第9話 暗闇でダンス



「ふーん。なるほど、なるほど」


校門にたどり着いたかなでは腕組みをして何やら考え込んでいた。

校門には照明が取り付けてあって、その付近を明るく照らしていた。


「何がなるほどなの ? 」


遅れて到着した研一は奏に尋ねた。


「先輩。あれを見て下さい」


奏は校門から伸びているコンクリート製のへいを指さした。

それは2mくらいの高さで学校の敷地をぐるりと取り囲んでいる。


「あれくらいの高さなら、あたしでも乗り越えられますよ」


「ちょっと待って」


研一は今にも走りだしそうな奏を慌てて制した。


「あの塀の向こう側がどうなってるのか確認しなきゃ」


「・・・向こう側ですか」


奏はまたも考え込んだ。


「確かに。あたしはいつも登下校の時に、この校門を通っていますけど」


奏は少し顔を上げて人差し指を頭に付けた。


「校門の近くの塀の外なんてあまり記憶にありません」


「僕もだよ。ほとんどの人が今日の学校での生活とかを考えてるから、校門以外の場所を見てる人なんてあまりいないと思う」


奏は大きく頷いた。


「それで、先輩はどのようにお考えですか ? 」


「僕も確信は持てないけど」


研一は校門の右側の塀を指さした。


「確か、あの辺りは芝生になっていたと思うんだ」


「へぇ。先輩ってスゴイですね」


奏は感心したように言った。


「で、具体的にはどうするんですか ? 」


「僕があの辺りの塀に登って様子を見るよ。2人の荷物もあるし」


「塀に高圧電量こうあつでんりゅうが流れてなければ良いですけど」


研一はちょっとビックリして奏を見た。

奏は真顔だ。

これは天然なんだよね ?


「高圧電流なんて誰に聞いたの ? 」


「父が言ってました」


奏は無表情で言った。

え ?

ちょっと待って ?


