第6話 生まれてくれてありがとう



パンッ



雑木林の中に乾いた音が響いた。


研一がかなでの頬を平手で叩いた。


そして、茫然ぼうぜんとしている奏を抱きしめた。


「・・・そんな事、言うなよ」


研一の目に涙がにじんでいた。


「僕は1人になりたくて、ここへ来ていた。だけど」


研一の目の涙はあふれ始めていた。


「今日の昼休みに君と話せて楽しかった。1人でいる時よりリフレッシュできた」


奏は黙って聞いている。


「僕は君と出会えて良かった。君と話せて良かった。君の髪が踊るのを見られて良かった」


「・・・あたしの髪が・・・踊る ? 」


奏が口を開いた。


「ああ。踊る君の髪はキラキラとしてて、とてもキレイだった」


研一は流れ出す涙を拭きもせずに喋り続けた。


「僕は本当に君と出会えた事に感謝してる。だから」


最後は叫ぶようだった。


「生まれてくれてありがとう!」


その叫びは奏の心に突き刺さり彼女は身を震わせた。


「生まれてこなければ良かった、なんて言うなよ。僕は・・・僕は・・・」


それ以上は言葉にならなかった。

研一は、ただ泣き続けた。

陽の落ちかけた雑木林の中に研一の泣き声だけが響いた。


「・・・先輩」


奏の手が研一の涙に触れた。


「先輩はあたしの為に泣いてくれるんですね」


奏は研一の身体に両手を回した。

奏の目からも涙がこぼれていた。


「ありがとうございます。ありがとうございます!研一さん!」


2人は抱き合ったまま泣き続けた。



キーンコーンカーンコーン



校門が閉じられる予鈴が響いた。


巣へ戻る鳥たちの羽音が賑やかに2人に降り注いだ。


2人はもう泣いていなかった。


奏はゆっくりと研一から身体を離した。


「先輩の顔。ヒドイ事になってます」


奏は微笑ほほえんでいた。

それは昼休みの時の、いやそれよりもさわやかな顔だった。


「奏、いや君だってヒドイ顔になってるよ」


研一は奏の顔を見て安堵した。

そして、つい軽口を言ってしまった。


「先輩の方がヒドイです」


奏は軽口に乗ってくれた。


「いーや、君の方がヒドイ」


奏が軽口に乗ってくれた事が嬉しくて、研一は続けた。


「先輩ですよ」


「君だよ」


2人はふざけあうのが楽しくなって来て応酬おうしゅうを続けた。


「研一さんの方がヒドイ!」


「奏の方がヒドイ!」


2人はお互いの名前を叫んでから吹き出した。

そして、大笑いを始めた。

陽の暮れた雑木林の中に2人の笑い声が響いた。



「あぁ、もうお腹が痛いですよぉ」


笑いながら奏は言った。


「僕だって、肺が苦しい」


研一も笑いながら言った。


2人は笑うのを止めて向き直った。


「ちょっと待ってて下さい」


奏は自分のカバンからタオルを取り出した。


「先輩は動かないで下さいね」


そう言って研一の顔を拭き始めた。


「ちょ、ちょっと。自分でやるよ」


慌てる研一を制するように奏は言った。


「ダーメ。あたしがやりたいんです」


研一は恥ずかしかったが奏の言う通りにした。

奏の白くて細い指が丁寧ていねいに研一の顔を拭いていく。

タオル越しに奏の指の感触を感じて研一はドキドキした。


「終わりました」


奏はニッコリと微笑んだ。


「次はあたし、キャッ」


研一がタオルを取り上げた。


「次は僕が君を拭く番だよ」


「そんな。恥ずかしいです」


奏は顔を赤くしてうつむいた。


「僕だって恥ずかしかったんだからね。おあいこ、だよ」


奏は下を向いてモジモジしていたが観念したように顔を上げた。

その顔は赤く染まり緊張しているようだった。

そんな奏の反応から、さっきの奏はやはりパニック障害だったと研一は理解した。


「そんなに緊張しないで」


研一はタオルをそっと奏の顔に当てた。


「きゃっ」


「大丈夫だよ。僕に任せて」


そう言う研一の手も震えていた。


奏は「先輩も緊張してるんだ」と思い、何故か嬉しくなって顔を前に差し出して来た。

さすがに目を開ける勇気は無かった。


研一は緊張しながらタオルで奏の顔を拭き始めた。

その手つきは国宝の壺に触れるように慎重なものだった。


奏の顔の柔らかさとしなやかさがタオルを通じて感じられた。

タオルが移動するたびに、奏の身体がビクッと反応したが顔は上げたままだった。

研一の手つきはとても丁寧で優しかった。

奏は恥ずかしさと共に不思議な幸福感に満たされていた。



「終わったよ」


研一がそう言った時、奏は少し残念な気持ちになっていた。

そんな気持ちになった事に奏自身が驚いていた。

急に恥ずかしくなって来て自分の頬が更に染まるのが判った。


「ありがとうございました」


そんな自分をごまかすように頭を下げた。


「こちらこそ、ありがとう」


そう言う研一の耳たぶも赤くなっていた。


奏は「あれ ? 先輩も照れてる ? 」と感じて嬉しくなった。

そして、カバンからポケットティッシュを取り出した。


「さあ、鼻をかみましょう。先輩も使って下さい」


「ありがとう。でも恥ずかしくは無いの ? 」


「はい。先輩の前でしたら恥ずかしくはありません」


「そっか」


研一も嬉しそうだった。


それから2人で盛大に鼻をかんだ。

2人には、恥ずかしいと言う感情は無かった。

お互いに「この人の前なら恥ずかしい事なんて無い」と感じていた。



雑木林の中は夜のとばりに満ちていた

空にはよい明星みょうじょうが輝いている。

2人はビニールシートに寝転がって星を観ていた。


虫の音が静かに雑木林の中に響いていた。






つづく


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