「ありがとうございます!先輩にそう言ってもらえて、とても嬉しいです」


奏は両手で握りこぶしを作った。

ピンク色の傘は草の上に転がっていた。


「おっと」


研一は自分の傘を差し出した。

奏はピョコンとその中に入って来た。


「これって相合傘あいあいがさって言うんですよね」


「まぁ、そうなるのかなぁ」


研一は頬をポリポリといた。

研一にとっても相合傘なんて初めての経験だ。

照れている研一を見て、奏は「うふふ」と嬉しそうに微笑んだ。


「だけど」


「何ですか ? 」


研一は少し間を置いて切り出した。


「その。今朝は気まずかったんじゃないの ? お父さんと顔を合わせるのが」


「あたしが下に降りた時には父はもう出勤してました。それでテーブルの上にこれが」


そう言って奏は肩から下げているカバンから1枚のメモ用紙を取り出した。


「見ても良いの ? 」


「見て頂きたいんです」


そのメモ用紙には「昨夜は悪かった。ゴメン」と書いてあった。

大人の男性にしては細い神経質そうな文字だった。


「うーん」


研一は考え込んでしまった。


「どう、思われます ? 」


奏も不安げだった。


「これは酔っていた事を言ってるのか、抱き着こうとした事を言ってるのか」


「微妙ですよね」


「微妙だね」


研一にも判断は付きかねた。

そのまま2人は雨の中、相合傘で立ち続けた。




「ひとつひとつ消えてゆく雨の中 見つめるたびに悲しくなる」


「先輩。その歌って」


「あぁっ、ゴメン」


研一は無意識に口ずさんでしまっていた。


「母が好きな曲なんだよ。雨が降るたびに歌ってた」


「・・・先輩のお母さんが」


「子供の頃から聴かされてたから。僕も雨を見るとつい」


母親の話をしたのはマズかったかなぁ。

研一がそんな事を考えていると奏が口を開いた。


「何て言う歌ですか ? 」


「森高千里の雨、って言う歌。かなり前の歌だよ」


「先輩も好きなんですか ? 」


「好きって言うか、り込まれちゃったかな」


奏は興味深そうに聞いてきた。


「あたしも聴いてみたいです。その歌」


「んーと。ちょっと待ってね」


研一はスマホを取り出した。

昼休みが終わるまで後17分。

Wi-Fiも繋がってる。


学校内でのスマホの使用は禁じられているのに何故かWi-Fiは繋がる。

変な学校である。


「じゃあ動画で聴こう」


研一はスマホを操作した。


雨の雑木林の中に森高千里の歌声が流れる。

雨はかなり小降りになっていた。

傘に当たる雨粒の音も良いアクセントになっている。


2人は、いつしか目を閉じていた。

この空間だけが別世界のように感じられた。


雨は冷たいけどぬれていたいの 思い出も涙も流すから


ピアノの音と共に歌は終わった。

研一は目を開けて隣にいる奏を見た。

奏は目を閉じている。


「山岸さん ? 」


研一が声をかけると奏は、ふうっと息を漏らした。

そして、ゆっくりと目を開けた。


「・・・ステキな曲ですね」


「失恋の歌だけどね」


「あたしには、そんな風には感じられませんでした」


まだ、歌の余韻よいんひたっているようだ。


「さ、そろそろ行かないと」


雨はすっかり上がっていた。

研一は奏の傘を拾って畳んで手渡す。

自分の傘も畳むと奏の手を取った。


「さ、行こう。雨で滑るから気をつけて」


「はい」


2人は用心深く走り出した。


「先輩」


「何 ? 」


「先輩はこの手を離しませんよね」


「もちろんだよ」


奏は嬉しそうに研一の手を強く握り返した。





つづく



作詞 森高千里

作曲 松浦誠二

唄  森高千里  






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