「その。お父さんは何て言ってたの ? 」


「塀には高圧電流が流れているって。女子は平気ですけど男子は即死するって」


研一は考え込んでしまった。

そして、今日の奏の言動を再検証さいけんしょうしてみた。

に落ちない点がいくつかあった。


「君は僕に何度か抱き着いて来たよね ? 」


「はい。それが何か ? 」


奏は「何を言ってるの ? 」という顔をしている。


「その、今日初めて喋った男子に抱き着くって。普通はあまりしないと思うけど」


「そうなんですか ? 父はよくあたしに抱き着いて来ますよ。その時にあたしの胸やお尻をさわって来ます」


「・・・それはお母さんが家に居た時から ? 」


「はい。母にはナイショだよ、って言ってました。何で、ですかね ? あれが悪さって言うものなんですかね ? 」



ぞくり



研一の背筋に悪寒おかんが走った。

聞いてはいけない事を聞いた気がした。

しかし、確かめなくては。


「その。口移しって言うのは ? 」


「何だ。先輩は聞こえていたんですね」


奏はケラケラと笑った。

笑う奏の顔に異質なものを感じた。


「ひょっとして、お父さんとしてるとか」


「はい。たまに父としてますよ。それが変なんですよね」


奏は「 ? 」のポーズをした。


「父はあたしの口の中に舌を入れて来るんですよ。変ですよね ? 」


研一は愕然がくぜんとした。

自分の目の前の少女が急に遠い存在に感じられた。


「・・・その、お父さんとの口移しの事は誰にも話してないよね ? 」


「はい。父に口止めされてますから。誰にも喋っちゃいけないって」


「どうして、僕には話したの ? 」


「だって、先輩は先輩ですから」


そう言って奏は無邪気むじゃきに笑った。

その笑顔はとても愛らしかった。


研一はその笑顔を見てハッとした。

僕は、この子と2人で一緒に成長しようと決めたじゃないか。

この子の手は絶対に離してはいけないんだ。


ひょっとして、この子の母親の精神が病んだのは父親のせいかも知れない。

離婚の原因は父親にあるのかも知れない。

この子の精神をゆがませているのは父親なのでは無いか。


いや。

今はそんな事を考えても仕方ない。

僕は奏と一緒に居るって決めたんだから。


「君のお父さんが言った事は間違ってるよ。見ててね」


そう言って研一は塀まで走っていってジャンプした。

塀の上に手をかけてよじ登り、塀の上に座った。

塀の幅は15cmくらいだった。


「ほらね。高圧電流なんて流れて無いよ」


「うわぁ!先輩はやっぱりスゴイです!」


奏は小躍こおどりして喜んだ。


研一は塀の外側が自分が考えていたように芝生である事を確認した。


「荷物を持って来て。僕のも頼むよ」


「はぁい」


奏は2人の通学鞄と肩下げカバンを嬉しそうに持って来た。


「1つずつ僕に手渡して。壊れものとかは出してね」


「判りました」


奏は自分の肩下げカバンからスマホを取り出すと、背伸びしてカバンを研一に手渡した。

研一は手を伸ばしてそれを受け取ると出来るだけ静かに芝生の上に落とした。

2人はその作業を繰り返した。



いよいよ、奏が塀の上に登る事になった。


「ホントに大丈夫 ? 」


「大丈夫ですよ。でもサポートはお願いしますね。先輩」


「スカートだけど良いの ? 」


「問題ありません。それに」


奏は少しはにかんだ。


「・・・先輩になら、見られても良いです」


少し頬を染めた奏が走り出した。

そして、塀の手前でジャンプした。


「先輩!」


奏の伸ばした手を研一はしっかりと握って引き上げた。

その身体は驚くほど軽かった。

空中で奏の身体を支えると嘘のように彼女は研一の隣にストンと腰かけた。

アニメのワンシーンのようだった。


「スゴイね。ホントに身軽なんだ」


奏は「えへへ」と得意そうに笑った。

それから真面目な顔つきになった。


「先輩が居てくれたおかげです」


「え ? 僕は手を握っただけだよ ? 」


「だから、ですよ」


奏は星空を見上げた。


「先輩ならあたしの手を絶対に離さない。そう思えたから、あんなに高くジャンプできたんです。あたし1人では、あんなジャンプはできません」


奏の横顔は確信に満ちている。


「じゃあ、そろそろ降りよう。お尻、痛いでしょ ? 」


研一は照れたように言った。


「別に痛くは無いですけど。ずっとここに居る訳にもいきませんしね」


「じゃあ、先に僕が降りるよ。僕は飛び降りるけど君はどうしようか ? 」


研一は奏をどう降ろそうか考えていた。

下に降りて手を伸ばすにしても、奏の体重を支えられる程の腕力は自分には無い。


「あたしも飛び降ります」


奏は躊躇ちゅうちょなく言った。


「出来るの ? 」


「はい。あたしの身の軽さはご覧になった通りです。先輩が下でサポートしてくれるんですよね」


奏は研一の顔をのぞき込むように言った。


「もちろんサポートするよ」


「それなら何の問題もありません」


奏の顔は自信に満ちていた。


「でも、スカートだよ ? 」


「さっきも言ったじゃ無いですか」


奏は微笑んだ。


「先輩なら見られたって構いません」



研一は塀の上に立った。


「じゃあ、僕から行くよ」


ハッ!


研一は短い掛け声を発してカバンらの横の芝生に飛び降りた。

思った程の衝撃は無かった。


パチパチパチ


「先輩!すごくカッコよかったです!」


奏は塀の上に立って拍手していた。


「次はあたしの番ですね」


「え ? ちょっと」


研一の言葉の途中で奏の革靴がトンと塀をった。


ふわり


研一には奏が宙を舞っているように見えた。

そして、また奏の髪が踊っている。

その踊る髪は校門の照明に照らされてキラキラと輝いていた。


すとん


研一の目の前に奏が舞い降りて来た。


「きゃっ!」


奏は少しバランスを崩した。


「おっと」


すかさず研一は両手で支えた。


「ありがとうございます。先輩」


研一は黙って奏を見つめていた。


「・・・先輩 ? 」


奏の心配そうな声でわれに返った。


「・・・とてもキレイだった」


「あたしのスカートの中が、ですか ? 」


奏は明らかに、からかうように言った。


「バカ!違うよ」


研一は支えていた両手を離した。


「その、君が空から舞い降りて来たように見えたんだ」


「舞い降りる ? 」


「ああ。それでまた君の髪が踊るように見えた」


「うふふ」


奏はその場でくるりと回った。


め言葉だと受け取っておきますね。ありがとうございます、先輩」





2人は家路を急いでいた。


「今が8時ちょっと過ぎですから。8時半には家に着けますよ」


奏がスマホを見ながら言った。

研一は奏がスマホを何処にしまったのか判らなかったので、スマホを胸元から取り出した時には驚いた。

胸の谷間に押し込んでいたらしい。

3ヶ月前には中学生だった奏の胸は同年代の少女の中では大きい方なのだろう。

彼女は着やせするタイプみたいだ。


あの胸を彼女の父親はむさぼっているのか


研一はそんな事を考えてしまう自分が嫌だった。

しかし、現実は現実として受け止めなければならない。

パニック障害も言葉遣ことばづかいがおかしいのも彼女の父親が原因なのかも知れない。

何よりも、そもそもの離婚の原因さえも。


「どうしたんですか先輩 ? さっきからずっと黙ってますけど ? 」


「あ、いや」


研一はダメだと判っていても聞かずにはいられなかった。


「君はお父さんが好き ? 」


その瞬間、奏の顔色が変わったのは気のせいだろうか。


「・・・そりゃ好きですよ。父親なんですから。ちょっと過保護だとは思いますけど」


「そっか」


それ以上は聞かなかった。

聞くのが怖い、とも思った。


これからの僕達は普通の高校生なら通らなくても良い道を通らなければならないのかも知れない。

見なくても良いものを見なければならないのかも知れない。

でも、僕は決めたんだ。

この子の手を絶対に離さないと。

それが、どんな暗闇の中だとしても。


「なんか僕達って暗闇でダンスしてるのかも知れない」


「えー、なんですかソレ ? 」


奏が聞いて来る。


「母さんが好きなバンドの曲名だよ」


「それ、先輩も好きなんですか ? 」


研一は答える。


「好きだよ」


「わぁ、あたしも聴きたいです!」


「今度聴かせてあげるよ」



2人はどちらともなく手を繋ぎあった。

僕は、この手を絶対に離さない。

改めて研一は誓った。






つづく


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